2002/5/15 | 岡崎哲くんの第三次(学校設置者である牛久市に対する)訴訟棄却!! | |
今日(2002年5月15日)、水戸地裁土浦支部で、第三次訴訟の判決が出た。 12時40分、この裁判では(私の知りうる限り)初めての傍聴券配布。50分までに25の傍聴席に対して24人が並び、抽選ではなくなった。 今日の判決に先立ち、岡崎さんたちに反発する人びとが大勢押し寄せてくるかもしれないとの噂が流れたという。実際には、背広姿の男性が4人ほど(行政側?)来ていたほかは、ほとんどマスコミ関係者と岡崎さんを支援する人びとだったが。 開廷してすぐ、テレビカメラが2分間の制止画像を撮影した。 家族席は2席用意されていた。しかし、記者席が前面でその後ろ。裁判を起こした原告がなぜ記者より後ろに座らなければならないのか、それが裁判所の決め事とは知りつつ、納得がいかない。 前回の東京地裁(加害少年への訴訟)判決には顔を見せなかった被告側の弁護士が、今日は来ていた。その段階で、被告側は勝機ありとみているのだろうかと少し感じた。 判決は「原告の訴えを棄却する」。具体的には原告(遺族)が訴えていた5つの点(裁判長の話した内容を全て書き取ることができなかったが、およそ以下の内容の5点であると私は認識)全てについて棄却するというもの。 1.ひとりの生徒が死亡するという重大な事件に対して、学校の安全配慮義務違反を問う 2.事件に関する事実調査を怠った怠慢 3.学校が様々な事実を知りながら、遺族に情報を開示せず隠匿したことで与えられた遺族の苦痛 4.教頭その他がマスコミその他にウソの情報を流し、被害者の印象を悪くしたことに対する、侮辱と名誉毀損 5.教頭が警察に対して殊更、被害者の否定的な面ばかりを供述したことへの名誉毀損 など全てにおいて、証拠などにより、その主張が認められないとした。 棄却した理由など具体的な内容については一切、裁判官は触れなかった。わずか5分程度で閉廷。 判決文が弁護士や原告の手に渡らない段階で、裁判所の外で記者会見が行われた。 敗訴はある程度覚悟はしていた。しかし、市民レベルの「ひどいこと」「許されないこと」が、行政には認められない。学校の安全配慮義務違反については、その立証の難しさから、主張が認められないことはかなり覚悟はできていた。しかし、教頭、校長の、岡崎哲くんに対する侮辱、名誉毀損は、教育者として、人として許されない。被害者に対しても、子どもを亡くした親に対しても許されざることだ、この点だけはどうしても司法に認めて欲しかったと、副島弁護士は力説した。 第一次訴訟(加害少年とその両親に対する)と、第二次訴訟(不当な捜査をした茨城県警、検察に対する)の2つが、事件が起きてからの対応を問うものであるのに対して、この第三次訴訟の半分は、事件になるまでの学校の対応(問題のある生徒を一クラスに集めて、何も事情を知らない海外から帰国したばかりの教師に担当させたなど)、事件の予見可能性を問うている。しかし、その事実関係を明らかにすることができなかった(法廷で教師は遺族に話した同内容を「そんなことはない」「そんな話はしていない」と全面否定)。そして第三次訴訟のもう半分、事件が起きた後の学校の対応。加害少年を守り、事件を忘却の彼方においやろうとする一方で、被害者を侮辱し、遺族の感情を著しく傷つけたことを問うた。 お父さんの后生(きみお)さんは言った。「結果は残念ではあったが、やることの意義はあった。誰かがこういう形でやらなければならないことだった」と言った。 学校側が、被害者にとって不利な情報を流した。(マスコミに一対一のけんか、2人は仲が悪かった、哲くんのほうから「けんかをやらないか」と誘い、「けんかができないのだろう」と加害少年を挑発したなど、調査もせずに、そういった事実が出てきていないのに、当日、翌日に被害者を一方的に悪くいい、加害者を擁護するような情報を流した。また、赴任して半年で、哲くんのことを名前と顔が一致するほども知らないのにもかかわらず、すぐカッとなる性格、自己中心的、本当の友だちはいないなどと、警察官に話した)そのことは、どうしても許せなかったと言った。 お母さんの和江さんは、記者に向かって言った。「この判決で、子どもたちの命と未来を本当に守れるかどうか、もう一度考えてみて下さい」と。 事件のあと、子どもたちが言っていたという。