わたしの雑記帳

2001/10/17 岡崎さんの裁判・教師たちの証言


昨日(10/16)、水戸地裁土浦支部での第三次訴訟(牛久市・牛久第一中学校)において、3人の教師の証人尋問が行われた(原告側は7〜8人の教師の証人申請を行ったが、裁判所側が提示したのは2人のみ。説得してようやく、学年主任と、事件当日のトラブルを目撃した教師、加害少年らの担任の3人が認められた)。

哲くんのお母さんは申請して、法廷に遺影を持ち込んでいた(遺影を立てた形では申請が通らず、横に寝かせた状態でと指定があったという)。「この子の前です。先生方、本当のことを話してください」と言うかのように、証人席の真後ろに座った。

3人の教師は皆、体格もりっぱで、思ったより若かった(証言順にS36、S37、S42年生まれ)。何故か、3人とも紺の上着にグレーのズボン。それがまるで制服のように見えた。

一人目の証人N教師は、哲くんたちの1、2、3年時の学年主任で、3年間哲くんに国語を教えていた。加害少年Hくんと哲くんは2年生の時に、同じクラスだったということで、その時だけHくんの教科を受け持ったことがある。Hくんが3年の一時期入っていたという野球部の顧問でもあった。

このN教師に、遺族は事件後2回ほど、弁護士とともに自宅を訪れ会っている。その時に話してくれた内容と法廷での証言はまるで別ものだという。「ウソばっかり」とお母さんが悔しげに唇を噛んだ。
法廷で証言するN教師の発言はよどみなく、はきはきとしている。見た目には、ウソをついているようには見えない。

ここで新たに出てきた事実は(遺族や弁護士の先生はすでに知っていたことだが)、
(1)2年時の哲くんとH少年の担任のA教師が、3年生のクラス替え編成の時に、「Hくんと岡崎くんとを分けましょう」と申し出たこと。後から聞いたという理由では、「Hくんが、岡崎くんとつきあっていくのが辛くなってきた。Hくんは他の子ともつきあいたかったが、岡崎くんと付き合うと範囲が狭くなる」と言っていたという。
(2)そしてもうひとつ。普通は2年の担任がそのまま3年の担任へと持ち上がりになるが、何故かA教師は担任からはずされた(原告側いわく、そのことをA教師は不満に思っていた)。そして、代わりに、平成1年から7年まで牛久一中に勤務して、その後バルセロナに行っており、事件のあった年(平成10=1998年)返ってきたばかりの3人目の証人、S教師がいきなりHくんらの所属する3年3組の担任となった。
この3年3組には、H少年のほか、現場に一緒にいたEくん、当日「私が原因かもしれない」と病院で泣いていたMさんがいる。

「3年3組には特別元気のいい子どもたちが集められたのではないですか?」の問いには、「偶然です」と言う。遺族と弁護士が自宅を訪ねたときにき、3年3組にトラブルメーカーが集められたと言っていたというが、法廷では、HくんやMさん、Eくんがトラブルメーカーである認識はないと言う。
事件のあった10月8日の警察調書には、事件の原因・動機について、「MさんとHくんの岡崎くんに対する悪口をSくんが聞きつけて岡崎くんに伝えたことから、岡崎くんがはらを立てたと聞いている」とのN教師の供述が書かれているが、「どういう話をとらえて、こういうニュアンスになったかわからない」と言う。「私の署名はないはずです」と言う。警察が勝手に作った証言なのだろうか?

N教師の証言では、クラス編成は元担任の意向を汲み、岡崎くんとHくんを引き離す理由については深くは詮索しなかった。3年3組が特にトラブルの多い生徒を集めたとか、この学年は特に荒れているなどの認識はない。誰を担任につけるかは、校長が決めることで、4月1日に知らされて、その決定に従っただけという。

2番目の証人のT教師は、3年1組の担任で、事件当日のトイレ前でのトラブルを目撃したと考えられている証人。
10月8日事件当日、帰りの会をしている時(3時45分頃)に、教室の外から「ウォー」とかいう叫び声のような大声を聞いた。締め切っていたドアを開けると、階段の踊り場から上がってくる途中(もう少しで階段を登り切るところだった)の哲くんがいた。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないです」
「なんでもないのに、そんな大きな声を出すはずがないじゃないか」
「僕がHくんに変なことを言っちゃったから、彼が怒って殴ったんです。僕がカッとなって大声を出した。でも、もう何でもないです。大丈夫です先生」
そう言って、自分の教室のほうに戻っていったという。その時の哲くんは冷静で落ち着いて見えた。服装も乱れていなかったと言う。

