2012/3/6 | 記述の訂正あるいは削除の依頼について | |
2012年3月6日、「水戸検察審査会 上申署名書」の件で、私のところに以下のメールがきました。 文面に、「事実確認をされないでこのような掲載をされましたことは残念に思います」とありますが、現実的に、一市民でしかない私が、このサイトに書かれているすべての内容について事実確認をするのは不可能です。 (おそらく、専門家であっても) また今回のことについてではありませんが、「登場する人物一人ひとりの許可をとるべきだ」と言われたこともありますが、これもやはり不可能です。 事実を確認して、本人への許可をとったうえででないと、サイトに何も書けないというのも、やはりおかしなことだと思います。まして、これはサイトの冒頭に書いてあるとおり、公の立場でつくっているものではなく、あくまで個人サイトです。 このサイトのいちばん大きな目的は、子どもたちがおかれている現実をできるだけ多くの人と共有して、よりよい社会にするために、ともに考えていきたいということです。事件・事故から少しでも多くの教訓を引き出し、再発防止につなげたいということです。 もちろん、だからといって何を書いてもよいのだとは思っていません。 わざわざ訂正のご連絡をいただいた方には、できるだけ誠実に対応したいとは思いますが、その内容をも事実確認することができないこともあり、このような申し出があったことをここに掲載させていただき、あとはこれを読む方に判断していただくことで、私の誠意とさせていただきたいと思います。 なお、溺死した少年の親からはねぎらいの言葉もなかったということですが、遺族は混乱して、どういう方たちが捜索活動に協力してくれたのか、自分たちは当時、誰に、何を言ったのか、夢のなかの出来事のように、何もわからない、覚えていないということがよくあります。まして、別のひとに怒りの矛先がある場合は、それ以外のことは見えなくなりがちです。 もちろん、メールをくださった方が、「お礼の言葉が欲しくての行動では有りません。」と書かれているように、このメールにそのことを書かれたのも、お礼の言葉が欲しくて書いたのではないでしょう。 一生懸命に協力したのに、まるて一部責任があるように思われるのは釈然としないということではないかと、勝手に想像します。 *********************** 管理者様 お世話になります。 2001年2月28日付け文面におきまして掲載されております文中で「那珂川河口の飛鳥マリ−ナに係留している・・・・・・・」について現在は飛鳥マリ−ナは存在しません。 また当時は記載されておりますような同艇が飛鳥マリ−ナに係留されておるような事実は有りませんでしたことを申し添えます。 確かに当時は同艇が捜索救助作業をする上で同マリ−ナを利用し同マリ−ナは捜索救助作業に対して全面的に協力を行いました。 事実確認をされないでこのような掲載をされましたことは残念に思います。 亡くなられました方にはお悔やみ申し上げますが亡くなられました方の関係者からは同マリ−ナあるいは同マリ−ナ所属艇が全くの無償で捜索救助作業をご遺体発見まで続けられたことに対し何らのお言葉も無かったことは残念に思います。 お礼の言葉が欲しくての行動では有りません。 ほとんどの方は関係した同艇の船長とは無縁の方ばかりです。 捜索救助に参加されました方は皆さん海の男だからです。 上記の理由により文面の訂正あるいは削除をお願いしたく思います。 以上 宜しくお願い申し上げます。 ○○○○(氏名) |
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2001/2/28 | 岡崎哲(さとし)くんの裁判(2/26)傍聴報告と、その周辺の事件について(3/6追記) | |
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2001/2/28 | 茨城県の水戸地方検察庁がかかわったある事件について (赤字色 2012/3/6 ) |
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今年1月、私のところに1枚の署名用紙が送られてきました。(期間が短く、署名集めはすでに締め切られています) その内容については、地元でもなぜかあまり報道されなかったとのこと。署名が集まったことに対して、小さな記事になっただけだといことです。 岡崎さんの事件もあわせて考えると、どうにも腑に落ちないことばかりなので、ここにあえて同文を転載させていただきたいと思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 水戸検察審査会 御中 上申署名書 平成11年8月22日午前11時40分頃、那珂川河口にて茨城県立茎崎高等学校1年の池田政利が溺死した事故がありました。 水戸地方検察庁は、平成12年12月28日、引率者の県警庁亀有署巡査長に対して不起訴処分の処理をしていますが、(亡)政利の両親はこれを不服として水戸検察審査会に対し審査申立をしました。申立の内容の概略は次の通りです。 