「今世紀最悪・最大の危機に立ち向かう3人の男達の姿を圧倒的スケールと緊迫感で描いた大型サスペンス・ドラマ」「総製作費8000万ドル」「ハリウッドが初めて迫るキューバ危機の真実とは?」など、おどろおどろしい宣伝文句が踊るハリウッド映画『13デイズ』を観た。
ボリビア・ウカマウ映画集団の友人たちの低予算での映画作りを知っている身からすれば、ことを経費の多寡の問題だけに絞って言えば8000万ドルあればいったい何十本、否、何百本の作品を作れるものか、と思ったりする。そして両者の作品を観て、結局かけることのできる金高によって作品の質が決まるわけではないんだよな、という至極当たり前の結論に至る。
さて、ここで問うべきは『13デイズ』である。テーマは1962年10月の「キューバ危機」。他に「核ミサイル危機」とか、(キューバでは)「10月危機」という呼称もある。同月16日、米国はソ連がキューバに核ミサイルを持ち込んだことを空中偵察機の査察で察知した。時は東西冷戦の真っ只中、首都ワシントンをも射程範囲におく兵器である。
米国からすれば、キューバ空爆か、侵攻か、ソ連船のキューバ接近を阻止する海上封鎖かとの議論が高まる。一触即発、核戦争の脅威であることは誰にでもわかる。これが、米ソ首脳の駆け引きによって、ソ連がキューバから核ミサイルを撤去し、(水面下の密約で)米国もトルコからNATO軍のミサイルを撤去するという合意に達し、13日目にして辛うじて核戦争の危機が避けられたという実話に基づく物語である。
したがって、本来ならば物語の当事者は少なく見ても、三者いる。米国、ソ連、キューバである。核戦争の脅威にさらされたことを思えば、世界全体が当事者であった、と言えないこともない。
だが映画は、米国の3人の若い政治的指導者たちの動向に焦点を当てる。ケネディ大統領、弟のロバート・ケネディ司法長官、ケネス・オドネル大統領特別補佐官である。複数の当事者の一部のみを主人公にして物語構成を行なうことが、すぐれた作品を作り上げるうえで絶対的にマイナスだ、とはアプリオリには言えない。
その少数の主人公たちが、複数の視線、すなわち他者存在にさらされて描かれているならば、事態の全体像に迫ることが絶対不可能だとは言えないからだ。
だが、『13デイズ』は、いかにもハリウッド映画らしく、その方法をあらかじめ放棄した。彼らにとっては常に世界の中心に位置しなければならない米国が、過去の任意の時代にあって、政治的・軍事的な観点から見て、いかに正しい諸決定を下したか、しかも「キューバ危機」の場合には、あの「栄光の、かつ悲劇の」ケネディ兄弟と影の補佐官から成るトロイカ体制が、打開策の模索に苦悩しつつもいかに沈着冷静に事態を判断し、強硬な好戦派軍部を抑えて和平に達したかを描いておけば、よかった。
他者も確かに登場する。それは、国連総会で米国代表スチーブンソンと渡り合うソ連代表ゾーリンであり、ロバートと秘密裏に接触する駐米ソ連大使ドブルイニンであり、フルシチョフの密使として米国ジャーナリストに近づくソ連スパイである。それらは、米国の3人の主役+αを引き立てる範囲においてしか描かれていないことは言うまでもない。
目立つのは、キューバの徹底した不在である。確かに、フィリピンの広大なオープンセットに再築されたというソ連のミサイル基地は写る。基地建設に従事するキューバ人とソ連人の姿も写る。キューバ偵察飛行を行なう米国U2型機を撃墜するソ連軍のミサイルも写る。
8000万ドルの経費のかなりの部分が消費されたシーンなのだろう。だが、それ以上ではない。キューバは「人格」としては描かれておらず、3人の男たちが苦悩し決断するための点景であればよい。
このスタイルは、時代的前後の諸条件からも同時代の客観的な諸条件からも切り離して、しかも虚構の人物を作り出してまで東条英機の「孤独なたたかい」を描いた伊藤俊也の映画『プライド』の方法に酷似している。
1959年 1月のキューバ革命の勝利から1962年10月の核ミサイル危機に至る前史
を知る者は、ケビン・コスナーらが演じる米国の最高指導者たちが深刻な顔つきをして演技すればするほど、荘重さを演出したいらしい映画音楽がその音を高めれば高めるほど、わらいがこみあげてくるのを抑えることはできない。前大統領アイゼンハワーが退任し、ケネディが大統領に就任したのは1961年 1月だった。
アイゼンハワーは退任直前にキューバとの外交関係を断絶している。そしてケネディが就任後2日目にして政府として公式にカストロ体制打倒の計画に没頭していることは、その後開示された米国政府文書が明らかにしている。
U2機による偵察飛行の継続、米国が支援するキューバ侵攻計画の軍事的再検討、前政権時代に開始されたCIAによるいくつもの作戦の続行などである(そのなかには、マフィアを使ってのカストロ毒殺計画もあった)。
きわめつきは1961年 4月のキューバ侵攻作戦だった。キューバ空軍の標識をつけたCIA機がキューバ各地の飛行場を空襲し、同時に反革命軍の侵攻作戦(ヒロン作戦)も展開された。これらと切り離して「核ミサイル危機」をふりかえることはできない。
映画が描くのは唯一、ヒロン作戦の惨めな失敗の復讐を誓う軍部が、一年半後のミサイル危機で強硬路線を主張するという文脈においてである。
鳴り物入りの超大作は、結局、40年前のキューバでの経験はもとより、その後のベトナム、イラク、ユーゴなどにおける政府・軍部一体となった米国のふるまいを内省的に捉えることもなく、偏狭な大国の自己満足的な「ミーイズム」に終始して、帝国内の観客の郷愁を呼ぶだけの作品に終わった。
外部の他者の視線を感じることのない超大国のこの鈍感さは、いつまで続くのか。
(2001年1月15日記)
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