新聞・テレビ・ラジオの報道記事・番組から耳目をそらすようにして、 9月11日前後を過ごした。「 9・11テロ犠牲者追悼」一色の報道から少しでも遠ざかるためには、そうすることが必要だった。
一年前の報道とて、多くの場合、けっして質の良いものではなかった。それでも熱心に見聞きしたのは、何が、いつ、どこで、誰によって、どんなふうに、そして何よりも「なぜ」起こったのかを知りたかったからだ。
だから、量としては圧倒的に少なかったが、アルジャジーラなどがわずかに報じるオサマ・ビン・ラーディンの、心に訴えかけるところの「少ない」メッセージにも、熱心な関心を向けたのだった。
同じく、深い哀しみに浸るでもない、己れの国の歴史を内省的にふりかえるのでもない、2001年の「 9・11」をただただ特殊化して「報復」を呼号するだけの、格調なき米国大統領の度重なる演説にすら、忍耐をもってじっくりと耳目をそばだてたのだった。
一年後のいま、事情はずいぶんと異なっている。証拠をもって明らかにされているわけではないことも、もちろん、まだ残ってはいるが、「 9・11」をめぐる状況はほぼ見渡すことができるようになっていると思われる。
米国の政治・軍事上の象徴的な中枢部を攻撃したアラブ地域出身の青年たちには、自分たちの行為にどんな道義性があり、それが自分たちのもつ目標に関わっていかなる積極的な効果を発揮しうるかという関心はなかったように見える。
地下鉄サリン事件に関わった一部のオウム真理教信者と同じく、宗教的な外皮をまとったひとりのカリスマ的な教組の「迷妄な」指令のままに、現世における善悪の判断基準を越えた地点で、彼らは行動した。そのことは、もちろん、現世に生きる私たちの、厳しい批判の対象となるべき/なりうることがらであると言える。
だが、この「迷妄な」行為の背景には、宗教的な意味合いだけでは推し量ることのできない、アラブ地域における政治・社会・経済過程の問題が孕まれていることも、多くの人びとが感じたように、否定できるものではない。
「攻撃された」米国が、その過程に大きな関わりをもち、したがって責任を有していることも、自明のことだ。
何よりも自分たちだけが「 9・11」の悲劇に見舞われたのだと故意に勘違いし、自分の責任において世界各地に作り出してきたいくつもの「 9・11」の責任を自覚すらしていないことは、許されることではない。
ましてや、この一年間に、米軍などが行なう爆撃によって、世界の最貧国=アフガニスタンの、その数すら正確には知れないおおぜいの人びとが殺され、その土地が廃墟と化してゆく現実を私たちは目撃していたのだ。
「 9・11」をふりかえる視点があるとすれば、それは、これらの総体を捉えようとする試みの過程にしか、ない。
だが、一年目の「 9・11」を契機にマスメディアに溢れでたのは、「世界めぐる追悼歌」「NY祈り包む」「レクイエム 世界にこだま」などのコメントであり、大見出しであった。
死者に親しかった人びとがひっそりとその死を悼むという当然の営みとは無縁な、組織された追悼行事には、いつも生者の側の利用主義が、したがって精神的な頽廃の臭いがする。
この場合、もてる圧倒的なメディア網によって、世界じゅうを追悼ムードで覆い尽くすことには、何の難しさもない。
この一方的な「追悼情報」の洪水に溺れまいと思ってみても、いくつもの情報が自分の中にも溢れた。誰の発案なのか、「ローリング・レクイエム」と称して、モーツァルトの「レクイエム」が世界各地で合唱されたらしい。
各地の現地時刻で、ニューヨークの世界貿易センタービルに一機目のハイジャック機が突入した午前 8時46分に合唱を始めるというそのプログラムには、26ヵ国・地域の 190団体、1万5000人が参加したという。
だが、皮肉なことだ。この「美しい」行事を伝える記事のそばには、「厳戒下祈る 9・11前夜の米国」「首都、ミサイル配備」の見出しが見える。
「反テロ戦争」と命名すればどこにでも戦線が拡大できるという、身勝手で愚かな選択をしている以上、米国は絶えず「テロ」攻撃の緊張感に怯え続けなければならないのだ。
世界じゅうが一年前の出来事を哀悼しているという雰囲気を作り出している当該国の為政者が首都ワシントン周辺に地対空ミサイルの実戦配備を命令し、大統領に万一のことが起こった場合にはすぐ代理の最高責任者として事に当たらなければならない副大統領は公式行事をキャンセルして公表されていない某施設に身を潜め、いくつもの地域の米在外公館を一時閉鎖したという一連の記事ほど、ブラック・ユーモアに満ちたものはない。選ばれたる者の、倨傲と怯え、ふたつ我にあり、の心境に彼らはいるのだろう。
さて、米国政府が作り出す追悼ムードと、次なる攻撃目標イラク戦に向けた戦意高揚扇動に対する翼賛記事のきわめつきは、 9月10日付け朝日新聞の「私の視点」欄に載った米国防長官ラムズフェルドの「 9・11の教訓:惨事防ぐ責任ある行動とは」であろう。
最近の朝日新聞には、何事かをめぐって両論並記するという、あらずもがなの「配慮」が目立つが、この日の扱いはそれですら、ない。米政府要人に寄稿を依頼し、論理構成から見てきわめて低レベルの内容のものを麗々しく掲載するところに、現代ジャーナリズムが行き着いている地点が見えてしまう。
「 9・11」の犠牲者の遺族のなかには、アフガニスタンを訪れて米軍の爆撃による死者の遺族と交流し、「見舞い金」など一顧だにされないアフガニスタンの人びとのためにカンパ活動などもする動きが生まれている。
それは、当然にも、「 9・11」の死者を利用して「反テロ戦争」を繰り広げ、さらにそれを拡大しようとしている米国政府の政策に対する批判にまで及びつつある。
一面的な「追悼」一色に染められた報道のなかに、物事を総体において把握し報道しようとする記者が、テレビにも新聞にもわずかなりとも存在したことは、ひとつの救いであった。
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