わたしの雑記帳

2003/12/22 桶川ストーカー事件・猪野詩織さんの裁判


今日は、猪野さんが埼玉県警を訴えている国家賠償訴訟控訴審の傍聴に行ってきた。
場所は霞ヶ関、東京高裁。午後3時から開廷で傍聴券配布の締め切り時間が午後2時半。2時ちょっと過ぎには着いてしまい、少し早すぎたと思っていたが、すでに20人以上が傍聴券を求めて玄関前に並んでいた。
傍聴席は95席。それを超えると抽選になる。今回も、前回に引き続き抽選にはならず、全員が入れた。
12月に2時間スペシャルドラマで桶川事件のことが取り上げられた(以前のものは清水潔記者の「遺言」が原作。今回は鳥越俊太郎氏の本が原作)ので、もっと傍聴人が多いかと思っていたが、暮れということもあってか、思ったほどではなかった。部屋は101号法廷。ここが一番広い法廷なのかもしれない。

裁判長からの文書確認のあと、控訴人(猪野さん)側の3人の弁護士から口頭で準備書面の概略と説明があった。裁判後の報告会での内容とあわせて報告する。

県警は詩織さんの置かれていた状況について、切迫した状況にはなかったと主張。
付帯控訴では、一審でわずかに認められた、名誉毀損程度の嫌がらせが再び起きる可能性があったと認定したことに対して、それさえも当時は予見できなかったと主張。嫌がらせはトーンダウンしてゆく傾向にあった、収まっていたと言う。
そして、当時はまだストーカー行為の概念は定まっておらず、生命に対する被害は想定されていない。従って、詩織さんに生命に危機が及ぶことは予測できなかったと言う。
さらに、県警は小松和人の行為はストーカーとは言えないと主張。
詩織さんが殺された後もストーカーかどうかはわからないと言う。傷害等の危険はなかったし、嫌がらせ行為も予見できなかったと主張。
ストーカー規制法が議員立法で成立するにあたって提出した当時の文書は、世論の批判を交わすために被害者の言い分のみを認めたものだったという。

つまり、この期に及んで、詩織さん殺害にまで至った小松和人の一連の行為は、ストーカーとは言えない。犯行は当時、収まりつつあり、その後エスカレートすることも、まして生命に危機が及ぶなどということも予想できなかった。だから、自分たちが詩織さんを救えなかったとしても、無理はなかったと主張している。

対して、猪野さん側の弁護士は、小松和人の行為はまぎれもなくストーカー行為であり、それは刑事裁判における小松武史の供述からも明らかであると主張。12月25日に刑事裁判の判決が出るが、そこで更に明らかにされる部分があると思う。詩織さんへの意趣返しとして、名誉を貶めることや、強姦までも計画していた。そして殺害した。
また、実際に詩織さんが殺害される以前の行為も、嫌がらせはビラ貼りから、父親の会社への嫌がらせ電話など、エスカレートしていたと主張。また、県警は集団ポストに配られたビラは穏便なものだったというが、ビラには詩織さんの写真と一緒に電話番号が書かれており、ビラを見た不特定多数の人間が嫌がらせの電話をすることを意図したもので、けっして穏便とは言えない。計画的で執拗なものであったと主張。
当時すでにストーカー行為は社会的にも認知されており、身体への危機がうたわれていたが、その極限が死であると主張。ストーカー行為が繰り返されれば生命身体に危機が及ぶことは当然、予測できたと反論。

裁判官は双方に、そろそろ主張は出尽くしたのではないか、人証など証拠調べの必要があるかどうかの話し合いに移ってもいいのではないかと打診した。それに対して、前記のように小松武史の刑事裁判の判決が出るので、その内容をみてみないとわからないと回答した。
報告会のなかでの弁護団の話では、刑事事件の証拠も被害者側は一部しか見られていないという。判決後に追加開示があれば、和人の関与ももっとはっきりするだろうし、詩織さんの身体に対する危機がどのようにせまっていたかが、わかるはずだということだった。
それらを見たうえで書類を作成する関係から、次回の口頭弁論は2004年3月15日、午後3時から(傍聴券配布は30分前)に決まった。(時間に遅れた場合でも、傍聴券が余っていれば、係りのひとに言ってもらうことができる)


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今回、全国犯罪被害者の会の岡村さんが傍聴にいらしていた。
報告会で感想を求められて、日本は国が安全を守ってくれる代わりに国民は武装解除している。しかし、危ないから助けてくれと言っても助けてくれない。ある犯罪被害者は精神障がいのある人間から加害行為を受けた。心神喪失とは認められず、心神耗弱であったとして結局、加害者は刑には服したが、出所に際して、警察に守ってくださいと頼んだ。しかし、警察の答えは「四六時中守るわけにはいかない」と言うものだった。その人は結局、自分を守るために猟銃の許可をとったという、内容の話をされた。
日本もアメリカのように、それぞれが自衛のためと称して銃を持つ社会になってしまうのだろうか。そうしたなかで、決して安心して暮らせるとは思えないが。

