2003年3月12日、午前10時5分から、茨城県の水戸地裁で、岡崎さんが警察の不当な捜査を訴えている民事裁判の証人尋問があった。
哲(さとし)くん殴打死事件に関する3つの民事訴訟のうち、学校を訴えていた裁判は一審敗訴。二審控訴棄却(敗訴確定)。加害少年と両親を訴えていた裁判は一審実質勝訴。被告控訴。和解協議が進められていたが、原告側が賠償金ではなく、真実を知りたいとして結局、決裂。被告側は再び、哲くんの死因を暴行死ではなく、病死として争う構え。そして、加害少年の父親が警視庁、兄が茨城県警ということで、身内かばいの意識から、不当な捜査がなされたとして、国(水戸地検土浦支部)と茨城県(茨城県警)を相手取っての国家賠償訴訟。県警側は13人もの弁護士が並び、その日程調整だけで毎回、いたずらに審議が伸ばされてきたという。
今回、この裁判で、はじめての証人尋問。原告弁護団は主任弁護士が降りてしまって、たった2人。相手方は法廷内に5人、傍聴席に3人ほど。なぜかみな、弁護士にしては体格がいい。
証人は元竜ヶ崎警察生活安全課のW氏(53歳)。事件の初動捜査にあたった警察官。当時、警部補。なぜ彼が証人に選ばれたかといえば、原告側と被告側の証人申請で唯一、重なった人物だったからという。
被告代理人弁護士からの尋問から最初、始まった。
Q:捜査に関係した中味、担当について。
A:現場周辺の聞き込み捜査と、事件の報告書づくり、学校生徒の取り調べ、被害者両親(岡崎さん)の面談取り調べを行った。
1998年10月8日、事件発生の連絡を受け、上司の指示で、同じ課の部長と巡査と3人で現場に行った。被疑者が学校にいるということで学校に行ったが、すでに別の捜査官が任意同行をかけていた。
そこで、ゴルフ場裏道の事件現場に行った。すでにパトカーがおり、現場保存がされていた。
そこで、目撃者の話を聞いた。Sさんという奥さんの自宅。現場から少し離れている団地のひと。直接、犯行を見てはいないということだった。
付近の警察官から、Oさんの奥さんが見ていたという話を聞いた。Oさんの奥さんに話を聞いたら、実は娘が目撃しているという。娘さんから事情を聞いた。
その日は家にいた。母親が仕事から帰って来たのので、犬の散歩に行った。現場を通りかかった時に中学生2人が口論していたのを見た。そのまま通り過ぎた。もの音がしてけんかにでもなったのかなあと思った。目撃はしていない。自宅付近に戻り、Iさんに中学生がけんかをしていると告げた。Iさんの家の前にいたところ、中学生が電話を貸してくれと言いに来た。その後、Oさんの娘さんからは、供述調書をとった。Oさんの家でその日にとって、持ち帰った。その日、ほかには、事情聴取していない。
Q:岡崎さんから話をきいたとき(10月14日)のことについて。
A:最終的に岡崎さんは調書に署名押印しなかった。拒否されたのは、「その話をするために今日は来たわけではない。対応を書いてくれなければ帰る」と言われた。
岡崎さんは、学校の対応がまずい、病院が解剖結果を教えてくれない、警察官の態度が横柄だと言って、そのような文面を調書に入れてくれと言われて、しなかった。この日は、被害少年の生い立ちや学校での出来事、被害者に対する感情を聞くつもりだった。岡崎さんの話を聞くことには聞いたが、非行事実に関係がないので、調書には書かないと言った。岡崎さんは納得がいかないと、署名捺印せずに帰った。
そこで、署名捺印を拒否された経過を書いた。
Q:被害者両親に対して、大きな声や威圧的な態度はとっていないか?
A:いない。
Q:もう一度、来てもらおうという気はなかったのか?
A:被害者に対する不利な部分が書いてあるわけではないし、そのまま提出したらいいと思った。上司に相談したが、被害者が感情的になっているということで、学校の先生や子どもから事情を聞いたことだし、説得しなかった。学校の主任からも話を聞いた。細かいことは忘れたが、学校でHくんと被害者との間に小さなトラブルがあったという内容だった。生徒はSくんからのみ事情を聞いた。学校でなんか言い争いになったのを見たという話を聞いた。
Q:実況検分には立ち会ったのか?
A:被疑者立ち会いの検証に立ち会った。犯行の状態を検証した。再現をやった。
Q:具体的にタッチした内容について。
A:記録のまとめをした。送検する書類をまとめて、検察庁に送致した。
Q:この事件では被害者側からクレームがついて、補充捜査が行われたが、そのことに関わったか?
