わたしの雑記帳

2001/5/15 桶川ストーカー殺人事件にみる報道被害(一部5/16追記)


1999年10月26日、桶川市の駅前で、殺害された猪野詩織さんのお母様からご案内をいただいて、新聞労連関東地連主催の「新聞研究集会」に出かけた。
テーマは、「報道被害とジャーナリズム〜桶川女子大生ストーカー殺人事件から〜」
コーディネーターは、鳥越俊太郎氏(テレビ朝日報道番組「ザ・スクープ」・現スクープ21のキャスター)
パネラーは、猪野憲一氏(被害者・猪野詩織さんのお父さん)、
清水潔(きよし)氏(写真週刊誌FOCUS記者・この事件で警察より早く実行犯にたどり着き、県警のミスを暴いた。「遺言」〜桶川ストーカー殺人事件の深層〜/2000年10月新潮社発行/1400円+税の著者、同ページのリンクで同氏のホームページ三流ジャーナリズムの部屋を紹介)
高橋秀樹氏(同事件を担当した共同通信さいたま支局記者)、
山路徹氏(APF通信社代表、フリーディレクター、鳥越氏と二人三脚で県警の捜査ミスを明らかにした)

以前、犯罪被害者の方たちの決起集会のシンポジウムにも参加したことがあるが、今回、事例が一つに絞られていたこともあり、より具体的に、もし犯罪被害者(遺族)になったら、どういう目にあうのかが見えてきた。
シンポジウムでの運びとは少し異なるが時系列で少し追ってみたい。

1999年1月 女子大2年生だった猪野詩織さん(21)は、カーディーラーと偽った小松和人(後に北海道で自殺体となって発見)と知り合う。わずか2カ月の交際で、詩織さんから別れ話を持ち出す。
その後、3月からずっと殺される10月まで、小松に脅されたり、中傷ビラをまくなどの嫌がらせを受けたり、何百回もの電話をかけられたり、自宅前に小松から頼まれた人間が車で乗り付け大音響の音楽を流したり、金にあかせてグループ(計15人)でストーカー行為を行った。
6月には、小松と一緒に今回の刺殺犯人を含む3人が自宅に押し寄せ、小松が詩織さんの関心をかうためにむりやり押しつけたプレゼント品などの返却を要求。父親は上尾署に相談のうえ返還。(これも後にまるで詩織さんのほうから要求したかのように報道された)
その後も中傷ビラなどストーカー行為は続き、家族で警察に助けを求めるが相手にされなかった。
そして、10月26日、午後零時55分頃、殺害される(後に実行犯として元暴力団員で元風俗店店長の久保田祥史逮捕)。

この日、母親がまず警察に呼ばれた。気が動転していたのだろう、夫の会社名が思い出せない。夫に連絡がついたのは3時頃だったという。ただ、猪野憲一氏によれば、それまで何度もストーカー被害の相談に同署を訪れており、その際に名刺も渡しているので調べる気になったら調べられたはずだという。
遺体の身元確認のために対面できたのは母親だけで、その後すぐに司法解剖に回されたために父親である同氏は遺体と対面すらできなかったという。
その日、警察で夜までずっと事情を聞かれたという。しかも何度も何度も担当が替わり、そのたびに同じ内容を繰り返さなければならなかった。その間、妻は泣いたり、気分が悪いと訴えていたというが、「早く犯人を捕まえたいでしょ」と人間味の感じられない言葉や態度で繰り返されたという。