詩織さんの母・京子さんが言った。警察は必死になって訴えても活動してくれなかった。殺されるとまで言って、何度も訴えたのに。行けば、顔を覚えてもらえると思って、警察には何度も足を運んだ。
よく、警察は被害者が殺されなくては動かないというが、ストーカーというりっばな犯罪に対して、それでも動いてくれなかった。
ある議員さんから、事件後、警察に顔のきく議員を連れていけば警察は動くのに、なぜ連れていかなかったのかと言われた。しかし、議員を連れていかなければ動かないのか。
それに、警察は告訴を出せば動く、助けてくれると言った。だから、7月の暑いなか何時間も待たされて、告訴状を出しに行ったのに、それを取り下げ、助けてくれなかった。

事件後も捜査に協力した。役にたつならと娘のシステム手帳まで出した。写真やテープも出した。警察官から「膿を出し、より良い開かれた警察をめざしますから」と言われて、娘を助けてくれなかった警察に協力するのは不本意ではあったけれど、事件直後に夜遅くまで体を壊してまで調書づくりにつきあった。
それが、国家賠償裁判をするなかで、警察はシステム手帳を遺族の承諾もなく、勝手に平気で使って、それを元に勝手なシナリオを作って出した。協力してつくった調査報告書も、世間を騒がせたから、(事実とは違うが)ああいうものを作らざるをえなかったなどと言って、しっぺ返しをする。
娘はストーカー法をつくるために死んだんではない。助けてほしかった。解決してほしかった。
警察には非を認めてほしい。残念で終わらせたくない。そして最後に、「裁判は弱い市民の最後の砦です」と話された。

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詩織さんの事件をきっかけに議員立法でストーカー規制法ができた。しかし、そのために娘は死んだのではないと言う。おそらく、あちこちで言われ続けてきたのだろう。「詩織さんの死で、ストーカー規制法ができてよかったね」と。まるで、そのために詩織さんの死があったかのように。
詩織さんの死は仕方のない死ではなかった。その行為にストーカーという名前がつこうが、つくまいが、明らかに違法行為、犯罪行為があった。本人も家族さえも、命の危険を感じていた。だからこそ、警察に何度も救いを求めた。しかし、なぜか警察は動かなかった(その理由として、暴力団と警察の癒着の噂が流れている)。もし、警察が真剣に取りあっていれば、動いてさえいれば、救えたはずの命だった。殺されてよかったことなど、被害者や遺族にとって何一つない。

そして、事件直後は世論に押されて、いかにも反省しています、謝罪しますというポーズを取っていた警察が、国家賠償裁判という、歴史的にみてもほとんど勝ち目の薄い土俵のなかで、牙を剥きだしにする。本性を少しずつ露わにする。世間がうるさいから、あの時は認めたが、本当は自分たちは悪いとはこれっぽっちも思っていないと。それを立証するためなら、手段を選ばない。犯罪の立証のために遺族が提出したあらゆる証拠のなかから、被害者の足元をすくうものばかりを選んで、別のシナリオを組み立てる。自分たちを有利にするためには、被害者を誹謗・中傷し、遺族攻撃の手を弛めない。

もし、猪野さんが国家賠償の裁判を起こさなければ、私たちには見えなかった姿だ。警察は自分たちの非を素直に認め、詩織さんの死はストーカー規制法のなかで教訓として生かされたと思い込んだだろう。
まさか、ストーカー規制法のきっかけとなった事件を今さら、あれはストーカーではない、単なる痴話げんかだなどと警察が言うなど想像だにしない。では、ストーカーとはなんなのか。あの捜査が違法ではないと考えているということは、第二第三の詩織さんに対しても同じ対応をしようということなのか。
そして、こんな驚くほどいい加減な警察の主張が、すでに一審では通ってしまって、原告側が敗訴しているという事実。国家権力の強大さ。それが、ますます増長したらどうなるか。
国家相手には勝てない。それでは裁判の意味がない。公正な裁判だとは言えない。

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なお、事件の概要については、当サイト内「わたしの雑記帳」バックナンバーのme010515、一審判決についてはme030303を参照していただきたい。  
もしくは、桶川ストーカー事件国賠訴訟を支援する会 http://okegawa-support.web.infoseek.co.jp/ のサイトがあるので、詳細をご覧いただきたい。




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