A:直接は関係しなかった。本部の少年課がやった。地元警察はタッチしていない。
約30分で被告代理人からの質問は終了し、ここから原告代理人・登坂真人弁護士の質問になる。
Q:第一報をいつ、どういうふうに聞いたか?
A:警察庁内にいたとき、牛久一中の生徒のけんかがあったときいた。学校にいるということで、上司のO警部の指示で、3名で現場に行った。
Q:現場に行ったときにすでに他の警察官が来ていたということだったが?
A:初動は刑事課だった。
Q:現場保存はすでに行われていたのか?
A:現場に行ったとき、地域の警察官が何人かいた。
Q:具体的にはどのようなことがされていたのか?現場の写真撮影などはされていたのか?
A:関係者を中に入れないようにしていた。写真撮影は見ていないので、撮っていたかどうかはわからない。
Q:事件当日、事情聴取したのは?犯行状況を見ていたのは?
A:Sさん、Oさんの奥さんと娘さんの3人から話を聞いた。事件の前後で、犯行は見ていない。
Q:ほかに聞き取り調査はしなかったのか?一緒に行った2人の捜査官は?
A:Oさんの娘さんの調書を取って、署に戻った。他の2人は、調書作成の側にいて、3人一緒だった。
Q:10月8日に被疑者とは会ったのか?どんな様子だったのか?
A:夕方以降、H少年が取り調べ中のところを見た。泣いていた。H少年の様子については、調書は見たが、話は聞いていない。
Q:岡崎さんからは10月14日に話を聞いているが、Sくんから話を聞いたのはいつか?
A:10月14日より前。10月10日頃。
Q:岡崎さんに話を聞いたのはO氏からの指示があったのか?
A:そうだ。
Q:事件記録によると、事件の当日H少年の両親が警察に来て話をしているが、それがH少年の両親だとどうしてわかったのか?
A:学校から戻ってきたときに、他から聞かされてH少年の両親だと知った。顔を見た。
Q:被疑者の父親が警察官であることはいつ知ったのか?
A:当日知った。事件があってから初めてわかった。
Q:捜査が始まった段階で、関係している捜査員は、被疑者の父親が警察官だということを知っていたのか?
A:わかっていた。
Q:報告書は誰が作成したのか?
A:私が複数の捜査結果を一時的にまとめて課長が決済し所長に出した。送致記録のまとめもした。O課長が最終的にまとめた
Q:捜査報告書について、被疑者および被害者の着衣等について鑑定する必要があるとの意見具申が出ていたはずだが。鑑定書は読んだか?
A:当時は読んだと思うが、記憶にない。
Q:被害者の着衣についての実況検分はしたのか?法医学の三澤先生が事件後の10月9日に遺体を司法解剖しているが、着衣は見せたのか?
A:着衣を三澤先生に見せたかどうかは、自分にはわからない。
Q:捜査情報や捜査の方向性、情報交換は捜査会議で共有するのか?
A:捜査会議というものはない。生活安全課の朝の会議で、課長から話はあった。
Q:10月14日に岡崎夫妻に会う前に、事件を掌握したのはいつか?どのような経緯でか?
A:10月8日の事件当日、事件の概要を知った。目撃者や学校からの説明、担任の取り調べや被疑者の供述から。
Q:10月8日の事件当日に、3人の証人から話を聞いているが、誰も犯行を目撃していない。そのあとすぐに警察に戻っている。被疑者の両親が廊下にいるのを見たというだけで、一対一の素手でのけんかだと把握したのはなぜか?
A:10月8日、O課長から事件の概要として、少年2人の殴り合いの結果だと聞いていた。
Q:10月8日、3組のS教諭のみ調書があるが、他の先生からも聞いているのか?ほかに誰かが聞いているのか?現場にいた少年から事情は聞いたのか?
A:先生に聞いたのはいつかはっきりしない。現場にいた少年たちには当日は事情を聞いていない。夕方近くなって学校から帰っていたので、その日は聴取していない。
Q:事件当日、7時35分に緊急逮捕の手続き書がO氏の名前で書かれている。逮捕状請求書を午後9時2分に裁判所に提出している。竜ヶ崎署から土浦の裁判所までは車でどのくらいかかるのか?
A:約1時間程度。
Q:だとすると、午後8時ちょっと前にはできあがっていたことになる。事件記録は30分で書かれたということになるが、「被疑事実の要所」については、O課長か?
A:刑事課とO課長が当日の捜査資料から判断した。
Q:当日の8時には、日ごろから哲くんがH少年にけんかができないんだろう挑発して、一対一の素手でのけんかをしたと書いているが、それが当日の捜査官の共通認識だったのか?
