2003/12/29 | 警察の少年事件放置について | |||||||||||||
2003年12月23日の讀賣新聞に、「茨城県警 236の少年事件放置 93−01年計10署、15人処分」という見出しの記事が載った。「放置されていたのは、1993年から2001年までに起きた窃盗、恐喝、傷害などの少年事件。容疑者の少年がほぼ特定されたが、本人の供述が取れなかったり、共犯者との供述が一致しないなどの理由で検察庁に送る調書が完成せず、そのまま放置されていた。いずれも容疑者が成人となったり、時効を迎えるなどし、家裁での審理が実質的に不可能となっている。」「同県警では10月、笠間署での少年事件計50件の放置が発覚、関係者6人を処分する一方、ほかの26署についても調査した」とある。 そして、結果として、「特に多数の事件放置があった水戸、土浦、石岡署の当時の生活安全課長・係長の計15人を所属長訓戒や所属長注意処分とした」とある。正直いって、えっ、処分はそれだけ?という思いがある。単なる書類の出し忘れなどという時限の問題ではない。加害者が放置されたということはすなわち、被害者も放置されたということだ。おそらく、勇気をもって警察に告訴したのは事件のうちごくわずかだろう。それが、そのまま中途半端に放置されたとしたら・・・。訴えた被害者は報復を受けなかっただろうか。少なくとも、その可能性に怯え続けたことだろう。そして、事件が放置されたことで、おそらく何倍もの、あるいは何十倍もの、被害者が生み出されたはずだ。 犯罪行為を行っても罰せられなかった子どもたちが、簡単に犯罪行為をやめられるはずがない。 少年事件が凶悪化しているとして、厳罰化に移行している。しかし、大人たちは打つべき手を打っていない。結局は、子どもたちにそのツケは回る。 茨城県警と聞いて思い浮かぶのは当然、岡崎哲くんの事件だ。哲くんの事件は1998年10月8日。上記の事件の範疇に充分はいる。 2001/2/28付けの「雑記帳」(me010228)を参照してほしい。岡崎さんは、自分の息子の周辺の事件のおかしさを訴えていた。私自身もいくつかのマスコミに情報提供してみた。しかし、反応はなかった。 警察のおかしさに気づいている人たちはたくさんいたのではないか。にもかかわらず今日まで伏せられ、小さな記事で終わろうとしている。そして、あれはあれ、これはこれ。岡崎哲くん事件の捜査に関することには、何の不備もないと県警は主張するのだろう。 事件の放置は茨城県警だけではない。近年の事件をざっと拾っただけでもあちこちである。恐らく、氷山の一角にしかすぎないだろう。
少年事件の被害者の多くは少年だろう。もちろん、大人も特にバイクなどを使った窃盗事件などでは狙われるが、暴力をふるわれるのは主に少年だろうと推察する。そして、被害にあった少年が今度は自分が加害者となる。 (バイクを盗まれた少年が腹を立てて、自分も他人のバイクを盗んだりするということをよく耳にする。あるいは上級生から恐喝された少年が、自分が上級生になったときに同じことを後輩にする)。 表面上では、少年犯罪の取締りをうたっている警察が実は、少年事件にあまり熱心に取り組まない。そのことが、加害と被害をより深刻なものに、あるいは広範なものにしているのではないかと思える。 そして、そのことに対する認識が余りに低い。それは処分の軽さにも現れている。 多くのいじめ撃退マニュアルには警察に被害届けを出そうとある。しかし、その警察が動かなければ、絶望感は大きい。明らかに犯罪性のあるものでさえこの扱いで、軽微な犯罪行為やいじめで警察が本気で動いてくれるか疑問だ。そして実際に、暴力行為や恐喝の被害者の多くは警察に訴えて、何もしてくれないことに絶望している。少年の厳罰化以前に、大人たちが少年事件に本気で取り組むこと。そして、少年に対して厳罰化を声高に言う大人たちが、自分たちの行為には甘い。もしくは、権力構造のなかで、うやむやにされてしまう。そのことから是正していかなければならないのではないだろうか。
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