埼玉県桶川のストーカー事件民事裁判控訴審が、本日の公判で結審した。
11時00分から開廷。この時間の電車の連絡が悪くて、いつもより時間がかかってしまった。30分前の傍聴券配布に間に合わなかったが、101号法廷に行くと、傍聴券の余りをもらって入ることができた。渡された傍聴券は30番。ほかにも遅れてきたひとがかなりいたようなので40人は入っていると思うが、今までに比べると少ない。
10席ほど設けられた記者席はほぼ埋まっていた。
まずは最終書面の確認のあと、控訴人の代理人弁護士から、最終的な主張が口頭で述べられた。
日本は法治国家である。自分の身を守ろうとするとき、自ら武器を携え闘うことはできない。国民は憲法上、被害を受けたとき、あるいは受ける恐れがあるときに、警察に助けを求める、保護を求める権利がある。警察には、国民を保護する義務がある。国民の安全確保が警察の任務である、という法律論に乗っ取った主張がされた。
しかし、猪野詩織さんや家族が上尾警察に何度も助けを求めたにもかかわらず、捜査や保護など適切な措置を行わなかった。それどころか、自らの失態を隠すために、書類を改ざんするという犯罪行為までした。
事件直後、警察はテレビカメラの前で、詩織さんを守れなかったことを謝罪した。しかし、遺族が警察を訴えると、被害者や家族を冒涜するなど二次的被害までもたらした。
一審のさいたま地裁判決では、上尾署の危険性発見や予見性、回避の可能性、警察の対応と詩織さん殺害との因果関係などを否定した。唯一、小松和人への警察の接触や警告など適切な対応をとらなかったことに違法性を認めた。
しかし、今回の控訴審で警察は、平成12年にストーカー規制法ができる以前には、法的根拠がなく、和人らへの接触や警告ができなかった、だからやらなかったと主張してきている。
それに対して、弁護団は平成9年から12年にかけての調査を提示。つきまとい行為に対して警察が警告を出したのは全国で254件。その86%以上に効果があったという。
法的根拠が明確にされていなくとも、警察が任意でやっている捜査や保安、犯罪予防活動などはいっぱいある。市民、国民の生活、生命・身体の安全を守ることは警察の責務として書かれている。法的根拠は存在する。
つまり、上尾署が、法的根拠がないので、つきまといの犯人との接触や警告ができないと、本当に思っていたとしたら、それ自体が勘違い、間違いであり、できるのにやらなかったという自らの過失を認めたようなものだという。
最後に遺族からの本人陳述(下記参照)が行われた。この内容について、報告会で猪野憲一さんは、「くやしくて、悲しくて、詩織のことが頭に浮かんでくるとしゃべれなくなるので、感情を押さえた。詩織を亡くした悲しみを乗り越えて、私たちが勝たないと、詩織が殺されて汚名も晴らすことができないし、その後も草加や加古川事件など、未だにきちんとやってくれない警察官の姿勢がある。桶川事件の反省はどうなっているのか。国家賠償裁判は勝てない、そんな世の中にはできない。詩織を殺された両親というだけでなく、みなさんとともに闘っていかなければいけないと思っています。次回、極めて重要な結論が出ますが、もし、高等裁判所の判断が間違っていたら、最後まで闘う決意です。」と話した。
終了したのは、11時20分。
いつもの通り、裁判所裏の弁護士会館で報告会が行われた。
弁護団から、「この裁判は、国民の身を守るために警察は何をするべきか、を明らかにする裁判」であると説明があった。
桶川事件では、詩織さんが殺害される前に、警察にはもっとやるべきことがあったのではないか。6月15日に最初に詩織さんは警察を訪れて、和人の凶暴なところ、殺されるかもしれないこと、何とか助けてほしい、身を守ってほしいと訴えた。詩織さんが3月に別れると言ってから、つきまといは始まっていたが、完全に決別宣言をしたのが、6月14日。それからはストーカー行為であることは明らかだ。名誉毀損行為からは、犯罪ができあがった。ガサ入れをするとか、文書についていた指紋を調べるとか、印刷物がどこで刷られたものか鑑定に出すなど、するべきではなかったかとの主張がなされたという。
そして、この控訴審では2つのことを強調したという。
ひとつは、この事件はストーカー行為による被害であること。一審では、名誉毀損については予測がついても、身体的加害行為については予測ができなかった、警察にも予見のしようがなかったと判断された。しかし、ストーカー規制法ができる前から、つきまといの嫌がらせはエスカレートして、身体・生命にまで危害が加えられる恐れがあることは常識だったということを強調したという。
