バーミヤンの石窟と大石仏は、篠山紀信などの写真を通して何度か見ていた。
もちろん平山郁夫の絵も、本で眺めたことはある。一方は高さ55メートル、他方は38メートルのふたつの巨大な大仏像の姿もさることながら、800メートルもの距離をもって左右に離れた 両大仏の間を埋める石窟という、まったく既視感の感じられない物珍しい全体像が、バーミヤン渓谷の風景のなかにごく自然に溶け込んでいる様子が印象的だ。
この風景に対する関心は、ここを、アレキサンダー大王が、玄奘三蔵が、ジンギスカンが通ったのだという、歴史の途方もない厚みへの思いも重なって、大きかった。
それでいて、ふとアフガニスタン内戦の現実に引き戻されると、かつて僧侶たちが住居としていた岩山の中の僧房が、難民の住まいとなっていることを伝える写真もあって、いまの現実を生きるしかない人びとの生活上の必要条件と「文化遺産」との親和性が感じられて、悪い気はしなかった。
だが、それは当然にも戦乱の悲劇を物語るものでもあって、大仏の足元が弾薬庫と化し、むき出しの砲弾がびっしりと積まれている写真が私の目をうった。これが、1979年の旧ソ連軍侵攻に始まって現在に至る20年有余の歳月において、人口2000万人のこの国で、死者150万人を出している戦争の現実なのだ。
アフガニスタンの「イスラム原理勢力」タリバーン最高指導者モハマド・アマールが、「偶像崇拝は認めない」として、仏像や彫像を破壊する布告を発令した今年2月末以降、国際社会にはこれを厳しく非難する言論が溢れた。タリバーンは、バーミヤン渓谷を占領した1997年にも大仏爆破を予告したのだったが、この時は世界的な非難を前に撤回した。
だが今回はちがった。3月中旬、爆破時の噴煙に包まれる石窟や、爆破された大仏像の残骸の、無惨な姿が報道された。国際的な非難の声はさらに強まった。「歴史への理解 カケラもなし」「大仏こわし世界から非難:イスラム教信じる集団の一つ」。
シルクロード好きな日本社会を覆ったタバリーンに対する雰囲気は、こんな新聞の大見出し文字に象徴されているように思える。
侵攻ソ連軍がアフガニスタンから撤兵して5年を経た1994年、この国に突如現われ実効的に支配しているタリバーンの政治・宗教思想に、私は何の共感も持たない。
タリバーン主導による人権侵害や女性に対する徹底した差別と暴行も、おびただしい例が報告されており、それを読むことは心理的に苦しいほどの内容に満ちている。今回のバーミヤン大仏像の破壊も愚かな行為だとしか言いようがないことを前提としたうえで、だが果たして、文化遺産破壊というレベルでの批判を行なうだけでいいのかという問題を考えてみたい。
文化遺産や美術品の破壊と略奪は新しい現象ではない。
新大陸に行ったスペイン人たちが、インカやアステカの文化遺産をどう扱ったかを思い起こしてみればよい。大英博物館なるものは、エジプトのファラオのミイラやギリシャ・アテネのアクロポリスの丘にあるパルテノン神殿の大理石装飾をはじめとして、大英帝国時代に旧植民地から奪い去ったり何人かを篭絡して買い取った「文化遺産」を大量に所蔵していてはじめて、その「権威」を保っている。
19世紀末から20世紀初頭にかけてまとめられたハーグ条約は、文化施設、歴史的記念建造物、美術品を「計画的な奪取、破壊、損傷」から保護することを決め、多くの国々がこれに調印したが、人間に対する暴力・殺傷行為が「戦争」として公認されている以上、国を挙げての戦争行為の「武器」あるいは「盾」として下位に従属するほかはない文化遺産が、ひとり無傷でいることなどありえないのだ。
遠い時代の話ではない。ナチスによる文化遺産の破壊と美術品の略奪、それに対して「勝利した」ソ連による報復的な略奪の、恐るべき実態については、アキンシャとコズロフの『消えた略奪美術品』(新潮社)が詳しく明らかにしている。
われらが足元を見て、明治新政府の神道国教化政策の下で行なわれた廃仏毀釈や、朝鮮と中国で行なった美術品や書籍の大量略奪などを忘れるわけにはいかない。
米国務長官パウエルは、タリバーンの所業を指して「人類に対する犯罪」と呼んだが、1960年代から70年代にかけて己の国が行なった対インドシナ戦争において、ベトナムのチャンパ文明の遺跡やカンボジアのアンコールワットなどを危機に陥れた責任を自覚することもないままに、他者を非難することがどうして出来ようか。
パウエル自身が責任をもつ時代で言えば、イラクのシュメール文化の遺産、バビロン遺跡、アッシリア帝国の遺跡などを一部にせよ破壊した多国籍軍によるイラク全土への空爆と地上戦を思い起すだけでよいのだ。
また、イスラエル軍による聖地エルサレムのアルアクサモスクの破壊が、どうしてバーミヤン破壊と同じ世界的な関心と非難を呼び起こさないのかという疑問が、私たちの心には生まれる。
ここでもまた、何を非難し、何を暗黙のうちに認めるかをめぐる二重基準が作用している。
しかも米国はタリバーンの誕生と発展に、アフガニスタンに侵攻した旧ソ連と同等の責任を負っている。米国がソ連封じ込め戦略のためにイスラム原理主義勢力にテコ入れし、ソ連崩壊後は石油・天然ガス権益確保のためにタリバーンに肩入れしたことは周知の事実だ。
タリバーンが急速に勢力を拡大し、米国の思うがままにはならなくなった時に、タバリーンは米国にとって「国際テロリスト」となった。そして国連の経済制裁を受け、民衆は餓死線上をさまように至っている。
それにしても、人びとの生きる現実には無関心なまま、遺跡の保存のためだけには涙を流す連中が、世の中には何と多いことだろう! それこそが問題の本質である。
タリバーンの一幹部は、ユネスコなどがバーミヤンの石仏を保護・修復するために資金提供を申し出た際に「彫像に資金を費やす代わりに、食糧がなく死んでいるアフガニスタンの子どもたちをなぜ救わないのか」と怒ったという。
アフガニスタンの現状をもたらしたタリバーン指導部の責任は大きいが、この言葉は真実の一端を突いている。パキスタンとアフガニスタで医療活動を続けるペシャワール会の医師、中村哲は言う。
「我々は(タリバーン)非難の合唱に加わらない。餓死者百万人という中で、今議論する暇はない。人類の文化、文明とは何か。
考える機会を与えてくれた神に感謝する。真の『人類共通の文化遺産』とは、平和・相互扶助の精神である。それは我々の心の中に築かれるべきものだ」(朝日新聞2001年4月3日付夕刊)。「本当は誰が私を壊すのか:バーミヤン・大仏の現場で」と題されたこの文章は、事態に関わる無数の報道のなかで、いちばん私の心を撃った。
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