A:そうだ。被疑者の供述資料で判断した。
Q:事件の2日後、10月10日付けで、「犯罪の情状に関する意見」が出されており、「被疑者は、家庭においては両親健在で観護能力がある。本件犯行は被害者から執拗に喧嘩をしようと挑発された結果の事件で、その結果は死亡という余りにも重大であるが、父兄が警察官という環境もあり今後少年の立ち直りが十分に期待できる」と書かれているが、H少年の生活状況に絞った捜査はされていたのか?
A:学校の先生から、生活態度などを聞いていると思う。
Q:10月14日に岡崎さんに竜ヶ崎警察署に来て欲しいと連絡し、最初にO課長が面接しているが、10月8日から14日までは岡崎さんと話したことはないのか?
A:事前には聞いていない。O課長が先に事件の説明をすると言った。どういう内容が話されたのかはO課長から聞いていない。O課長のあとすぐに事情聴取に入った。
Q:岡崎さんについては、O課長から事前に何か聞いていたのか?
A:岡崎さんは、H少年の父親と兄が警察官であることで、警察に不信感を持っているから誤解のないようにと言われ、慎重にした。O課長からどう言われたかは、当時のことは忘れた。
Q:岡崎さんと会う目的は何だったのか?
A:被害者のこと全体、生い立ちや家庭環境、学校での出来事、性格、趣味など聞くつもりだった。また、相手がいることなので、被疑者への感情や被疑者の親に対する感情を聞くつもりでいた。
Q:事件から一週間たっていないが、怒りがおさまっていないかもしれないとは思わなかったのか?
A:岡崎さんの父親は、被害者感情の部分で、Hくんや家族に嫌悪な気持ちはないと答えていた。Hくんや家族には恨みもありませんということだった。
Q:それを意外には思わなかったのか。別のところで、お父さんが、「怒りがいっぱいです。憎くないわけないでしょう」と答えているが、こちらのほうが本当の気持ちだとは思わなかったのか?
A:岡崎さんは良心的な親だったし、子どもには罪がないということなのだろうと思い、そのように書いた。
Q:署名押印なしの理由を述べた報告書を作った主旨は何か?
A:なぜ署名押印がないのか、付け加えの報告書で、普段から作っている。
ここから、原告代理人、大石剛一郎弁護士の質問。
Q:10月8日に現地で、Oさんの供述調書のなかで、あとから行ったときにGさんのおじいさんが付近にいたと書いているが、Gさんに事件を見聞きしていたかどうか聞いていないのか?
A:Sさんの話を聞いた。Gさんは他の捜査員が聞いたかどうかわからない。報告を受けていない。
Q:Gさんは、犯行の時間頃に複数の少年が林の中で「あっち行った」「こっち行った」と叫んでいるのを聞いたと言っているが。どうして供述調書を作らなかったのか?
A:Gさんの話は、どういう話をしているとか聞いていない。供述調書をとったわけではないので、わからない。犯行後のことで、直接現場を見ていないので、調書をとっていない。
Q:ほかのひとも誰も直接犯行は見ていないはずだが。Oさん、Sさんの調書もない。
A:Oさんの娘さんが一番早い段階での目撃者なので調書をとった。Gさんはたぶん、犯行を見ていなかったということだったので、調書を作らなかった。
Q:哲くんとH少年との体力差など、一対一の素手でのけんかということに疑念を抱いたことはないのか。けんかとは両方が殴り合うことだと思うが。
A:あとから身長など聞かされ、被害者のほうが大きく、力があると思った。
Q:当日の写真がここにあるが、Hくんの顔にも手にもほとんど傷がない。手には拳のところに殴ったような傷があるが。一方の哲くんは顔面を中心にひどく傷がある。抉られたような傷もある。体力的には上なのに疑問は持たなかったのか?一方的に暴行を受けたという評価はなされなかったのか?
A:被害者のほうがたくさん殴られたとは思った。
Q:一対一のけんかで、体力的に優位に立っている方が一方的に暴力を受けていることに対して、疑問は抱かなかったのか?
A:疑問を抱かなかった。当時は、被疑者の供述を重視していた。目撃者の話と総合した。被疑者は興奮して無我夢中で殴ったと言っていた。また、供述ばかりでなく、最初の段階で子どもから聞いている。学校の先生からどういう状況か聞いている。2人で行ったので、一対一と判断した。犯行状況を見たひとはいない。心配していた子どもたちの供述はあった。子どもたちが一番最初に駆けつけたのは、哲くんがぐったりしていから。H少年は大変なことになったと思って、助けを求め仲間を呼んだ。その後に、OさんとGさん、Sさんがきたと生徒が言っていた。
Q:Iさん、Sさん、Gさんが来て、そして間もなく3人くらいの中学生の男子生徒が来たのではないのか?A:3人くらいの中学生が現場近くに来た。名前はわかない。最初にいたのとかは判明しない。
Q:一対一の素手でのけんかだという加害者の説明と、写真にある暴行のけがとの矛盾は感じなかったのか?