そして、警察からようやく解放されたと思えば、警察署の前にはすでに報道陣が詰めかけていた。裏口から出て自宅へ向かったが、60人〜70人のマスコミがいて、その日は家に帰れないと思ったという。
ドンドンと扉を叩く音。一歩家を出れば、「一言話してください」とマイクを向けられ、フラッシュがたかれる。しゃべらないとすまないという圧迫感。押し合いへし合いしたカメラが迫ってくる威圧感。
娘が殺されたばかりで、感情の整理もなにもつかないうちのマスコミ攻勢。
葬儀場にもものすごい数のマスコミが訪れ、遺族の車も会場に入れなかったという。しかも、葬儀会社のドライバーにマスコミから「遺族から写真を撮ってもいいOKをもらっている」とウソの電話まである。
翌日も、家の周囲が真っ暗ななか、もうマスコミはいないと思っていたら、突然10数人のマスコミが現れた。「今の心境は?」と聞かれて、「静かに休ませてください」と言ったという。
車のドアを閉めようとすれば手を挟んでくる。怪我をさせないように気を遣えばその隙に写真を撮られて、それがテレビで放映される。詩織さんの写真と並べて父親の顔写真が報道され、町も歩けなくなった。
遺族は弁護士をたてて、マスコミとの接触を一切シャッタアウトした。

その間のマスコミの行動が、パネリストとして参加したジャーナリストから明かされる。
県警に対する記者クラブでの質問が、なぜか、事件とはまったく関係のない、被害者の服装や持ち物に集中したこと。「女子大生」というキーワードに飛びついたマスコミが思い描いたのは、当時ヤマンバギャルなどが流行っていたこともあり、今どきのギャルらしさ。
しかも、それに対して警察はご丁寧にブランド名まで公表している。
今どきは女子高生でもブランドのバックや時計を身につけている。厚底サンダルなど小学生でもはいている。しかし、それがわざわざ報道されると派手な印象を受ける。
テレビのワイドショーではコメンテーターが、取材もしていないのに憶測で、「この娘は何か握っている」「シャブなどヤバイ情報を見聞きしたのではないか」などと言っていたという。

若い女性が被害にあうと、必ず頭に「美人」がつく。「美人女子大生」。
遺族がマスコミとの接触を断っている間に、警察を通じてますます情報が操作されていった。面白おかしく、スキャンダラスに。詩織さんはすっかり、男好き、ブランド好きのキャバクラ嬢に仕立てられてしまった。
実際には、かつて事件の1年も前に友人に頼まれて2週間だけ、お酒を出すようなところでアルバイトをした。(私の知人にも、キャバレーでレジのアルバイトをしていた若い女性がいるが、事件になったら彼女もりっぱなキャバクラ嬢?)加害者が風俗店の店長をしていた(詩織さんはカーディーラーだと思っていた)ことと結びつけて、ホステスだのキャバクラ嬢だのと報道された。
遺族は、テレビ局等に抗議の電話をかけたが、なかには「遺族の許可をもらって報道しているからいいんだ」と堂々とウソを言う局もあったという。(後に鳥越さんの番組で各マスコミに対して報道した根拠についてのアンケート調査をしたが、取材の結果を総合的に判断したなどと、明確な答えは得られなかった)
新聞記事にも誤りが多々あった。警察発表だけを鵜呑みにして、記者が書いているからだ。(当時、警察は自分たちのミスを隠すために、遺族とマスコミとの分離を画策していた。)訂正記事が後日出ることがあっても、どこに書いてあるのかわからないほど小さかったという。

一度報道されたものは取り返しがつかない。
新聞はウソは書かないと多くの人が信じている。一人歩きした噂にずっと苦しめられることになる。
まるで被害者に殺されても仕方がないような原因があったと言わんばかりの報道。(本当は、キャバクラ嬢だろうが、何人もの男性とお付き合いをしていようが、ブランド好きの派手好みであったとしても、殺される理由にはけっしてなり得ないのだけれど)
今だに詩織さんのことを事実は違う人間像で思いこんでいる人間がたくさんいる。そういう私自身、最初のスキャンダラスなニュースは印象が強くてよく覚えているが、実はそうではなかったという訂正の報道のほうは、どこかで見た気はするものの、桶川の事件のことだったのか、他の似たような報道被害の事件だったのか記憶があいまいで、はっきりと認識できたのは今回のシンポジウムがはじめてだった。

