次々と重大事件が起こる。連載で時評的な文章を書いていると、ある時点で何を取り上げ、何を取り上げないのか、それとも先送りにするだけなのかが、常に問われることになる。いずれにしても、テーマの選択には価値観が表現される。
書き手の時代感覚・状況の捉え方が試されているようで、緊張する。今回も、「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書検定合格とそれに対するアジア諸国政府・民間からの批判問題、金正日総書記の長男・金正男と「みられる男」一行の偽造旅券による入国問題、小泉新政権発足と改憲・靖国参拝を軸とするその路線問題、ローマ法王のギリシャおよびシリア訪問とそこでの言動、米国とフランスで取り上げられ始めている戦争犯罪問題、映画『ムルデカ』の広告など、それぞれ個別に論じるに値する、日本と世界の重要な政治・社会・歴史テーマをめぐる情報が、この間のマスメディアには溢れた。
ここでそれらを論じ尽くすことは手に余る。せめて、それらすべてに通底していると思われる問題性を取り出してみたい。発端を、金正男と「みられる男」一行四人がドミニカ共和国の偽造旅券で日本入国を図り、国外退去処分にあった事件から始めよう。
革命運動家が旅券を偽造して国境を超える話は、歴史を顧みても、珍しくはない。ゲバラの場合などは、顔立ちを一変させた彼が、ボリビアへ趣くための偽造旅券を、カストロと共に眺める場面が写真に撮られて残っているほどである。その戦略の当否については立場によって賛否両論がありえようが、ゲバラの決然たる意志が感じられて、いまでもこの写真を見ると胸が迫る。
スターリンに追われたトロツキーの場合は、「地球の上を査証もなく」と評される流浪の旅を余儀なくされ、それ自体に哀感が漂う。金正男(と断定してよいだろう)の場合はどうだろう? 「変装なのだ」と伯母・成恵琅は言う(「週間文春」 5月17日号における萩原遼との会見記。彼女は、金正日の最初の妻で正男の母にあたる成恵琳の姉である。1996年北朝鮮を脱出し、回想記『北朝鮮はるかなり』上・下が文芸春秋から刊行されたばかりである)。
だが、ヤクザ然たるそのいでたち、私にはわからないが週刊誌によればブランド物でかためていたという一行の装身具、「ディズニーランドとユニバーサル・スタジオ・ジャパンへ行きたかった」「5月7日までに北朝鮮に帰りたい」という言い草、それらのすべてが、「革命」とも自国の民衆の「貧窮状況」ともまったく無縁に行なわれているこの一族の生活を象徴しているようで、無性に物悲しく、腹立たしい。和田春樹はかつて、北朝鮮が戦争末期の日本に似ていると書いたことがある(『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』、岩波書店、1998年)。
工場は動かず、食べるものはなく、買い出し生活・竹の子生活を強いられ、女たちの衣服を食料と交換し、満員の汽車に窓から乗り込むような日々をおくりながら、自分たちの指導者である天皇(北朝鮮の場合には金日成=金正日親子)を信ずる以外ほかにどうすることもできない地点に民衆が押し込められているという点が、和田がそのように指摘した指標である。
「それでいて天皇が戦争は終わりだと言えば、それを喜んで受け入れ、天皇を批判することもなく、アメリカの進駐軍を歓迎し、天皇の『人間宣言』も受け入れた。
もともと天皇が現人神だなどと思ったことは一度もないのである。天皇政府が国体護持を唯一の条件としてポツダム宣言を受諾したとき、国民が考えたことは、やめられる戦争なら、なぜもっと早くやめられなかったのだということだった。国民は指導者の決断を求めていたのである」。
金親子のふるまいに呆れつつも、和田の評言がもつような自己批評を私たちは欠くわけにはいかない。私自身が北朝鮮指導部のあり方に深い批判をもちつつ、マスメディアおよびそこに登場する評論家たちが行なう北朝鮮報道との決定的な分岐点を感じるのは、この自己批評の有無においてである。和田のこの問題設定には、歴史教科書問題にも通底するものがある。
「自国の」歴史を、周辺および世界中の他者との関係において、いかに描くかという点において。
私は、自称自由主義史観派の歴史観が大声で披瀝されるようになったこの期間、戦後左翼・進歩派の日本史像にも(とくにその「自国中心主義=ナショナリズム」への拝跪において)検証すべき多くの点があると考え、そのことを強調してきた。これは、台頭する右派の歴史観との関係における私の自己批評だ。この作業はさらに掘り進めなければならぬ。
その私にして、公表された「新しい歴史教科書をつくる会」の中学歴史教科書の記述には、随所で嗤うしかない。問題は、この程度の「歴史書」にも情緒的に共感してしまう「空気」が、この社会には一定程度出来上がっていると考えざるを得ない点にある。
和田春樹は最近、「『日本人拉致疑惑』を検証する」を書いた(「世界」2001年1月〜2月号連載)。
いわゆる拉致事件なるものが、証言者の曖昧な説明と報道者の恣意的な情報処理によって組み立てられて、「 7件10人」とまとめて括られることの危うさを指摘した、勇気ある論文である。
正直なところ、和田の推定が結果的に誤っているかもしれないギリギリの地点にまで彼は踏み込み、「論理」に即して事件の再構成を行なっていると私は思う。拉致事件解明キャンペーンが、民族排外主義的なものとして展開される可能性を少しでも断ち切ろうとする強い意志が、この検証論文からは感じられる。
行方不明者の家族の心配は想像するにあまりあるが、自他を冷静に見つめるこの視点なくして、他者との関わりで生起している問題を解決する術はない。
このような立場はまた、北朝鮮における絶対的支配の頂点に立つ金正日の政策や、今回の金正男のふるまいに対する、暗黙の批判にもなりうるものであろう。
さて、この問題は孤立していない。冒頭に触れた世界の他の地域での動きをいくつか付け加えてみよう。ローマ法王のギリシャ・シリア訪問は、ここ数年来彼が行なってきた、歴史を五百年から一千年も遡って新大陸征服・先住民虐殺・十字軍派遣などに関する自己批判の延長上に位置づけられよう。
フランスでは、1950年代、アルジェリア独立戦争を鎮圧するために仏軍将軍が犯した戦争犯罪、それを見過ごしたと言われる当時の法相ミッテラン元大統領(社会党!)の行為に遡って調査が行なわれようとしている。
米国では民主党の次期大統領候補と言われるボブ・ケリー前上院議員が、 1960年代のベトナム戦争従軍時に民間人21人を虐殺したと告白して、大きな問題となっている。
いずれも、歴史的犯罪の時効という問題について、私たちに再考を迫る質を孕む出来事である。これらの歴史のふりかえり方には、世界的な同時代性が感じられる。他者存在との関係性において、歴史を顧みること。
現実は着実にそこへ向かっている。首相小泉の靖国神社参拝や映画『ムルデカ』の製作意図が、これに逆流するものであることは言うをまたないだろう。内外の多様な問題を串刺しにする視点が重要なのだ。
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