今年のサンマ漁は豊漁だという。七輪の炭火で焼いたサンマに、大根おろしをたっぷりと添えて食べるのが、秋随一の味覚であった北国の港町に育った者にはうれしいニュースだ。詩句の調子のよさに、詩を詠んだ作者のほんとうの心もさして知らぬままに子ども心にも暗誦できた佐藤春夫の「秋刀魚の歌」も、ついでに久しぶりに思い出す。ところが、今年のサンマ漁をめぐっては、多国間の複雑な問題が生まれている。
これは、四方を囲んだ海を通して他の地域・人びととの関係が成立しているこの日本社会に生きている以上は、避けて通ることができない問題を孕んでいるように思える。まずはその経緯をふりかえってみる。
昨年12月、ロシアは韓国に、南クリル諸島周辺水域でのサンマの漁獲枠1万5000トンを与えた。韓国は過去二年間、ロシアの民間企業から漁業権を買い、同水域で操業もしているが、それを日本政府は黙認してきた。今回は民間レベルではなく韓ロの政府間合意であることに日本政府は苛立った。
これは単なる漁業問題ではなく領土問題であると捉えた小泉政権は「日本古来の領土である四島の排他的経済水域では、日本の許可なくしては操業できない」との立場から両国に抗議した。だが両国はこれに取り合わなかった。
「純粋に商業的な性格のものだ」とするロシアは、さらにウクライナと朝鮮民主主義人民共和国に漁獲枠を与えた。日韓協議も行なわれたが、不調に終わった。韓国は「国際社会がロシアの四島占有を明白に不法としない以上、日本の主張は不当だ」と考えている。
日韓両国は1999年に新漁業協定を結び、互いの排他的経済水域での相手国の操業条件や、資源の共同管理のための暫定水域の設定などを取り決めていた。
それによれば、韓国は今年も三陸沖に広がる日本の排他的経済水域で9000トンのサンマ漁を行なうことができるようになっていた。
ところが、日本政府は、北方水域でのサンマ漁業権問題への対抗措置として、三陸沖での韓国船の操業を不許可とした。8月、韓国船と、ウクライナから漁獲枠を転売された台湾船は南クリル諸島水域でのサンマ漁の操業を開始した。
この一連の事態から引き出すことのできる問題は何だろうか。
まず思い起こすのは、1988年のひとつの事件のことである。北海道標津町のアイヌ漁民Sさんは長年携わってきたソ連・サハリンの北方民族との交流活動の成果を基に、サハリン漁業公団との間で、国後島沖でドナルドソン(ニジマスの大型交配種)の養殖事業を行なう合弁協定を結んだ。
その場所は、ソ連側からすれば、日本漁船を見つけたら拿捕すべき海域であり、日本側からすれば、領有権を主張している四島周辺に設けた操業制限海域を外れるために、そこで操業する自国船を見つけたら密漁の罪を問うべき海域である。
政府を頭越しにして行なわれるソ連公団との合弁事業は、ソ連の四島占拠を追認することになると恐れた日本政府は、Sさんが事業を中止するよう強力な説得を始めた。
事の次第を知った右翼団体はSさんの自宅に押しかけ、大騒音の糾弾「宣伝」活動を展開した。やがて、Sさんが港に係留していた船は「不審火」で焼けた。
Sさんは、経営する会社がチャーターした船の毛がに密漁の罪を問われて逮捕され、やがて起訴された。
当時の私の考えでは、Sさんの行為は、国境を超える事業は何事も政府・国家の枠組みの範囲内でしか容認されえないという常識に対する果敢な挑戦であった。
しかも同地の先住民=アイヌが主体になることによって、近代国家=日ソ両国の主権争いと化している北方諸島領有問題に別の解決の道がありうることを先駆的に示すものであった。そのことに危機感をもった日本政府は、領土問題に関わる厳しさを「内向きに」示した。
それとの比較で言えば、今回の日本政府のロシアと韓国に対する態度は、領土問題に関わる「外向きな」厳しさを表している。
だが、領土論としては「原則論」を固守しつつ、自らが北方諸島水域で操業するためにはロシアに1億数千万円の資源管理協力金を支払う「現実性=柔軟性」を示している日本は、前者の問題には無関係で後者の問題に関して日本と同じ「商業」の枠内で行動選択しているにすぎない韓国に対して言うべき言葉を本質的にもたない。
ましてや隣国との関係において、一方には周辺諸国を軽んじる教科書や首相の靖国神社参拝をめぐる問題を[他者との関わりを配慮することもなく]自ら作り出しておいて、ひとつサンマ漁問題だけを自国の利害に即する形で見事に解決する方法など、見出だせるはずがない。
問題はほかにもある。1970年代半ば以降、食料争奪戦争を激化させた米ソが中心になって、自国の近海の漁業資源を占有するために、沿岸から 200海里(およそ 370km)を「排他的経済水域」と定めることにした海洋法条約の妥当性如何の問題である。排他的経済水域を広さの順でいうと、米国・オーストラリア・インドネシア・ニュージーランド・カナダ・ロシア・日本の順序となる。
領土面積では世界でほぼ60番目の日本は、海洋法によって、四方を海に囲まれているという自然条件を十二分に享受していると言える。どこの川に生まれ、どこの海で産卵し、どこの海を回遊して、どこの海域で捕獲されるに至るのか。
水域を超えて自由に泳ぎ回る魚の一生を思うと、ある瞬間を捉えて、自らの「水域」に存在する魚への漁獲権を言い募ることの本質的なおかしさが見えてくる。
それを「排他的に」主張することが資源大国の独善にならない道を、人類は見つけだす必要がある。
私が好きな地図のひとつに「環日本海諸国図」というのがある(「日本海」の呼称についてはここでは問わない)。富山県が作製したもので、この平面地図の上方に広がるのは太平洋、下方にはロシアのシベリア地域から中国が連なって広がり、その中央に朝鮮半島がある。
それに上下を挟まれるようにして日本列島が(見慣れた形とはさかさまな姿で)うかんでいる。「日本海は大きな内海だった」ことがよくわかる地図である。
この地図に登場するのはロシア、モンゴル、韓国、北朝鮮、中国、台湾の諸地域だが、現在の日本はこれらのどの国との間でも、深刻な歴史過程上の問題を抱えたまま、21世紀初頭段階で解決すべき新たな難題にも直面している。
サンマ漁問題をめぐる日本政府の大国主義的で拙劣な態度は、そのひとつでしかない。
この地図では見えない、上方の太平洋の彼方にある米国との間だけに、政治・経済・軍事・社会・人的交流上の緊密な関係を築くばかりで、周辺諸国とのよりよい関係性を積極的に求めようとしないこの国のあり方は、こうして、どの問題をも貫いている。佐藤春夫に倣って、しかし彼とは別な意味合いで、私たちは言うだろう。「あはれ 秋風よ 汝こそは見つらめ 世のつねならぬこの国の停滞を。」
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