10月 7日、東京・早稲田で開かれた「在日の子どもたちへの迫害を許さない!緊急集会」に参加した。
9月17日の朝日首脳会談で、金正日が日本人「拉致」問題について一定の事実を明らかにして以来、日本各地では在日朝鮮人(朝鮮籍、韓国籍、日本籍)、とりわけ朝鮮学校へ通う子どもたちへの暴行・脅迫などの迫害が急増しているが、これは北朝鮮政治指導部へ向かうべき非難を在日朝鮮人に向けようとするもので、許すことのできない人権侵害であり、在日朝鮮人は「共に生き、共に生かし合う」社会を作る友人であり協働者であることを訴えるために、 6人の日本人が呼びかけた集会だった。
日本人と在日朝鮮人がそれぞれ7〜8人ほどリレートークで訴えた。
どの発言にも、異論というほどのものはない。
「在日の子どもたちへの迫害を許さない」という論点に絞るという主催者側の方針もあり、時間制限もあって十分には話すことができなかっただろう、とも思う。
そのうえで、力点のおき方が違うなという思いが、日本人の発言にはままあった。金正日の告白が衝撃的なものであり、「拉致」が許されるものでないことには多くの人が触れるが、「だが」「そのうえで」「一方」などという接続詞風の言葉によって媒介させて、植民地時代の強制連行(=拉致)・関東大震災時の朝鮮人虐殺・従軍慰安婦としての連行などの歴史的事実や、それに関わる賠償責任が不履行であることにマスメディアがまったく触れないことのおかしさに論点を移してゆく。
この集会に限らず、さまざまな場での発言に感じることなのであえて触れるが、これでは、この期に及んでもなお北朝鮮=共和国論が不在のままの論点移動なのだ。北朝鮮に関しては「拉致」問題をはじめとして、異常なまでの個人崇拝、独裁制と人権、民主化など、さまざまな観点から論じるべき問題があるが、なぜか、それらを論じることが社会運動圏ではほとんどなかった。
ましてや、北朝鮮の政治体制に対する批判においておや。かつての軍事独裁政権下の韓国に対する批判的的関心の高さからすると、このギャップは著しい。いままでもそうであったが、金正日体制をめぐる情報がこれだけあふれている社会の只中にあるいまもなお、運動圏だけは静まりかえっているのだ。
そこで、「拉致をめぐって、これほどの事態は予想していなかった。歴史家として自己批判する」とか「(拉致の)明確な証拠はなく疑惑にすぎない」と主張してきた「私たちの事実認識が誤っていた」という程度の声が運動圏では聞こえてくることになる。
自称「社会主義圏」体制に対する批判が控えられがちだというのは、20世紀以降の運動圏の世界的宿痾のようなものである。
人民戦線に加担していた1936年のアンドレ・ジイドがソ連旅行の後で書いた『ソビエト紀行』で、ソ連を称賛しつつ精神の自由の問題をめぐって辛辣な批判を繰り広げた時に、ジイドは親ソ・親共の運動圏でも知識人の間でも孤立した。
孤立に堪えてジイドは翌年『ソビエト紀行修正』を著わし、「あるべき姿からいよいよ遠ざかりつつある」ソ連批判を強めて運動圏を離れ、ひとりだけの道を歩んだ。
おそらく、北朝鮮の支配体制の問題をめぐって、日本の運動圏と「進歩的」ジャーナリズムにおいては、歴史が繰り返されたのである。
たとえ擬制であろうと「社会主義」圏に対する批判は差し控える、どんなマイナスも見て見ぬふりをするという歴史が。そこに、植民地支配をめぐる謝罪・賠償・総括を終えていない日本社会にあることの後ろめたさが心理的なはたらきをしていたことは明らかだろう。
だが、運動圏のその脆弱さが、「拉致」問題をめぐって「産経」「正論」「諸君」レベルの言論が社会全体を席捲するという現在の情況を招いたことと無縁であるとは思えないのだ。
冒頭に触れた集会での在日朝鮮人の発言は胸にこたえた。
「衝撃だった。ヤバイことになったと思い、今までとは違う恐怖を味わった。石原発言以降いつまで日本に生きていけるだろうと思っているが、あらためて自分の居場所はどこなのか、人間関係はどうなるのか、と考えた」
「 9月17日を迎えて両国関係はこれ以上悪化することはないと楽観していたが、拉致事件は衝撃。日本人に謝罪します。自分たちの足場が崩れてゆく感じがする。いま私が加害者の側に立って苦しんでいるのと同様に、日本人は自分の足元が揺らぐほど過去の加害行為を思ったことがあるのかを同時に問いかけたい」。
どんな思いから出てきた言葉なのか、私なりに思うところはある。だが、自らがいささかも関係のない拉致事件について、故国か民族を代表するかのように謝罪することはない。
詩人、金時鐘も「同じ民族として本当に恥ずかしい」と語ったが(毎日新聞 9月18日付)、これらの言い方は、かえって民族主義的なねじれをもたらすのではないかと恐れる。
許すことのできない「国家」の指導者としての金日成=金正日体制に対する徹底的な批判こそが必要なのだ。
最後に「相殺できぬ拉致と植民地支配」とする立場に触れておこう。「相殺しよう」という明確な主張をしている人がいるのかどうかは知らぬが、前者をいうのなら同時に後者も思い出し、両国の歴史的な関係性の中で総合的に考えようという主張なら、北朝鮮に対する好戦的な言論を煽るマスメディアとは違う場所で、落ち着いて考えようとする人びとのなかに確固として存在する。
神谷不二は、ランケのいう時代精神なる概念を持ち出し、「植民地所有が先進国の追求すべき価値として広く認められた時代」がかつてあり、いまはその考えは影をひそめたが、現代の時代精神で植民地支配時代を裁断するのはよくない、「(植民地支配の)不当性と、拉致やテロ行為との間に、明確な質的相違がある」とする(朝日新聞 9月20日付)。
その時代精神とやらを通用させるべき地球空間はどこからどかまでなのかをランケは言っているのか? ヨーロッパの時代精神を、非西欧はつねに受動的に受け入れなければならないのか? 植民地にされて、それを受け入れることも時代精神なのか? 地理上の支配・他民族支配が始まって以降の「時代精神」なるものは、つねに支配する側でふるまう欧米の「歴史的な」犯罪を隠蔽する役割を果たすものでしか、ない。
それは後世にあっては歴史を総括するな、というに等しい。関川夏央も「(植民地支配という)歴史的問題と、平時にもかかわらず現在進行中のテロを並列させるのは見当違い」だという(朝日新聞10月 7日付)。
歴史的な公正さを何ら考慮しようとせず、既得権を得た自国の国家犯罪には蓋をする、これらの悪意に満ちた扇動がこの社会には充満している。
|