髪を染めたり、万引きをしたりすれば教師は生徒を怒るが、人を殺せばかえって教師から守ってもらえると。事件から2ヶ月後に加害少年が学校に出てきても、少年は反省も謝罪もすんでいるのだから、多少、おかしな言動があったとしても大目にみてやってくれと、わざわざ教師が生徒たちに念を押したという。実際には今だに遺族に対して一度の謝罪もない。そして、少年側が実質敗訴した第一次訴訟に対しても「認められない」と控訴してきたというのに。 一市民として、本当に、本当に、おかしな判決だと思う。 複数で取り囲んで殴り殺した少年と、手足に相手を殴った傷も防御した跡さえなく、遺体の顔に素手では到底ではないような鋭い傷を残して少年がひとり殺されたというのに、普通ならば、学校は平等の立場にたつか、命を奪われるというもっとも大きな損害を受けた側に立って当然であるのに、学校は全面的に加害者の味方をした。そして、その立場を貫くために、自分たちは警察ではないから調査は一切しなかったと言いながら、被害者の少年の悪いことばかり、何の根拠もなくあげつらい、遺族がやってもいないガラスを割っただの、女性教師の髪を引っ張っただのして暴れたと吹聴し、真実を知りたいと何度も足を運ぶ遺族に対して、情報を開示しないだけでなく「金が欲しいのか」「俺の首でもとるか」と侮辱し、法廷でさえわざわざ被害者の悪性証明をしたいと言った学校。 子どもの命を守るべき学校が、死者にムチ打って、それが許される。何の落ち度もないとされる。 殺された生徒を悪く言い、殺した生徒の味方をする学校とは一体なんだろう。 そんな恐ろしい学校に、安心してわが子を預けられるだろうか。殺され損、殺し得。加害者はついに少年審判でも裁かれることはなかった。民事で病死とされていた死因が暴行死に変わったとしても、だからといって少年審判に戻って罪を問われることはない。 加害者の人権やプライバシーはことさら言い立てるくせに、被害者の名誉をズタズタにする学校。子どもを亡くした遺族の悲しみに寄り添うことなく、傷口に塩を擦り込む学校、それを許す司法もまた、学校と同じ程度の人権意識、命の尊厳に対する認識しかないということだろう。 今日の法廷に遺族は哲くんの遺影を持ち込んでいた。替わる前の裁判官は最初の許可以降、持ち込むことが許されたという。それが新しい裁判官になって、毎回、許可申請が必要だと言われたという。そしてその度に許可を出す書類の手続きに対する料金が請求される。 しかも遺影は大きさが決められ、ハンカチなどでくるむことを要求される。膝の上で立ててはダメ。寝かせておかなければならない。 何のため?誰のために?加害者が動揺するといけないからと聞いたことがある。しかし、現実にはただの一度も加害少年もその両親も法廷に顔を出していない。まして今日の判決には証人の生徒たちがいるわけではない。 本来、原告は哲くんだ。しかし、亡くなった哲くんが自ら来ることができない。だからせめて本人の代わりに遺族が遺影を持ち込んでいる。遺影を見て動揺する?動揺して本当のことをしゃべってくれるなら裁判官にとってもそのほうがいいはずだ。 それとも、遺影に顔向けできなかったのは裁判官だったのだろうか。 理由のはっきりしない法廷の決まりごとは、まるで学校の規則のようだと思う。理由がなくても従うことを強要される。嫌なら出て行けという。学校と法廷が同じに見えてくる。教師と裁判官が同じに見えてくる。これほどの人権侵害がまかり通る。学校にどんな目にあわされたとしても、裁判でさえ勝てないのだから、みな黙って泣き寝入りしろということなのか、そのための見せしめなのかと思う。 なお、控訴するかどうかはまだ不明。遺族の気持ちとしては控訴したい。しかし、三つの裁判を同時に進めるなかで、力を第二次訴訟一本に絞らざるをえないかもしれない。第二次訴訟こそが、裁判官が「この裁判は新しい人格権を訴えている」と評した最も大事な裁判だから。 この敗訴の判決をかかえて、遺族が地域で暮らしていくことは辛いだろう。勝訴してもバッシングがあり、敗訴すればそれみたことかと言われる。子どもを亡くした直後よりも、月日を経て心の傷は癒されるどころかかえって深められる。せめてこれ以上、遺族を傷つけないでほしい。 詳細がわかり次第、また報告したいと思います。
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