去る 1月25日夜、東京・東村山市にあるゲートボール場に暮らす55歳の路上生活者の男性を、中学二年生の少年四人と、これに加勢した高校生二人が殺害するという悲劇的な事件が起こった。
被害者は死に、加害者は逮捕・補導されている以上、当事者からの説明を聞くことはできず、警察発表に基づく被疑者の供述と、記者による周辺取材によって得られた経過に関する報道が先行している。
だが、事件の性質からいえば、尋問されている少年たちの供述として伝えられていることに、警察によるデッチ上げの要素は少ないと思われるので、報じられている事件の経過と少年たちのいくつかの言葉に注目したい。
警察発表によれば、少年たちは前日公立図書館で騒いでいた自分たちを注意した人物を翌日偶然に見かけ、後をつけて寝泊りしている場所を突き止め、夜になってみんなで語らって現場へ行き、一時間半にわたって暴行をくわえたという。
暴行は、時間をおいて三度にわたって繰り返されたが、その理由は「(おじさんを)一度ぼこぼこにしたのに、その後、平然とたばこを吸っている姿を見て腹が立った」からだ、と伝えられている。
隣で生活していた路上生活者によれば、現場に来た少年たちは「てめえ、起きろ」と叫びながら被害者を小屋から引きずり出し、持ってきた角材で殴ったという。
逮捕後の少年たちはいずれも、「他の五人と比べたら、それほどやっていない」とか「「軽く二、三発しか殴っていない」と語って、暴行における自分の役割が小さなものであったことを印象づけようとしているらしい。
対照的な証言もないではないが、少年のうちのひとりの両親や同級生、教師の話を総合しても、彼らはいずれも「ごく普通の子」であり、「おとなしい少年」で「とてもあんな事件を引き起こすとは思えない」「殴るより殴られるタイプなのに」などと語っている。
学校長は「いじめなども把握しておらず、誇りをもって」きており、「命の大切さ、弱者に対するいたわりは徹底してきたのだが」「このような事件が起き、ぼうぜんとしている」と語っている。
マスメディアでの報道は、ほぼ、以上のような問題意識の周辺で展開されている。週刊誌のなかには、またしても、「新聞が書かない少年たちの家庭の事情」などという形で、個別家庭の問題に還元して、ひたすら扇情的な報道に走るものもある。
自分の経験に基づいて思い出しても、少年期とは、純粋な気持ちが横溢していると同時に、自分でも説明できない粗暴な想念にも捕われたりする時期である。
ひとりの少年のなかで、この相異なるふたつの要素は紙一重で同居している。後者が、いつどんなきっかけで爆発するのか、自分にも、周りの人間にも客観的にわからないから、それは危険に満ちた時期とも言える。
少年が、とくに路上生活者のような弱者を狙って暴行をくわえ、死に至らしめるという事件は、悲劇的なことには、これまでにもいくつもあった。
上に見たマスメディア報道の問題意識と、少年期特有の生理と心理に着目する程度の枠内で、今回の事件を解明しようとする方法はこれからも多いだろう。
だが、この事件の報道に最初に接したとき、私にはひとつの思いがあった。それは、(2001年)「 9・11」以後の世界的な政治・社会・思想状況を、事件の背後にある「雰囲気」として挟み込まなければならないという思いである。
私が見聞きしたかぎりでは、TBSテレビ「筑紫哲也NEWS23」の佐古記者が、東村山市からの現場中継のなかで、そのことに触れた。報復戦争という名の下で大勢の人びとが殺されている現実が正当化されている状況が一方にあるなかで、子どもたちに、ひとを殺してはいけないということをどうやって教えていけるのか、という趣旨のことを彼は述べたのである。
私の腑に落ちた、マスメディア上での唯一の発言であった。
私がそう考えたのには、ダグラス・ラミスのかつての発言の影響がある。「戦争が帰ってくる」という小さな文章のなかで、彼は、米国社会に充満する暴力と犯罪の要因として、米国が「あまりにもしょっちゅう戦争をしているから」という理由を与えた(『英語で考え、日本語で考える』、晶文社、1995年)。
「政府が『敵』として選んだ人を殺す限り、人殺しは許されることであり、あっぱれなことでさえある」。「いったん人々が国外で人殺しに慣れてしまったら、国内で人殺しをする者も出てくるのではないだろうか」。
ダグラス・ラミスのこの考え方を、私なりに翻案してみる。対外膨張主義的な戦争それ自体が他者との関係性において深刻な問題を孕むものであることは当然だが、同時にそれを繰り返し行なってきている米国で、暴力を伴う犯罪が、とりわけ若年層を中心に多発しているのは、その社会にあっては戦争=暴力が内面化しているからだという主張である。
この仮説は、自分たちの社会の経験に即して、十分に成立しうると私は考える。それは、日本の学校において、1960年代の高度経済成長期を通して完成した、教師の暴力をも伴った厳格な管理主義教育の徹底化に対して、子どもたちがどう反応したかをふりかえればよい。
時計の進み方に象徴される時間的な秩序の枠内で行なわれる現代的な工場労働を支える価値観(=産業社会の価値観)が社会の隅々まで浸透し、それが家庭と学校における子どもたちの日常生活をも律する規範として定着したとき、子どもたちの世界では、一方ではいじめ、暴力沙汰、「荒れる」生徒たちーーという現象が現われ、やがて他方には不登校という形で学校教育を(無意識的にか意識的にか)拒否する者が現われた。
社会的に生じた新しい変化が、自分にも御しがたい粗暴な衝動と柔らかいこころの狭間で生きる子どもたちに、いかに敏感に感受されるかを、それは物語るものであるように思える。
米国が強行している昨年10月 7日以来のアフガニスタン爆撃と、米国のその政治路線と軍事作戦のひとつひとつを、まるで異論を許さないかのような雰囲気を醸成しながら、支持して形成されている国際的な「反テロ」同盟と、それを支えているマスメディアによる世論操作を見ながら、思いがけない時期に、思いがけない規模で、世界は試練にさらされているなという感じがしている。
もはや米国だけの問題ではない。「報復戦争」「爆撃」「殺害」「高性能の気化爆弾」「追い詰める」「捕捉する」「生きていても死んでいても捕まえる」などの言葉が肯定的な意味合いで大声で語られて当然とする世界では、いつかその価値観が人びとのこころのなかに内面化しよう。
軍隊=暴力=戦争が否応なく露出していくであろう今後の(日本)社会において、犯罪の質と量は大きく変質してゆくのかもしれない。
きょうのニュースも語っている。「アメリカの無人偵察機はアルカイーダ兵らしき一団を察知してミサイル攻撃し、何人かを殺害した。その現場に数十人の特殊部隊員を派遣し、遺体の一部など法医学的な資料を採取した」。
これが、アフガニスタン復興支援国際会議なるものが「成功裏に」開かれて半月が経ち、その国への爆撃を止めようとしない国では「平和と友好のスポーツ祭典」が開かれているのと同し時期の、もうひとつの現実なのだ。
|