今年前半の内外のニュースのなかで私の関心を引いたもののなかに、ふたつの考古学上の発見にまつわるものがあった。
ひとつは、現在の高知県土佐市居徳遺跡で出土した2500年前(縄文時代晩期)の人骨に、金属器によると推定される傷や矢じりの貫通穴が確認され、鑑定した奈良文化財研究所は「国内最古の集団同士の戦闘行為の痕跡」と発表したというものである( 3月29日以降の各紙)。
いまひとつは、現フランス南西部の遺跡で見つかった 3万6000年前のネアンデルタール人の頭蓋骨の化石に、仲間から武器で襲われたと見られる傷跡があることを、フランス・スイスの合同研究チームが突き止めたというものである( 4月23日以降の各紙)。
いずれも、戦争の起源をめぐって、従来の「定説」に異論を提起するものとなる。異説もあったにせよ、前者は「集団間の戦争は、農業が始まった弥生時代に起源をもつ」という定説へ問題提起を行ない、戦争の起源を遡らせるものとなる。
後者は、最古の集団的暴力の痕跡を、 1万4000年〜 1万6000年前のアフリカ・ヌビア地方、ナイル川上流のジェベル・サバハ墓地で見つかった58体中24体の人骨の殺傷痕および凶器としての石器に認めてきた定説に対して異説を唱え、戦争の起源は一気に 2万年ちかく遡ることになる。
人類がチンパンジーから分かれて以降の進化史を500万〜600万年前後のものとして捉えると、戦争を是とし/あるいは避けがたいものとして暮らしてきたのは、(仮に今回の新説が認められるとしても)たかだか最近の数万年か数千年のことでしかない。
動物行動学のコンラート・ローレンツも『攻撃:悪の自然誌』において、武器の発明が、人間に本来的に備わる「殺戮能力と本能的な抑止能力とのバランス」を崩したことを、説得力をもって展開した。
だが、戦争に明け暮れた20世紀の歴史を見届けた人びとは、「戦争は人間の本能の所産なのだ」と、無理にでも信じたがっているように思える。
それは、ついに戦争をなくすことができないでいる人間に対する諦めに似たニヒリズムの表現でもありうるし、またきわめて安易な「戦争不可避論→軍備必要論」へと直結もする。それだけに、戦争それ自体を根源的に批判するために、戦争の時代的起源とその理由についてはもっと大きな関心がはらわれてよいと考える者には、上の考古学上の「発見」と新説は、揺るがせにできない問題を孕んでいる。
事実、上の報道を知って「同種間の殺し合いは人間の特徴だから、詳しく研究すれば、彼らの人間らしさが明らかになる」との感想を述べる、あまりに「伝統的な」人類学者もいる(江原昭善)。
他方、「戦争の歴史は 600万年の人類史のなかではごく新しい出来事であること、つまりヒトの歴史を 6メートルとすると、戦争の歴史は 1センチ強にすぎないこと」を人間が生きていくうえでの基本的知識にしたいと願う考古学者、佐原真(「しんぶん赤旗」3月2日)は、新説を鵜呑みにせず慎重な検討が必要だと主張する。
佐原は、霊長類学、民俗学、生物学、自然人類学、考古学、歴史学などの学際的な研究グループの代表として『人類にとって戦いとは』と題する意欲的な三部作(東洋書林、1999〜2000年)をまとめたが、私たちも専門家に一任しないで、人類と戦争の歴史に関する視点を定めていきたいものだ。
これらの記事に大いなる関心をいだいたのは、ほかでもない、同時代の事柄として進行する日本と世界の、戦争をめぐる政治的最高責任者の言動の軽薄さに、いたたまれぬものを感じ、奥行のある歴史的眺望の下に「人類と戦争」の問題をおきたかったからだ。
じっさい、有事法制制定の根拠を問われて「備えあれば憂いなし」とか「今まで存在しなかったことがおかしい」としか言わない首相の愚かな言動を見聞していると、上のような考古学的論争に示唆をうけ、またたとえば同じ頃に読んだ次のような文章に心が和む。
人類学者、山極寿一は、自らが撮ったドラミング(胸たたき)するゴリラの写真を説明して言う。「長い間、威嚇と攻撃の象徴のように見なされてきたゴリラの胸たたきも、実は特定の相手に向けられるものではなく、闘わずに自分を主張する平和な行動であることがわかってきた。
胸をたたくのは、相手に自分の殺意を伝えているのではなく、集団の長としてその状況に大いなる不満の意を表明し、相手の抑制を引き出そうとしているのである。集団同士の出会いでは、オスが交互に胸をたたき合った後、なるべく対等の別れを演出しようとする」(朝日新聞、 4月12日夕刊)。
山極は「テロを抑止するために暴力を是認する」最近の風潮に、人間はかつてない不気味な精神世界に陥っていると感じて、「殺戮しない類人猿」の知恵を、最新の知見に基づいて紹介するのである。
この後に、米国の独立記念日の7月4日、退役軍人を前にした大統領演説の一節をおいてみる。「米国はさらなる攻撃から国土を守る。
敵がどこに隠れ、計画を立てていようとも、米国は戦いに勝利する……我々は、米国が脅威にさらされるほど米国をいっそう愛する……米国は恐ろしい邪悪と対決しているが、邪悪に打ち勝つ」。
この言葉に重ねるように、「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動事務局」が発行した翻訳資料集「アメリカはアフガニスタンで何人の人々を殺したのか!?」もおいてみる。
米軍のアフガニスタン爆撃開始から2ヵ月の時点で、ニューハンプシャー大学のマーク・W・ヘロルドが行なった調査報告書の翻訳である。
私たちが予感してきたように、これが、人種差別に根をもつ戦争であることが具体的に顕わになる、恐ろしいが必読の文献である。
眼前の戦争と戦争体制の準備に対して具体的にたたかいつつ、ひろくヒト類の歩みをふりかえること。避けられない、私たちの課題である。
文中で触れた翻訳資料集は、
FAX072-331-1919か、E-mail:stopuswar@jca.apc.org に連絡すると、700円+送料で入手できる。
追記:上の原稿を書き終え、派兵チェック編集部に送ったのは、7月10日(水)朝のことだった。その日の夕刊は、佐原真氏が同日10時すい臓ガンで逝去したことを報じた。
佐原氏に対する私の関心は、人間社会がどんな社会構成体になり、そこで何が価値とされた時に戦争が始まったのかという問題意識を、氏が考古学の分野で強烈に示し始めた晩年になってから、生まれた。
翌11日(木)の朝刊は、アフリカのチャドで、700万年前ころ(600〜700万年前とする報道もある)のものと推定される最古の人類祖先の頭骨の化石が発見されたと報じた。
真偽のほどは今後明らかにされるとして、歴史には、まだまだ未知の領域が広がっているという思いに打たれる。仮に700万年前のものでることが立証されるなら、「最古の人類」の発祥は従来の定説から100万年も遡るものとなる。(7月11日朝記)
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