わたしの雑記帳

2003/8/9 岡崎哲(さとし)くんの裁判結審(2003/8/6)。被控訴人・母親の意見陳述。

2003年8月6日(水)。午前10時から東京高裁で、加害少年の暴行による死亡を認めた一審判決を不服として、被告側が控訴していた裁判が結審した。
最終弁論のなかで、被控訴人(岡崎さん)母親の意見陳述を5分ほど法廷で述べさせてほしい旨が、弁護士からあって、許可された。

5分という限られた時間のなかで、言いたいことはもっとあったと思われるが、母親の凝縮した思いが傍聴する人びとの心に熱くひびいた。岡崎和江さんから当日の原稿をいただいたので、ここに掲載させていただく
(少年の氏名を仮名に、読みやすいように一部の漢字を平仮名に、段落をつけさせていただいている)。

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平成12年(ワ)第4,235号
 東京高等裁判所 民事第20部御中
          
                           意 見 陳 述     
                     
                                               茨城県牛久市×××
                                                    被控訴訴人岡崎 和江


この度は、貴重なお時間を頂きましたこと、裁判官の皆様には心より感謝申し上げます。
事件から、4年と9ヶ月29日の月日が過ぎようとしています。
事件当時15歳の中学三年生であった加害者Hさんは今年4月8日に20歳を迎え、確かにこの国の大人の仲間入りをされたのだろうと推測することでしか私ども被害者遺族にはうかがい知る余地は全くありません。
どのような更正過程を得、結果どのように事件を把握し、これからはどのように社会に貢献して行こうというのでしょうか?
そして未だに、Hさんからの謝罪の手紙すら全くありません。

去年3月27日、東京地裁・片山良廣裁判長判決で、平成11年8月25日の少年審判決定を覆し被害者岡崎哲(以下、哲)の右下腹部への決して微力ではないHさんの暴行があったことが認められました。
少年審判が覆されたにもかかわらず、この国の責任において未だに事件の経緯や犯行動機、犯行態様などが検証し直されておらず、私たちへの説明責任もなされていません。
加害者本人のHさんご自身からも未だに連絡すらありません。

決してふるってはいけない暴力で決して奪ってはいけない命を奪った、その加害行為を行なったHさんに、この法廷においてご自身が起こした事件の真実を語り説明責任を果たして欲しいと申請してきましたが、この願いも聞き届けられませんでした。市民にとっては理解の及ばないものです。

それにしても、これでもかと裁判で繰り広げられ続けたHさん側からの死因を含めての人間哲のへの対応は、本当に苦しく辛すぎるものでした。読むに耐えなかった答弁書控訴文、一行読むのに1週間かかったことさえありました。あまりの誹謗中傷のひどさに吐き気を我慢しながら読みましたが、限界がありました。寝込みました。体が動かなくなり、家事をすることもできない毎日をしばらく送りました。まるで夢遊病者のように生きた心地がしませんでした。
何を元にここまで哲の人間性を否定し尽くさねばならなかったのでしょうか、理解できません。
哲の輪廻転生する機会さえ奪うかの控訴人らの事実を無視し真実を侮るかのようなあまりにも哲の命を蔑視しする、この常軌を逸した対応に今でも私たち被害者遺族の心と身体は蝕み苦しめ続けられています。

日本の風土には「罪を憎んで人を憎まず」という諺が定着しています。
"罪を憎んで"という事は、起きた事件に社会性を持たせ、その事件を社会で学び合いなさい、尊い命に学びなさいという先人たちの知恵、地域社会に対する戒めへの知恵だと私は以前からそう理解していました。
犯罪者を犯した人が悪いんじゃないから、罪が悪いんだから、犯した人に罪を問うなと言っているのではないと思います。
ですから、哲の事件で裁判を申し出た時の思いは公憤でした、そして今も公憤として闘っています。
Hさんも事件の社会性をしっかり認識し、しっかり真摯に真実を語って欲しいと願ってきました。
私たち家族は今となっては歪められた哲の名誉を、事件の真実を回復することが願いです。

Hさん聞こえますか? 覚えていますか? 哲の最後の顔を。
哲は右下唇をかたくかみしめて亡くなっていったようです。
この哲の遺体の写真は、「嘘だろう!まさかそんなこと!暴力は良くないだろう?」と君たち友だちを信じて亡くなっていったことを訴えかけてきます。


「凶器使わず?一対一の素手でのけんかで殴り合う?」これが事件翌日の各新聞や地方版の見出しに踊った文字でした。
私どもは事件の概要すら茨城県竜ヶ崎警察署からも、事件当日、翌日も、その後も説明もされていません。
事件当時は竜ヶ崎警察からの発表をもとに書かれた新聞記事からでしか事件の概要を窺い知ることができませんでした。
警察がしっかりと捜査をしてくれているものと信じ込んでいましたから…。
そして、ある程度しっかりと事実関係が認定できた時に、改めて警察からは被害者に対しての人権に配慮した上でのより詳しい説明をしていただけるものと待機していました。

一対一の素手で殴り合ったとされた哲の手、腕には、顔面に残された抉られたような傷、額に残された一辺1センチ弱程の正三角形の頂点3つの不思議な刺し傷など、多くの傷を防御した痕跡や殴り合ったとされる痕跡すらない、きれいなきれいな手でした。これらの顔の傷は二度現場の砂利道に転んでできたことにされていますが、どなたに聞いても私たち遺族に哲のためにも真実を明らかにすることを望まれます。