A:・・・(間)・・矛盾は感じなかった。
Q:両親から10月14日に話を聞いたときに、被害者感情を中心に聞くということではなかったのか?
A:成績を含め、家庭環境、被疑者に対する処罰感情、被害者の感情について聞くつもりだった。被疑者と面識があって両親も親しい。それまで仲良くやっていた。父親(岡崎さん)がサッカーのコーチをしていて、町で会ってもあいさつする。親密な関係があったので、処罰は望んでいないと感じていた。
Q:父親は「嫌悪の気持ちはない」から、「怒りがいっぱい」と変わっている。被害者感情は再度話を聞くことを考えなかったのか?
A:調べる必要があるとは思わなかった。
ここからは裁判官からの質問。
Q:緊急逮捕のあと、被疑事実の要旨の内容について訂正する、あるいは提言する権限はあったのか?
A:事実が違っていれば提言する。起案は私ではない。
Q:動機や経緯について、被疑者の供述を事実としてそのまま記載することはあるのか?
A:あると思う。
Q:被疑者の供述が、検察庁から家裁で変わったかどうかは知っているか?
A:知らない。
Q:写真以外に検死調書が作成されたのか?
A:していない。検死に関する報告書は他には一切、作っていない。
その他いくつかの質問がなされたが、直接関わっていないのでわからないとの回答が多かった。
(以上の記録はできるだけ忠実に再現したつもりだが、私は記者ではないので、メモが追いつかず、聞き逃したり、よく聞き取れなかったりした部分もあり、勘違いしているかもしれない箇所があることを了解していただきたい。口調はすべて「です・ます」。時々、茨城弁が交じった。)
今回の証人尋問を聞いて、W氏が様々なことを意図したというよりは、上司であるO氏の指示に従っただけなのだろうと思える。法廷ではさすがに、岡崎さん夫妻に「一対一の素手でのけんかだ。なんでわからねえんだ。わかれ!」とすごんだという面影はない。
ただ、被疑者の供述のみを、たいした裏付けも取らずに、一方的に採用したという事実が、浮かび上がってきた。それにしても逮捕から30分後に書かれた報告書といい、現場に向かう前から、一対一のけんかという結論が出ていたことといい、両親の言っている内容の都合のいい部分だけを取って、被疑者の減刑に使ったり、といった当時の状況がそれなりに分かってくる。また、犯行時刻前後に現場近くにいたというGさんが、ここの場所だと犯行現場の特定し、それを警察は採用して現場保存しているにもかかわらず、Gさんの調書がまったく残っていないのは、素人が考えても不自然だ。事件前に通りかかった女性の調書が残っているのに。
そして、サッカー少年で体格もがっちりしていた岡崎くんと、当時は部活動もやめていたHくん。体格的にも差があり、一対一の素手でのけんかなら、一般的に見て哲くんのほうが優位に思える。それをW氏は認めながら、H少年には殴った拳の傷だけがあり、哲くんはぼこぼこに殴られたひどい傷があったことに、疑問を持たなかったという。けんかとは、相互に殴り合ったり、蹴りあったりすることを言うはずだ。一方だけが被害を受けているものをけんかとは言わないはずだが。
そして、常識から考えても、加害者は自らの罪を軽くしようとウソをついて当然だ。まして、相手が死亡していて、証言ができない場合には。それを、裏付けも取らずに、まるごと事実と認め、新聞報道までさせてしまう。一緒にいた少年たちにしても、当日すぐに事情聴取していたら、もっといろんなことが聞けたのではないか。夕方ですでに帰っていたから。一人の少年が殺されているというのに、いつから警察は青少年にこんなに優しくなったのだろう。比べて、被害者家族の言い分は何も通らない。冷たい対応。
警察の対応のおかしさが、証言からも見えてきたと思うのだが、裁判官たちがどう判断するかは、フタをあけて見なければわからないだろう。桶川ストーカー事件を見ても、国家賠償訴訟の道は非常に険しい。
次回、W警部補に指示したというO警部が証言台に立つ。この裁判の最大の山場になるだろう。
5月28日(水) 1時30分から4時30分の予定。水戸地方裁判所。302号法廷にて。
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