昨日、岡崎哲(さとし)くんの両親が起こしている3つの裁判のうち、第一次訴訟の東京地裁での判決が出た。片山良広裁判長は、被告(加害者少年とその両親)に対して、約5600万円(請求は1億)の支払いを命じた。副島(そえじま)洋明、大石剛一郎、登坂真人、三氏の弁護団は、「実質勝訴」との評価を下した。
この裁判での最大の争点は、哲くんの死因にあった。
加害少年の父親と兄が現役の警察官であることから、当初から捜査にはさまざまな疑問を遺族は抱いていた。何度も変わった哲くんの死因のうち、少年審判が選んだのは石山鑑定。哲くんの死は暴行によるものではなく、もともと心臓に疾患をもっており、けんかのショックによる「ストレス心筋症」で死んだというものだった。
遺族と弁護団の執念が実って、判決では「腹膜にリンゴ大の鬱血があることから、被告少年のけっして軽度とはいえない打撃に相当の因果関係がある」として、哲くんの遺体を解剖した三澤医師や法廷で証言した上野医師が診断を下した「神経性ショック死」と認められた。石山医師が指摘した哲くんの心臓の身体的特徴については、内臓が平均値とは違うが、死因とは関係は認められないとした。石山鑑定は採用されないとした。
ただ、原告側が裁判で主張したブリーフに付着していたものは、血と尿であることは認めても、血尿とまでは言えないとした。(おそらく、血尿であることが判明すれば、血と尿よりも更に腹部への強い打撃があったと認定されるされるのではないかと思う)
また、事実認定に対しては、他に目撃者がいないことを理由に、「一対一のけんか」であり、被害者が一方的にやられたという証拠はないとした。
そして、「哲くんが、特に理由もないのに加害者にけんかをしようと持ちかけた」として、2割の過失相殺を行った。(もっとも、H少年についても、放課後にわざわざジャージに着替えており、「今日、けんかをする」と公言しており、けんかをする気満々であったと認定している)
この民事裁判で、暴行と死亡との因果関係を認め、少年審判での認定をくつがえしたことになる。
ここで、遺族が警察官の身内かばい意識が働いた不当な捜査があったとして国と県とを訴えている第二次訴訟にも、関わってくると思われる。
記者会見を聞いていて、弁護団と遺族との判決の受け止め方、事件の受け止め方の差を感じずにはいられなかった。
弁護団はあくまで法に照らして、浮かび上がってきた事実しかみない。
「一対一のけんか」であったこと、「哲くんからけんかをふっかけた」ことの事実認定については最初から争うつもりはないと言った。
過失相殺についても、通常、けんかで死亡した場合は3割から5割の原告過失相殺が課せられるという。「一対一のけんか」としながらも、結果の重大性を考慮して心証として、2割程度の過失相殺はむしろ評価できるとした。
しかし、遺族は哲くんの名誉にかけて、「理由もなくけんかをする子ではない」「隠された真実がきっとあるはずだ」と思っている。その断片を同級生たちの証言のなかでいくつかは拾えている。
そして、自分たちの足で見つけだした「少年たちが叫び声をあげながら誰かを追っていた」という目撃者の証言などから、「一対一のけんか」ではないと思っている。H少年と親しかったグループの少年たちが一緒について行って、二人がただ話し合い、けんかになり、哲くんが倒れるまで、遠く離れたところでただ、H少年のことを待っていただけとは納得していないだろう。
遺族は「死人に口なし」の悔しさを語った。
何より、裁判で加害少年を証人として法廷に呼べなかったことが一番、残念でならない、なんのために裁判を起こしたのかわからないと遺族は言う。
弁護士の大石先生の解説では、裁判官はH少年を法廷に呼んだとしても自分に不利になることはけっして言わないだろう。遺族の感情を逆なでするだけだと判断したのだろうということだった。
しかし、どんなに神経を逆なでされることであったとしても、事件後一度も謝罪にも焼香にも訪れないまま、東京へと転居して行った加害者の口から、事件のことを直接聞きたい、顔をあわせることで少しでも遺族の痛みを知って欲しいと願ったに違いない。
写真週刊誌「フライデー」が加害少年を取材している。(2002/3/22発売)
訪れた記者に少年は、「(謝罪には)一度も行ってはいません」「この3月に高校を卒業しました。就職も決まり、4月から働きます」と答えている。裁判のことを訪ねると「そういうことは親に聞かないと」と言って、父親が電話で記者を怒鳴りつけ、息子に「このことは弁護士に任せている」と伝言させた。
しかし判決当日、弁護士をはじめ被告側と思しき人間は一人も法廷に来なかった。
すでに敗訴を予想していたのか。あるいはテレビカメラが入るというのを敬遠したのか、被告席は空席のまま判決要旨が述べられた。
裁判を通して、このごろつくづく思うことがある。特に民事訴訟はあくまで損害を金額に換算して勝ち負けを競うものであって、真実を明らかにするためのものではないのだと。
そして、被害者と加害者の間には高くてぶ厚い壁がある。民事の場合、被害者は一度も法廷に出なくともすんでしまう場合がある。被害者や遺族が、その悔しさを訴える相手は、加害者ではなく、裁判官であったり、一般の傍聴人であったり、マスコミに対してである。
被告側は弁護士まかせで、ほとんど思い煩うことさえないのではないか。
そして、損害賠償金。一人の人間の命にしてはあまりに少ない金額。敗訴した被告側に支払い能力がなければ、破産宣告をされてしまう。そして、ある程度の支払い能力がある場合には、金額を払ってそれで過去を帳消しにして、すっきりしてしまう。あるいは、本人たちの懐は一切痛まない税金だったりする。
死因が病死ではなく、暴行よる死と認められて本当によかったと思う。
しかし、遺族に対して「おめでとう」とは言えない。素直に喜べない。
哲くんは二度と帰らない。真実は今だ隠されたままだ。事件をめぐる多くの大人たちの責任の所在もあいまいにされている。
そしてもし、この判断が、少年審判で出ていたとしたら、加害少年はおそらく保護観察程度ではすまなかっただろう。改めて最初の少年審判が不当な調査・処分だったこと、そのために加害少年は反省の機会さえ遺失してしまったのではないかと残念に思う。
「相手が警察官の息子で運が悪かったなどとは思わない」と支援者のなぐさめに対してお母さんが答えた。「真実を明らかにしていかなければ」と改めて決意を見せた。きっと、相手がどこの誰だろうと求めるものは同じ、という意味に私はとった。
この判決はまだ確定ではない。控訴期間は2週間。被告側はもちろん、原告側も全面的に認められたわけではないので、控訴することは可能だという。私たちはただ待つだけだ。
岡崎さんが牛久市と牛久第一中学校を訴えている第三次訴訟も2002年3月25日に結審した。判決は5月15日(水)午後1時10分から、水戸地裁土浦支部にて。
なお、昨年の三多摩「学校・職場のいじめホットライン」の学習会で、岡崎夫妻が約1時間半にわたって話してくれた内容をテープ起こしし、ご本人にも加筆訂正していただいたものがプラッサ16号と17号(こちらは発行予定)に連載されている。やはり、当事者の語る言葉が一番、重たい。哲くんがどんな少年であったか、息子が殺された後、被害者遺族がどのような目にあってきたかが、両親の思いが切々と語られている。ぜひ、お読みいただきたい。
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