上記巡査長は現職の警視庁警察官ですが、事故当日同人の息子(高校1年)と同級生の(亡)政利と政利らの共通の友人1名を、那珂川河口の飛鳥マリーナに係留している同巡査長の所有するプレジャーボートに乗船させて海遊していましたが、途中スピードを上げて沖合に出たために、上記高校生2名(巡査長の息子以外の高校生2名)は気分が悪くなり「岸に戻りたい」と巡査長に願ったところ、巡査長は大洗沖まで出たプレジャーボートを引き返しましたが、岸から約50〜80メートル地点まで近付いたとき、巡査長は「ここから泳いで(岸に)行け」と高校生3名を促しました。 そこで、泳ぎのできる(亡)政利以外の2名は海中に入り岸に向かって泳ぎ始めましたが、(亡)政利は泳ぎができなかったために、友人2名の後から海中にはいったものの、プレジャーボートの後尾梯子につかまって海中にはいっていたところ、巡査長の運転するプレジャーボートが発進したため、(亡)政利の身体はプレジャーボートから振り落とされてしまい、ついに政利は溺死してしまいました。 当時上記高校生3名がプレジャーボートから海中に下りた地点は、川幅が約200メートル、水深が約15メートルあり、遊泳禁止にはなっていないものの、その頃事故現場近くで釣りをしていた人の話によると「大人でも泳ぐには危険な場所だ」とのことでありました。 上記巡査部長はプレジャーボートの所有者でもあり、何回か現場を海遊した経験もあるので、事故現場が危険な場所であることは認識していたはずですし、巡査長の息子と(亡)政利は高校の同級生でもありますので、政利が泳げない子供であることは知っていたはずであります。仮に万一、巡査長がこの点を知らなかったとしても、当時ボートには救命胴衣が用意されていたので、この救命胴衣の使用を促すべきであったと思われます。 以上事実関係の概略によれば、上記巡査長には(亡)政利の溺死について重大な過失があり、刑事処分は免れないと思いますので、一同連署して上申します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 大人がついていながら、その大人の行為によって、子どもが溺死している。 ここには書いていないが、本来なら、警察や自衛隊の訓練生でもない普通の高校1年生の彼らが、ボートに乗って「気分が悪い」と言っているならば、岸にとって返すのが普通の大人の行動ではなかったのか。 具合が悪かったのが、自分の息子でも巡査長は同じようにしたのだろうか。 そして、岸から50〜80メートルもあるなら当然、泳げるかどうか本人たちに確認するべきであるし、海に下ろしたあとも、岸にたどり着くまで、安全を確認するのが当然ではないだろうか。 準備体操もなしに海に、気分の悪い人間を泳がせるために入れたのだから、心臓マヒや足がつる可能性もある。流れにのまれることもある。監視員のいるプールではないのだから、安全を確認できるのは、同行した大人しかいないはずだ。 詳しい経過はわからない。しかし、被害者の親が自ら立ち上がらなければならなかった背景には、それなりの理由が考えられる。事故がおこったあとの対応は誠意のあるものだったのだろうか。 巡査長は、現役の警察官だったから罪に問われなかったのではないか。 もし、仮にこれが、少年だけの事件だったとしても、泳げない政利くんを海に入れたことの責任を問われるのではないか。 思い出すのが、1985年の明日から夏休みという日に、小学校4年生の小田陽一くんが溺死した事件だ。最初は、陽一くんが溺れているのを助けようとしていたと言われていた中学生が、実は、陽一くんに水中メガネをつけさせ、「泳いでみい、潜ってみい」と水中に突き落とし、一度岩にしがみついた手を離されて、水をかけられて溺れ死んだ事件だ。両親が提訴して約5年半後、自分たちがコツコツと足で集めた証拠をもとに、ようやく原告側の主張する事実が認められた。 しかし、「事件の真相を把握していたにもかかわらず、原告や報道機関に虚偽の事実を伝えた」ということで訴えられていた警察の不法行為に対しては、度重なる控訴にもかかわらず、遂に最高裁でも、「捜査結果の告知は捜査機関の裁量範囲」として敗訴している。 被害者の味方だと信じていた警察に裏切られる。そんなことがあっても、いいのだろうか。まして、事件の証拠のほんとんどは警察が握っている。それを素人がひっくり返さなければならないとしたら。 加害者が身内であるために、事実が歪められることがあっても、よいものだろうか。そして、現実に、いくつもの事件の中で証言されている警察の身内かばいの実状。あるいは、初動捜査での誤りをごまかすために次々と塗り固められていったウソ。 そして、報道が権力によって左右されるとしたら・・・。事件はその事件のみではない。警察に逆らったことで、他の情報を流してもらえないとなったら困るのは報道機関のはず。取引は十分に成り立つだろう。 法治国家のなかで、私たちはいったい何を信じて良いかわからなくなっていまう。自分たちの都合にあわせて、黒も白と言いくるめてしまう、子どもたちはそんな大人たちを信じられるはずもない。 |
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