2004年7月21日(水)、14時から東京高裁101号法廷にて、控訴人・猪野憲一さん(詩織さんのお父さん)人証調べが行われた。
13時30分時点で、裁判所外の傍聴券配布の列には約60名が並んだ。傍聴席は95名。抽選なしで全員、傍聴できた(その後、おそらく10数名は増えたもよう)。
猪野憲一さんはこの日、薄いグレーのスーツに濃いグレーの大柄チェックのネクタイをしていた。
人証調べは、控訴人代理人の松本弁護士からの猪野さんへの質問という形で行われた。
猪野さんは被害者の権利として、刑事裁判の記録の開示を求めていた。それがようやく提出され、今まで知らなかったことが出てきた。
ひとつは、小松和人が詩織さん殺害の依頼人であったという事実の確認。
そして、極めて早い時期から詩織さんを殺害することが計画されていたことがわかった。
平成11(1999)年6月22日、小松和人(こまつかずひと)は、兄・小松武史らに「殺してほしいやつがいる」「女性を血祭りにあげてくれ」として、2000万円を渡していた。詩織さんを山小屋に拉致・監禁、強姦してビデオに撮る計画を立てていた。
憲一さんは言った。「詩織の身も心もズタズタにする計画だった。こんなことをされたら、生きてはいけなかっただろう」。詩織さんは家族に、「和人は異常。突然、キレたり、奇声を発したりして何をするかわからない。オレには金で動くやつはいっぱいいると言っていた」と話し、とても恐れていたという。言っていた通り、詩織さんを殺害する計画を和人は練り、仲間にも伝わっていた。9月には、実際に拉致・強姦するための道具が渡されている。
7月29日、警察は詩織さんからの告訴を受理している。警察が動ける時間はもっとあったはずだ。なんで、早く警察が介入してくれなかったのだろう。憲一さんの嘆きは止まらない。
6月14日に、武史らが自宅に押しかけてきたとき、相手はヤクザに見えた。素人ではヤクザに対応できないと思って、「女子どもしかいないところに押しかけるのは脅しだ」「警察に言って話そう」と言った。
知人の警察官のアドバイスで、警察に相談しなさいと言われて、翌日、母と娘が警察に出向いた。
しかし、警察は被害を積み重ねてからでないと動いてくれないことがわかった。
ならば自分たちで身を守っていくしかない。
家族は、夜でも飛び出せるような格好で寝るようにした。詩織さんには防犯ベルを持たせた。携帯電話でこまめに家に連絡をとるようにも言った。桶川駅までの往復は母親が車で送り迎えをした。弟には下校時は友だちと帰るように言っていた。玄関に竹刀を置いた。
父は警察に何度も出向き、今後、捜査を強力にすすめてほしいと頼んだ。しかし、和人は家の周囲を徘徊し、電話攻撃にさらされた。新しい電話番号を変えても2日たったらまたかかってきた。電話のコードを引き抜かないと眠れない夜が続いた。
警察は告訴がなければ動けないというので書いた。警察は動き出すのは遅いが、動き出したら早いと信じていた。一時、静かになったので、警察が動いてくれたのかと期待した。捜査は続けていると信じていた。
3人の警察官は、刑事事件では、自分たちがきちんと捜査していれば詩織さんは殺害されなかったと言った。
それが民事裁判の一審では、自分たちには、警察には責任はないと言い始めた。埼玉県ではストーカー犯罪による死亡事件はなかったと言う。つまり、詩織さん殺害をストーカー犯罪と認めないと言う。
国会で、猪野さん宅で、泣いて申し訳なかったと頭を下げた、「真摯に受け止めていれば殺されずにすんだ」と謝罪したその人たちが、「詩織さんは危機感を持っていなかった。遊び歩いていた」と主張した。
そして、民事の一審判決では、「警察の捜査が不適切であった」「警察のウミを出す」と言って、遺族に協力させてつくった調査報告書の存在は無視され、何も検討しないまま、判決にも触れられていない。
詩織さんは、和人たちを恐れ「警察は動いてくれない」「私は死にたくない」「和人は何をしでかすかわからない」と家族に訴えた。それを母は「がんばりましょう」と励まし、父は「大丈夫、警察が入ってくれれば助かる。明るく生きていこう。普段通り生活して行こう」と言いつづけてきたという。今はそのことさえ、「申し訳なかった」と詩織さんに詫びなければならない。
「もし、こうなると知っていたらどうしたと思いますか?」弁護士の問いに少し考えながら憲一さんが答えた。
「拳銃を持ってもいい日本社会なら、私は持った。詩織にも持たせたかもしれない。しかし、拳銃を持てば逮捕されてしまう。金で動く人間たちから詩織の身を身を守るためにはどうしたらいいのか。それができる組織は警察以外にはないのです。