そして、もうひとつは、実行犯である小松武史、久保田祥史、伊藤嘉孝、川上聡の刑事判決が2003年12月に出た。民事訴訟の一審では、まだ裁判中だったため、あまりひっばり出すことはできなかった。その大量の証拠が出た。特に小松武史の刑事裁判では重要な記録が明らかになった。いつから、詩織さんへの身体的加害行為、殺害は計画されていたのか。一審では、詩織さんらが警察に訴えた時点では切羽詰まった状況にはなく、ずっと後から身体的加害行為は計画されたとされたが、実際には6月時点から計画されていたことの裏付けがされた。詩織さんが友人に命の危険を訴えていた、警察に和人は危険だから守ってほしいと詩織さんが訴えていたことのすべてが本当だったことの裏付けられたと弁護団は考えている。
猪野さんに、今日、法廷で読み上げた陳述書のコピーをいただいた。サイトにUPすることの許可もいただいいたので、ここに掲載させていただく。この裁判にかける遺族の思いが詰まっている。
<陳述書> |
2004−10−18 猪野憲一
娘詩織が、殺害されてから丸5年が過ぎようとしています。詩織がよく面倒をみていた小学4年生だった次男も今では、中学3年生になっています。
娘は生きていれば25歳です。ひまわりのように明るく活発な娘は、高校受験を控えた次男のいろいろな悩みを聞いてあげ、又将来の希望や、夢の語り相手になっていてくれたことでしょう。
だが、それすら出来ず娘は、未だに家族が集まる居間の見渡せる部屋の中央で、遺骨のまま、語ることも出来ず、私たち家族をそっと見つめ、無念の思いで寂しく時の流れにさらされているのです。まさに家の明かりは、消えたままです。
しかし、このような事態は避けられたと思うと悔しくてなりません。
半年に渡る犯人たちの攻撃から、家族の身を守るために、上尾警察署に何度も出向き、身を守って欲しい、犯人を捕まえて欲しいと訴えてきたではありませんか。このとき警察は告訴がなければ動けない、小松和人を逮捕できないというから、身を守ってもらうために、警察に守ってもらおうと告訴したんです。告訴が受理されたときは、本当に私たちは安心しました。
けれど、警察は動いてくれませんでした。なぜ、詩織や私たちの訴えを真面目に聞いてくれなかったのか。刑事事件の裁判でわかったことは、詩織の言っていたとおりじゃないか、ということです。なぜ、娘の言うことを聞いてくれなかったのか。警察は、殺されるまでは何もしない組織なのか。詩織を見殺しにしておいて捜査記録まで改ざんして、そして、国会やマスコミの前では謝罪しながら、今でも、娘のことを悪く言ってまで責任を認めないのはなぜなのか。怒りが頭のてっぺんから噴出して来そうな感じです。
この裁判は、市民国民の間で大きな関心事になっています。身を守って欲しいと被害者が警察に駆け込んでいっても、警察はこの被害者を守るどころか見殺しにしてしまった。そして警察は今でも責任逃れをしているのです。
市民と警察の協力で、「犯罪被害を撲滅しよう!」などと近頃盛んに言われていますが、趣旨はそのとおりでありますが、それは全く実体の伴わない絵空ごとになってしまいます。
もっと分かって欲しいのです。市民の人間の命の大切さ、尊さをです。
そして、その命を守る義務がある警察の責任転嫁は絶対に認められないのです。
そんな馬鹿なことが認められるのであれば、此処は暗黒の世の中になってしまいます。
お願いです。裁判所は、この事件の真実を見極め、公平な審理をやって頂き、二度と私たちのような不幸な被害者を、この国から出さないような、私たちが理解出来る正しい、厳しい判決を出していただきたいのです。
以 上
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判決は、来年(2005年)1月26日(水)、午後1時30分から。
お母さんが言う。一審判決が2月26日だった。そして二審判決が1月26日。詩織さんが殺害されたのは1999年10月26日。つまり月命日にあたる。この偶然に因縁めいたものを感じる。あの子も一緒に闘っているのだなと思うと。今月26日は命日。親としてこんなにつらいものはないという。まだ骨はお墓に持っていけないので、一緒にいます。娘の前で寝ているという。
桶川ストーカー事件に関する「わたしの雑記帳」バックナンバーは me010420 me010515 me030303 me031222 me040525 me040702 にあります。
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