1993年、日本にプロ・サッカーリーグ=Jリーグが誕生した時には心が踊らなかった。
「応援団」というならまだしも「サポーター」と称する用語への違和感に始まり、その連中のふるまいを見れば見るほど嫌悪感がつのった。
サッカー競技以前の問題として日本に突如現われた「サッカー現象」とも言うべきものを素直に迎え入れることができなかったのだが、所詮は個々人の好みの問題なのだから、それでいいのだと思うことにした。
しかし、と大急ぎで付け加えなければならないが、1997年 4月、日本大使公邸を占拠していたペルーのMRTA(トパック・アマル革命運動)のゲリラ全員が、フジモリの指令した特殊部隊の奇襲作戦に倒れた理由の一半は、サッカーゲームに興じていて油断していたからだとの報道を読んだ時には、心が痛んだ。
貧しいゲリラの青年たちが子どもの頃から「貧者のスポーツ=サッカー」に親しんでいたであろう姿は十分に想像できることで、このスポーツ競技の奥に控える社会のあり方が透けて見えたからだ。
ペルーに限らず南の多くの国々では、サッカーこそは、人びとの心を捉える最大の関心事のひとつである。
庶民的な町並みを歩けば、少女は天性のリズム感でステップを踏み、少年は低地ではもちろん高度4000メートル近い高地にあっても平気でサッカー・ボールを蹴って駆け回っている。
それは、たとえばブラジルの場合には、カーニバルやプロ・サッカー試合をめぐる熱狂に繋がっていく。日本ではそれが、カーニバルの大騒ぎで死者が何人出たとか、サッカー試合で自国チームが負けたことに怒って暴れ出したフアンの騒ぎで何人死んだとか、季節ごとの風物詩のような調子で、揶揄的に報道されることが多い。
その度に私は「カーニバルの社会史」や「サッカーの精神史」も知らずして、どうしてこの地域の人びとの心がわかるというのか、と義憤めいたものを感じていた。
こうして、私はサッカー競技の面白さそのものを楽しむ以前に、日本での急拵えのサッカー現象へは違和感をいだき、南の諸国での人気ぶりを現象としては理解しなければならないという、我ながら奇妙な立場に身をおいていた。
ウルグアイの著述家、エドゥアルド・ガレアーノの『スタジアムの神と悪魔:サッカー外伝』が出版された(みすず書房、1998年)時にすぐにこれを読んだのも、その居心地の悪さを少しでも解決できないかと思ったからだ。
ガレアーノは『収奪された大地:ラテンアメリカ五百年』(新評論、1986年)の著者でもあり、従属論に依拠した歴史叙述で多数の読者をもつ人物である。
息の長い物語というよりはテーマにまつわる逸話を断片的に鏤めた叙述を得意とする彼は、サッカー本においても、たいていは1〜2頁で終わる 200編ちかいショート・ショートで、世界サッカー史上の象徴的なエピソードをたどる。
イングランドを発祥の地とするこのスポーツが、七つの海に君臨したイギリスの帝国主義的発展と共に重要な「輸出品」のひとつとなり、世界の隅々にまで浸透してゆく19世紀の過程が浮かび上がる。
それは、発祥の地の名門大学のお坊っちゃんたちが上品に興じていた競技が、熱帯の庶民たちの創造的なエネルギーによって、性格を異にするスポーツへと変貌を遂げてゆく過程である。
金持ちは独占を破られて憤慨する。保守派知識人は、足を使うしかない能なしの下衆の遊びとして軽蔑し、左翼知識人は大衆のエネルギーを捩じ曲げる阿片として警戒する。
異色なのはアントニオ・グラムシで、「野外の自由な空気のもとで人間の誠が執り行われるこの王国」と、サッカーを賞讃する。
いまとなっては、事情はよほど異なっていよう。目前で展開されているワールドカップを対象とするかぎり、FIFA(国際サッカー連盟)の巨大化に象徴される、利権まみれのスポーツ・イベントに対する批判的視点は不可欠だし、国家単位の代表チーム同士の争いをテコにすべての国が行なうナショナリズムの悪扇動や、社会的・政治的出来事の軽重を無視してワールドカップ一色に報道を塗り込めるマスメディアに対する批判など、譲ることのできない原則的な立場があろう。
だが、イギリスより歴史の浅い新興帝国主義国=米国で隆盛を極め、近現代史の中で米国の圧倒的な影響下にあるカリブ海諸国と東アジアの数カ国だけで、思えば奇妙な人気を誇るプロ野球には、自国のみの決勝戦を「ワールド・シリーズ」と名づける米国の傲慢さや日本プロ野球をめぐるありとあらゆる馬鹿馬鹿しさを知ってなお、子どもの頃から馴れ親しんできたがゆえに今でも贔屓チームの勝敗に一喜一憂する心性をもつ以上、競技としてのサッカーに対してだけ意固地な態度をとるわけにはいかないよなと内心が囁き、今回はついついいくつかのゲームに熱中してしまった。
すでに言い古されたことであろうが、「門番」は別としても一ゲームで10キロ以上は走り回るという選手たちを見ていると、同一チームを構成するメンバーの出身地、皮膚の色、髪型、喜びと悔しさの表現の仕方などすべての面において、これほど国家的帰属を離脱した人間のあり方が、テレビを通して延べ何十億もの人びとの目に焼き付けられるスポーツはないという思いがする。
フランス「ナショナル・チーム」の構成メンバーは、民族離散の典型である。国民国家原理がここまで崩壊しているさまを目撃してなお、人びとの熱狂が国家代表チームの応援へと回収されてゆく道筋を断ち切ることは、どう可能なのかと自問する。
同時期に進行する、ドイツ語のできぬ外国人を締め出すというオーストリアの新法案や、指紋押捺・写真撮影・住所登録を中東出身者にのみ義務づけるという米国司法省の方針が、差しあたってはエリート・サッカー選手の流動を通して、国境の壁が意味をなさない来るべき世界の姿を実感している人びとの意識に拮抗できるものか、とその時代錯誤をわらう。
国威発揚に入れ揚げる日本のメディアを離れて英語紙を読むことも解毒剤になる。
「アサヒ・ヘラルド」 5月31日号は、たとえば、かつて麻薬取締法で有罪となったマラドナが、それを理由に日本入国ビザを発給されないことを知って「俺は日本に原爆を落としていないよ。自国をそんなに守りたいのなら、米国選手の入国を認めないほうがいいんじゃないか」と皮肉を言ったことを伝え、「世界的な注目を浴びるサッカーの熱狂からとり残される唯一の国は北朝鮮だ」との言葉で開会の日の記事をしめくくり、「日韓共同開催」の意味をふりかえるよう読者を誘った。
煽り報道の熱狂に対する醒めた視線と、サッカー選手の流動的な移動の背後に垣間見える世界の未来像の狭間で、私はいましばらく右往左往するかもしれない。
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