政策論争ではなくスキャンダル暴きに焦点化する国会論議への違和感・嫌悪感を、前回は書いた。
それは、3月11日に行なわれた衆議院予算委員会での鈴木宗男証人喚問のあり方を見聞きした印象に基づいて、とりわけ最終質問者であった辻元清美の言動を思い出しながら、書いたものだった。
「あなたのお母さんの名前は、私と同じキヨミだというが、お母さんに答えるように正直に答えてくださいね」「ど忘れ禁止法を適用せなあかんな」「あなたは疑惑のデパートと言われているが、疑惑の総合商社だ」などの発言を聞きながら、不快な感じと危ういなという思いを同時に抱いた。追及の基軸が的外れだなとも思った。
不快さと危ぶむ思いは、同根のものである。マスメディア上の報道に照らして言えばほぼ究極の敗北地点に追い詰められている鈴木宗男なる「敵」を最終的に撃つ言葉として、これらは戦略性に欠ける。
テレビ・カメラを意識して、大向うをうならせようとする心根が見え隠れしている。この追求の方法は、結局は、問題を鈴木宗男個人の「醜聞」に終わらせるしか、ない。
議院内閣制の下で与党から閣僚が出ていながら、政官が癒着し、族議員が跋扈するという現状を構造的に抉る視点が、ない。視聴率を稼ぐことができると思うテレビ報道関係者と、「悪の象徴」が追い詰められるさまを見て「溜飲を下げたい」と思っている視聴者を満足させるに終わるしか、ない。
辻元自身に、政策秘書給与流用問題が噴出するとは思ってもみない段階のことだが、他者を「倫理的にしか」追い詰めることができない批判方法は、いつ返り血を浴びるものかわからないという感想は、私たち自身の日常的な経験の範囲内にあることだと思える。ましてや、魑魅魍魎が出没する政界においておや。
辻元の物言いに感じた私の不快感と、(彼女の通常の活動をみて、そこそこやっているなと思うからこそ、その行方を心配して感じた)危うさの根拠は、そこにこそある。
辻元の追及の方向が、私から見れば的外れだと思う根拠にも触れておく。私の考えでは、鈴木宗男的なあり方を、彼個人の特殊な問題としてではなく、自民党政治全体のあり方に関わる問題として政策的に追及する道はあった。
上に述べた「政」と「官」のもたれあいの実態を構造的に暴くこともそうだが、それに劣らず大きな問題もある。たとえば、1996年に焦点化した在沖縄米軍海兵隊の実弾演習基地選定問題をめぐって鈴木が果たした役割を明らかにすることである。このことは、鈴木の証人喚問直前の、3月7日付朝日新聞で、きわめて不十分な形で報道されている。
一面トップで「防衛施設庁、鈴木氏に配慮」と大見出しで報じたこの記事は、鈴木の地元にあって、実際に米軍実弾射撃訓練の場となっている矢臼別演習場問題を取り上げている。
演習に伴ない、防衛施設庁は80〜90人規模の現地対策本部を設けるが、その際必要なゴミ箱・スノコ・食料品などの物資の調達先や宿泊先に関して、防衛施設庁が鈴木の秘書に詳細な事前説明を行なっており、また結果として鈴木がこれらの業者や演習場整備事業受注業者から献金を受けているということに重点をおいた記事である。
私の考えでは、この記事は重点のおき方を間違えている。この記事は、十分な根拠をもってすでに世間に定着していた「ダーティな鈴木」というイメージを補強するものでしかない。辻元が狙った鉾先と同じである。より根本的で深刻な問題は、沖縄基地移転問題をめぐる鈴木の役割こそあったはずである。
96年1月、首相・村山富市の突然の辞意表明をうけて首相に就任した橋本龍太郎が直面した最大の問題は、沖縄基地問題であった。
前年9月、不幸にも起こった米兵による少女暴行事件の直後から、沖縄では基地縮小・基地撤廃の声が高まっていた。政府は、沖縄でとりわけ批判が強い県道越えの砲撃演習の中止を海兵隊に要請し、「痛みを分かち合う」との言い草で、代替演習場を「本土」内に探そうとしていた。
本土内への分散移転を口約束したものの、引き受けるところは容易には見つからず困難をきわめていた時に「有効な」働きをしたのが鈴木である。矢臼別演習場は別海・浜中・厚岸の3町にまたがる広大な地域を占める。
いずれも鈴木の選挙区である。町民の意向もあって演習受け入れに反対だった厚岸町長は、鈴木から「人間扱いされない」態度で「演習場移転を受け入れるよう」恫喝されたと語っている。翌年の内閣改造で、鈴木は北海道・沖縄開発庁長官に就任した。
政府・自民党・外務省官僚などが、端から見ても「目に余る」ものがあったであろう鈴木のふるまいを黙認し、重用してきたのは、このように重大な政策問題での彼の具体的な貢献があったからだと分析するなら、単なるスキャンダルの暴露に終わらない、別な責任追及の論理がおのずとあり得たと言うべきだろう。
鈴木の証人喚問から一週間後の3月19日、原宿のレストランでは辻元の政治資金パーティが予定されていた(会費8000円)。出席の返事をもともと出していた私は、その場で話す機会があれば、上のような思いを辻元に伝えたいと考えて、出かけた。
会場にはテレビ・カメラが何台も入っており、いくらいま脚光を浴びている議員のパーティであるとはいえ、その仰々しさに驚いた。野党のみならず与党の議員たちも入れ替わり壇上に立っては、辻元への期待を語った。私は居場所を間違えた感じがして、彼女には声をかけずに帰った。
家に帰って観た深夜のテレビ・ニュースで、ついさっきのパーティ会場の外で記者のインタビューを受ける辻元が写っていた。翌日発売の「週刊新潮」が報じる秘書給与流用問題はすでにマスコミでは周知のことで、あのテレビ・カメラは「天国から地獄へ、いままさに落ちんとする」議員の姿を捉えようとしていたのだった。「疑惑」を全面否定したその夜の会見での言葉が、結局彼女の命取りとなったことを私たちは知っている。
|