それでも今回、救いはあった。
詩織さんが友人に「私が死んだり、殺されたりしたら、犯人はコイツだから」と言っていたという。そのことを自らの地道な取材で知った清水潔記者が、「遺言」として重く受けとめた。ストーカーをしていたという男性の周辺をあたる。そこには警察の姿も多くの報道陣の姿もなかったという。そして、目撃証言と一致する男を見つけだして、警察に通報する。それから逮捕までは更に2週間あったという。
マスコミを拒否していた遺族も清水さんには逢っている。自分で調べてきた事実を元に「このことについて話したい」と言われたからだという。

そのフォーカスの記事を読んで、警察のあり方はおかしいと、無関心な周囲を説得して企画に持ち込んだのが鳥越俊太郎氏。実際に動いたのが山路徹氏。
警察を相手にするには家族の証言が必要と、マスコミ不信から拒絶する遺族を根気よく説得したという。それでも、もしも放映後、警察に説得されて証言を翻しでもすれば、番組がとぶ覚悟もしたという。
このことをきっかけに、埼玉県警の調査が入り、告訴調書を改ざんしたことが発覚する。

シンポジウムでは、記者クラブの問題点や現場取材しない記者の問題、政府主導の人権救済を隠れ蓑にした国家権力による報道規制の問題などにも触れられた。自分たちの手で規制しようという新聞労連の「報道評議会」案も出された。
会場からは、1999年5月14日に15歳から18歳の少年8人にリンチのうえ殺害された飯島友樹くんのお母さんがいらしていて、世間に知ってもらいたい、監視してもらいたい公権力のあり方や事件の行方については、過去のこととしてなかなか取りあげてもらえないなどといった、猪野さんとは逆の立場からの発言があった。リンク集の中の マイ・エンジェル・Yuuki を参照。

現在、桶川の事件は裁判で係争中だ。(同サイトのインフォメーション参照)遺族が小松和人の両親(本人は亡くなっているので)と殺人や名誉毀損の実行犯17人を相手どって損害賠償を起こしている。
そこでも、前面に設けられた報道席より後に遺族は座らなければならない。そこにほとんどひとがいないときも、気を利かした記者の方が席を譲ってくれても、「平等というきまり」があるからと裁判所の係りに言われた。被害者遺族と全くの他人とを平等に扱うことのどこに正当性があるのかわからないが。
内容を聞いていると声をあげて泣きたくなる時もあるという。しかし、泣いては傍聴席から押し出されてしまうからハンケチを噛みしめながら、一言一句聞き逃すまいとしてメモをとるという。
そんな遺族の感情を逆なでするように、頻繁に出入りする記者や居眠りする記者。(裁判官も例外ではなく、その辺りのことは清水記者のウェブサイトを参照)
いつまでこんなことが続くのだろうと思う。その気になれば、裁判所はいくらでも遺族に対して便宜をはかることができるはずだと裁判の傍聴に行っていて思う。それも大した労力をかけずに。ここでは、当事者たちよりも、その代理人である弁護士のほうが優遇されている。
遺族を苦しめるものは、報道だけではない。警察も、司法関係者も、世間も。何も知らないときには、被害者の味方になってくれる人たちだろうと思えた人々が、実際には遺族の思いを踏みにじり、傷つけている。

いずれにしろ、事件と報道の問題はこれからも繰り返されるだろう。それは報道する側だけでなく、視聴者の問題でもある。ペンは剣より強し。しかし、そのペンも諸刃の剣であるということ。私たちの望む報道のあり方とはどういうものなのか、その中で何を選び取っていくのか、折に触れてこれからも考えていきたい。
報道についてのあれこれは、「わたしの雑記帳」の
2001/4/20 「権力と闘う人びと」
2001/2/28 「茨城県の水戸地方検察庁がかかわったある事件について」
2001/1/31 「加害者の言い分と被害者遺族の言い分」
にも書いてあるので、時間と興味のある方は要参照。


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