新政権の一部閣僚に対する熱烈な支持現象が煽られるなかで、本来その意味が問われるべき政治家の発言がほとんど問題にされないままに過ぎてゆく。すべてを取り上げることはできないが、記憶に留めておくべきいくつかに触れたい。
外相・田中真紀子との「論戦」で話題づくりに励む自民党衆院議員・鈴木宗男は去る7月2日、外国人特派員協会での講演で「(日本は)一国家、一言語、一民族と言ってもいいと思う。
北海道にはアイヌ民族というのがおりまして、今はまったく同化された」と語り、日本という国の一致団結性.なるものを強調した。
同じ日、経済産業相・平沼赳夫が「日本ほどレベルの高い単一民族で詰まっている国はない。あの大東亜戦争に敗れ、傷ついて帰ってきた惨憺たる状況の中で人的資源を最大限に生かし、歯を食いしばって頑張った」と語った(いずれも、朝日新聞7月3日付朝刊など)。
鈴木は北海道選出議員であり、平沼発言が行なわれたのは札幌の政経セミナーにおいてであることで、ふたつの発言の救い難さが増しているように思える。
単一民族国家論に執着する連中の歴史観が、結局は「日本人の優秀さ」を誇る地点に行き着くさまを眺めていると、ウルトラな表現で突出しているかに見える「つくる会」の教科書が披瀝する歴史観が、それなりに心情的共感のベースをもってしまっていることにあらためて気づく。
1986年の中曽根発言以来15年の歳月が過ぎた。日本は単一民族国家であるがゆえに優秀であることを臆面もなく語ったその発言は、アイヌ民族はもとより国の内外から厳しい批判をうけた。
その後も、コロンブス航海以降の「ヨーロッパ近代五百年」が先住民族との関係で深く問い直された1992年があり、日本政府が国連機関宛ての報告書でアイヌ民族を「少数民族」と認め、人種差別撤廃条約を批准した過程もあった。
アイヌ民族出身の萱野参院議員がアイヌ語で国会演説を行ない、(私たちがそのまやかし的な本質を批判した内容であったとはいえ)「旧土人保護法」の撤廃と「アイヌ文化振興法」の制定もなされた。
二風谷からはアイヌ語の季刊新聞「アイヌタイムズ」が創刊され、最近はアイヌ語によるFM放送局も開局した。東京のアイヌ料理店「レラ・チセ」も開店から七年が過ぎた。ほかにも、アイヌ民族の復権を告げるいくつもの出来事があり、それらがぎっしりと詰まった15年間があったにもかかわらず、鈴木・平沼発言はなされたのである。
自民党員・鈴木と現政権閣僚・平沼の発言は、民間レベルにおけるこのような努力をいっさい心に留めることもなく、平然と行なわれた点で悪質である。だが、この種の発言は人種差別撤廃条約違反であるという国際的な常識に即した報道も論議も、小さなメディアでしかなされない。
この問題を論じることなく、現首相の選挙遊説の姿を一目見ようと群れをなす「大衆」のあり方を煽情的に報道することに熱中するマスメディアは、国際的な視点を欠いたまま「一国的の、純粋培養的な出来事」に一喜一憂する現在の社会的雰囲気の醸成に十分に加担している。
関連して、もうひとつの問題にも触れておきたい。5月14日付朝日新聞朝刊や6月23日付北海道新聞朝刊が報じるように、国連の人種差別撤廃委員会では、琉球処分・沖縄戦・米軍基地の集中などの事実が先住民族である琉球の人びとへの不当な差別であり、人種差別撤廃条約違反であるという議論が国際的に交わされている。
これは、沖縄の人びととNGO「市民外交センター」が協働して行なった国際的な問題提起が実を結びつつあることを示しているが、外国委員の問いかけに日本外務省は「沖縄の人びとは日本民族の一部」との答えを繰り返すばかりだという。
先住民族問題をめぐる国際的な論議水準は、現在の政府・外務省の認識水準では到底対応できない地点で展開されている。8月末から南アフリカのダーバンでは、国連主催の「人種主義、人種差別、外国人嫌い、関連する不寛容のすべてに反対する世界会議」が開かれる。植民地支配の総括と補償をめぐり、欧米とアフリカに象徴されるような対立は続き、議論は困難をきわめるだろう。
しかし、今まで公然たる議論としては存在しなかったこのような問題意識に基づく国際討議は、何ごとかを生み出し、現在にも後世にもその意義を伝えるだろう。
そのことに無自覚な日本政府・自民党・東京都知事のあり方は、彼らが何かにつけても気にかけているらしい「日本の、名誉ある国際的な地位」に十分に関係してくる問題として、のしかかってくるだろう。(この問題は、同時に、琉球処分をどう捉えるか、近代日本国家による植民地支配の歴史的起源をどこに求めるかという問いを、私たちにも投げかけるものとなるだろう)。
忘れてはいけない、もうひとつの重大な発言にも触れたい。大阪・池田市で起きた小学校児童殺傷事件の翌日、首相・小泉は「刑法の見直しも含めて検討したい」と語った。
今回の事態の真相がまだ十分には明らかではない段階(しかし、精神障害者が引き起こした犯罪であるとの予断が、社会全体にひろく行き渡っていた時点)でのこの発言は、「かつて犯罪を行なった精神障害者に対して特別な処分制度があったなら今回の事件は防げたのではないか」、「犯罪を引き起こした者が精神障害者であるがゆえに責任追及を免れることができるのは不当ではないか」という、一般的な雰囲気を背景に、なされている。
小泉はその後さらに、「精神障害者の処遇問題は、政治主導で行なう」との方針を指示した。政府・与党は早速、重大な犯罪行為をした精神障害者を対象にした司法精神病棟や入退院を判断する「司法精神医療審判所」(仮称)を設置する試案をまとめ、新法制定への動きが始まっている。
そのころ、当該事件をめぐって警察発表に基づいてなされる報道は二転三転を遂げており、容疑者は「重篤な精神障害を偽装していた可能性がある」ことすら判明した。
その後は「人格障害者」との見方も出ている。真相解明にはまだ時間がかかるだろう。いずれにせよ、当初「精神障害者による犯罪である」との関連づけで報道された事件は、その段階で首相が行なった「保安処分」導入を示唆する発言や、「精神障害そのものは今回の事件に関係なかった」「容疑者は人格障害者だ」などのその後の錯綜した議論を経て、精神障害者処遇新法試案が検討される段階にまで、一気に進んだのである。
1960年代、刑法改正作業を行なっていた法務省法制審議会は、再び事件を起こすかもしれない精神障害者に裁判所が治療処分を命じ、法務省所管の施設に予防拘禁的に収容する「保安処分」を検討した。
74年、法制審議会の答申が出たが、強力な反対運動が展開されて「保安処分」は刑法に規定されなかった。私たちが身をもって生きた「現代の経験」が、こうして、高い内閣支持率という異様な雰囲気のなかで、論議もないままに跡形もなく洗い流されてゆこうとしている。
|