この事件のことをH少年と哲くんの側にいて現場を目撃したというN少年は「哲くんはHくんに掴みかかられて、ワイシャツのボタンが2つとれた。Hくんに下腹部を蹴飛ばされて大きな声をあげた」と法廷で証言している。しかし、T教師は、哲くん以外に、Hくんも、Nくんも見ていないという。
一方で、事件翌日にとられたT教師の調書では、「声が聞こえた。廊下には他のクラスの生徒が何人もいた。3人が目の前を通り過ぎていった。最後に岡崎くんが来た」と証言している。(H少年の供述では、その直後、哲くんが3年3組の教室まで来て、「放課後、待っていろよ」と言っていたという)

また、事件後すぐにN教師は現場に駆けつけているが、その時の様子を、「HくんとOくんがいて、Oくんは近くでしゃがみ込んで泣いていた。Hくんは非常に興奮して暴れたため、R先生と暴れないよう2抱きかかえて私の車で一緒に学校に戻った。」「教師2人で抱きかかえて引っ張り上げて、3〜5分後に警察が来た」という。

3人目の証人。S教師は、バルセロナから帰国したばかりで、1、2年の様子を知らないにもかかわらず、いきなり3年3組の担任を命じられて、学年やクラスについての特別な申し送りは何もなかったという。Hくんのことや2年で同じクラスだった哲くんとわざわざ引き離したことなども聞いていなかったと証言。

生徒間のトラブルについても気付かなかった、当日のトイレ前でのトラブルについては聞いていなかったとした。
また、帰りの会は、全員がいることを確認してから始めたという。岡崎くんが3年3組に来たのを見ていないし、「待っていろよ」と言ったのも聞いていない。Hくんがこの時すでにジャージに着替えていたかどうかは記憶にないとした。

事件直後、S教師は文化祭の準備のため、準備室にいたところ、A教師が、非常に興奮した状態のHくんをつれて入ってきた。Hくんは、「たいへんなことをした。どうしよう」と大声で繰り返し言っていた。
それを教師2人で落ち着かせているところに、1〜2分で警察が来て、廊下に出て下さいと言ったという。
その夕方から夜にかけて、3年3組の現場にいた生徒に、まっすぐ家に帰っているか、落ち着いているかを確認するために電話をかけたという。

事件後、誰にだったかは忘れたが、学校のなかでHくんと哲くんとに多少トラブルがあったようだと聞かされた。「それ以上、調べようとはしなかったのか?」の問いに「校長と教頭が職員会議で、『調べるのは警察に任せましょう』と確認をしたので、調べる努力をしなかった」と言う。

裁判になるとよく、被告側は被害者の小さなミスなどをあげつらって、こんな悪い面があった、こんなことがあったと言うものだが、今回、3人の証言のなかで、誰ひとり哲くんの欠点を指摘するものはいなかった。「岡崎哲くんは、どのような印象の少年でしたか?」の問いに、「元気で明るいスポーツマン」とN教師は答えた。「問題のある生徒でしたか?」「陰でいじめをするような生徒に見えましたか?」「自己中心的な生徒でしたか?」の問いには、いずれも「いいえ」。「単純明快で、問題のある生徒ではなかった」「友だちが多かった」と答えた。(事件直後、教頭は警察に対して「(岡崎くんという生徒は)自己中心的で気が短い、本当の友だちはいなかった」と答えたというが、原告側弁護士が誘い水を向けても、誰もが否定した)

証言内容は以上だが、最後のS教師の証言を裏付けるように、原告の支援者のひとりが、情報公開を利用して、多数の書類のなかから、哲くんの事件に関係する記述があると思われる書類を閲覧したが、全ての書類に哲くんの事件のことは一切記述されていなかった。事件のことは、学校の職員会議録・学校日誌・市の教育委員会会議録にも残っていなかった。
唯一、哲くんの「葬儀に参列した」という記載があったが、実際には牛久一中からは誰一人参列していなかった。
学校も、教育委員会も、学校で一人の生徒が殺されたというのに、何も調べもせず、ただ事件に蓋をした。一方で生徒たちには、「花」のたとえ話を用いて命の尊さを解いたという。本当に「命」の重みが分かっていないのは、教育委員会や学校、教師たちでないだろうか。

岡崎さんは、支援してくれる人びとに対してニュースを発行しており、地元でも配っている。その中のひとりから「遺族の感情をストレートに出しすぎる」との批判があったという。私は、そうは思わない。自分の子どもが殺されて怒らないで、いつ怒;れというのだろう。正当な怒りにふたをすることはない。そうやって、被害者や遺族が自らの感情を押し殺してきたから、被害者の人権は今日までないがしろにされてきた。もっと、もっと、怒っていいと思う。口に出さなければ、表現しなければ、当事者でない人たちには、なかなかわからない。思いが伝わらない。そんななかでも、岡崎さんはニュースの中で、加害者の人権に配慮し、学校や子どもたちに配慮してきた。それで十分だと思う。
正当な怒りを世間にとっての耳障りのよい言葉に置き換えてはいけないと思う。

次回は11月27日(火)13時10分から、浦和地裁にて。こちらの第三次訴訟でも、哲くんのお父さんが陳述を行う予定。


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