2004/5/2 | 岡崎哲(さとし)くんの裁判。加害者の出廷拒否。 | |
これで加害者が事件後、どう思っているのかが、見えた気がします。事件のことを反省しているという姿勢が今もって、どこからも感じ取れません。
返す返すも、加害少年とその親を訴えている裁判で、なぜ証人尋問ができなかったのか、とても悔しく思います。もし、あの裁判で本人を呼んで、彼が今回と同じように出廷拒否をしたとしたら、東京高裁はそれでも、けんか両成敗の判決を出したでしょうか。 本人を呼んでも本当のことは言わないでしょうと言って、証人尋問を認めなかった裁判官。真実を追求しようという姿勢すらもみせず、一方で、書類だけで哲くんのほうからけんかをふっかけたと認定し、一対一のけんかとして処理した裁判官。現場に複数の加害者の友人たちがいて、哲くんはたったひとりだったという不自然さについては、触れられることはありませんでした。加害者が警察の調書で、腹部は殴っていないと証言しているにもかかわらず、民事裁判における鑑定で腹部への暴行が死因として認められたという矛盾点についても言及されませんでした。
金と膨大な労力、時間を費やし裁判を起こして、遺族にとってはさらに被害が拡大していく。被害者は泣き寝入りするしかないのでしょうか。月日とともに真実からますます遠ざかっていく焦燥感にかられます。遺族の心の傷は癒されるどころか、さらにボロボロにされていきます。これが日本の被害者のおかれている現実です。 再度、加害者の証人尋問が開催されることを望みます。今は青年となった加害者のためにも、遺族と対面させるべきだと思います。未来ある命が永遠に奪われたのです。正面から一度として向き合うことなしに、忘れ去っていい事件ではありません。 **************** なお、2004年2月19日付けの常陽新聞に下記の記事が出ました。 「署名運動が新聞で報道されてから、岡崎さんに新たな情報がもたらされた。建設関係の仕事をしている知人からで、『当時は言えなかったが、やっと話せるようになった』と、こう伝えた。哲君の通夜の際、すぐ前に座っていた同級生らがか細い声で、『一番最初に現場に来た教師がバットを隠して、車で持ち帰った』とひそひそ話をしていたという。」 学校を訴えていた裁判は原告(岡崎さん)の敗訴で終わりました。今さら結論は覆らないでしょう。もし、この証言が早くに出ていたとしても、現実の裁判となれば、証拠としては認められなかったかもしれません。それでも、ご両親からすれば「やっぱり」と思われたことでしょう。自分たちが信じていた息子の姿に偽りはなかったと、確信を強められたことでしょう。友人たちはみな、哲くんはたとえ殴られても殴り返さなかった、非暴力のひとだったと作文に書いてくれています。事件後、警察やマスコミから出された哲くんのイメージは相反するものでした。そのことに、どれだけご両親は傷つけられてきたことでしょう。せめて、哲くんの名誉を回復したい。たとえ司法が認めてくれなかったとしても。今は、それだけの思いで、ご両親は必死に闘い続けている、私にはそう思えます。 |
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