何度も、助けてください、助けてください、と言ったのに、まじめに聞いてくれなかった。警察は、殺されなければ動かない組織なのか。詩織を見殺しにしながら、事件記録を改ざんした。
謝罪したじゃないですか。それが、この裁判がはじまったら、詩織を悪く言って、自分たちの責任を何も認めようとしない。これが警察の組織ですか。」
最後に今の気持ちとして述べたいことをと言われた。
「裁判官にお伺いしたいのは、私たちが警察に行って、助けてくださいと言ったのは間違いだったのですか?助けてくれなかった警察の責任は本当にないのでしょうか?どうやって、和人の金で動く連中と闘っていけばいいのか教えてほしい」裁判長に向かって憲一さんは訴えかけた。今すぐにでも答えを教えてほしいというように。
約1時間の被控訴人側からの尋問。本来であれば、この後、反対尋問が続く。しかし、警察側は「けっこうです」と言って、何一つ質問をしなかった。
どんなに、被害者を追いつめる質問が出るかと固唾をのんで見守っていて、正直、拍子抜けした。何も聞くことはないという。父親の証言は何もかも事実に基づいており、反論の余地もないということなのか。それとも、一審のほぼ原告敗訴の結果に安心して、高裁裁判官も警察の味方と多寡をくくっているのか、わからない。
高裁ではじめての人証。これを皮切りに、このあとも続くと思っていた。しかし、秋山壽延裁判長は、争点の判断に必要な事実関係に直接かかわった度合いの高いひとは必要だが、それ以外は不要とし、一方で、関わった度合いの最も高い担当捜査官については、一審で2回にわたって尋問がなされたので十分として、これ以上の人証調べを必要なしとした。申請された5人の証人はいずれも却下された。
次回は、10月18日、午前11時から、東京高裁101号法廷にて(傍聴券配布は30分前)。これまでの証拠調べの内容を整理した主張をしてほしいとして、ついに結審する。
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事後の報告会のなかで、憲一さんからは、1、2回、頭が真っ白になって、弁護士の言葉が聞こえなくなったという話や、傍聴にきてくれたみんなのパワーをもらったと感謝の言葉が述べられた。
出かけに詩織さんの位牌の前で、「お父さん、がんばってくるから頼むよ」と言って出てきた。詩織さんの写真を胸のポケットに入れていたことなどが話された。
弁護士からは、証人の不採用について、裁判官を忌避する手続きをとることもできたが、現実にはほとんど採用されていないこと。刑事事件の書類など一審の数倍もの書類が提出されており、一審で受け入れてくれなかった証拠書類も揃っていることから、それほどまでは悲観していないことなどが上げられた。
ただ、裁判官にどうやってその山のような書類を読ませるか。裁判官は書類を読まないという。実際、民事の一審では、証拠としての書類を読んでいない、こちら側の主張、大事な論点が判決文にさえ触れられていないことなどが、実例として上げられた。
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警察に何度も助けを求めたのに、見殺しにされた。そして、全ての責任は被害者である詩織さんやその家族に押し付けられた。事実が歪められる。誰が被害者で誰が加害者なのか、誰に見殺しにした責任があるのかがわからない。一般市民が、巨大な権力に逆らうということは、並大抵の覚悟ではできないことだろう。しかし、それをやらなければ何も変わらない。
7月20日(火)には、桶川事件のあった埼玉県で、草加市の交番に助けを求めて逃げ込んできた男性(25)が、警察官の目の前で集団暴行を受け、連れ去られた。男性は別の場所でも暴行を受け、左腕と左足を骨折する大けがを負った。草加署員らは当初、男性が交番に逃げ込んだ事実や暴行の存在を否定していた。
桶川事件と同じことが今も起き続けている。税金で雇われ、拳銃の携帯を許されている警察官が、市民の助けを求める声を無視する。暴力にさらされたとき、私たち一般市民に何ができるというのだろう。運が悪かったとあきらめることしかできないのだろうか。殺されるくらいなら、たとえ罪になると言われても、武器を手にして反撃すると考えるひとは少なくはないだろう。
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