決してふるってはいけない暴力で、決して奪ってはいけない、かけがえのない命を奪う行為をしたHさん、この決して許されない行為を実行したあなたが事件の真実を嘘偽りなく心から真摯に語り、哲の名誉を回復し、そして心から真摯に反省・謝罪をしなおし続けてくれることを哲と共に願わずにいられません。

哲の死の原因や名誉をしっかり回復させるこの裁判を闘う意味は、被害者の人権や権利を確かなものにしたいと言う願いと共にもあります。
事件直後からHさんへの減刑嘆願書が5000名分家庭裁判所へ提出されていました。
その経緯においても多くの方からの疑問が寄せられました。その後事件翌年、「あまりに早い事件直後の署名だったので事実関係すらわからず、また被害者の岡崎さんと和解したなどのコメントまでつけられており、成り行きでやらざるを得なかったが、誠に不本意であったため是非署名を撤回をしたい」と、50名の方が名乗り出てくださりHさんの減刑嘆願署名撤回届を水戸地検へ随時送付してきました。
時期的には茨城県警の再捜査後平成11年2月下旬からになります。

Hさんは事件後2ヶ月後の12月には学校に戻りました。茨城県牛久市立牛久第一中学校の生徒たちは「人を殺してどうしてあんなに早く学校に出て来れるんだろうか」と、口々に不安を漏らしていたと言います。
事件の周りの子どもたちにも真実は必要とされました。この事件後地域の子どもたちは、「やるんだったら今のうち。万引きなんかよりも人を殺すような重大な事件はかえって学校も警察も地域も守ってくれる」と少年法の盲点や大人社会の不誠実な対応から、あってはならない処世術を学ばされた子どもたちが多かったと聞きました。
ですから、牛久市ではその後、マルヤ少年事件(平成12年発生、未解決)、学校での事故、事件の発生が後を断ちません。

真実を導き出すことは被害者の回復のためだけではありません、社会への再犯・犯罪抑止力として、特に児童・少年達の健全育成のためにも必要とされます。加害者の真の反省と更正と謝罪の継続のためにも明らかにされなければならないと思います。
被害者の母親の声をお聞き下さり、哲と共に心から感謝申し上げます。

                                                       平成15年8月6日
      

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和江さんは、ひとつひとつの言葉に込められた思いを噛みしめるように話した。H青年に訴えかけるように話した。
しかし、法廷にはH青年は元より、両親も、一度も来ていない。弁護士たちを通じて、遺族のこの思いが届けられるのかどうかもわからない。
控訴審の和解案のなかですら、金を出し渋り、直接の謝罪を一切拒む態度。控訴理由には、哲くんの下腹部への暴行が死因となったと鑑定される元になった写真を、他人のものではないか、と言ってきた。
被害者のどこに、それをする必要があるのか、どのような発想をもとに、そのような発言がなされるのか、理解しがたい。疑念は、解剖医経由で提出された警察が撮影した連続写真やフィルムで、岡崎哲くん本人のものに間違いがないことが確認された。

加害者のそのような被害者や家族の名誉や思いを踏みにじる行為のなかで、加害者本人から直接話が聞きたいという、一縷の望みを遺族は抱き続けてきた。加害者から今だ謝罪ひとつなく、いまもって責任逃れするために、裁判のなかですら被害者の名誉を貶め、遺族を攻撃するようなことを続けている、そのことを裁判官たちはどう考えるのか。「加害少年も今はりっぱに更正しているのだから」とは何をもって言える言葉なのか。
裁判官も人間であるなら、殺された子どもの親の思い、なぜ裁判をしなければならなかったのかを、訴え続ければわかってくれるはず。その思いは加害少年と保護者、学校、警察をそれぞれ訴えた3つの裁判、控訴審を含めると5つの法廷で裏切られ続け、ついに取り上げられることはなかった。

被害者はひたすら法を遵守して、その限界のなかで最大限の真実を知る努力を積み重ねる。相手のプライバシーや人権にすら配慮しながら。被害者を平気で呼び捨てにする相手に対して敬称すら付けて。罵倒ではなく、真実を語ってくれることを、ひたすらお願いしている。
法を冒したものが法によって守られ、人権を奪われたものたちが法によって様々な制約を受ける。この極端なアンバランスはどういうことだろう。法のもとでの平等とはいったい何を指して言うのだろう。
裁判というものを知れば知るほど、限界と矛盾を感じる。人権を守る最後の砦と考えていたものの無力さを感じる。私たちは自分たちの権利を守るために、法に頼る以外の道を模索しなければならない。そのために銃やナイフを手にとる人びとに対して、どんな道を示せるのだろう。

この控訴審のもうひとつの焦点は、一審で過失割合を加害者8に対して被害者2に認定したこと。事件の翌日から、哲くんのほうがHくんに「けんができないんだろう」としつこく誘っていたという報道が駆けめぐった(警察を訴えている裁判のなかで、捜査の元責任者は加害少年の供述のみを事実として採用したと証言し、広報を担当した元警察官は調書には残していないが、いろんな人からそのような証言があったと証言した)ことを思えば、この割合は哲くんがけんかを仕掛けたという内容を否定したものと十分考えられる。過失2というのは、せいぜいが、Hくんを相手にしてしまったこと、加害者グループにおとなしくついていってしまったということの割合だろうと思われる。この割合がどうなるかが、注目される。

次回はいよいよ判決。2003年10月22日(水)。1時10分から、東京高裁817号法廷にて。
哲くんの名誉を守るために和解を蹴った両親の思いが少しでも反映される判決を期待したい。




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