ユーゴ戦争:報道批判特集
訪米報告(1):ユーゴ攻撃で米ユダヤ人社会に亀裂
1999.8.13 WEB雑誌『憎まれ愚痴』33号掲載
1999.8.7.mail再録。
ユダヤ人の熟年女性が2人、1999.7.31.炎暑のニューヨーク市内で開かれた「NATOを裁く独立国際戦争犯罪法廷」の開幕式で、壇上に立ちました。延々8時間にも及ぶ数多い演説の内で、私が最も強い感銘を受けたのは、この2人の発言でした。
別に、演説が上手だったわけではありません。2人とも、日本でも良く見掛ける苦労を重ねた実に人の良さそうなオバサン、いや、もうオバアサンの年頃でしょうか。むしろ、咄々と、切々と、自らの苦しい心境を訴える口調でした。
2人とも、しかし、簡単に言うと、アメリカのユダヤ人社会がNATOのユーゴ攻撃を支持したことに対して、深い危惧の念とともに、断固たる反対の意志を表明したのです。私は、この2人の実に悩み深げな、途切れがちの慎重な発言を聞きながら、時差ぼけの疲れがどこかに吹き飛び、頭が冴え渡り、背筋が引き締まり、まさに天啓を受けたかのような心地になりました。
訪米前からの私の予測は、自分で言うのも、おこがましいのですが、恐ろしい程に的中していたのです。なぜなら、この2人は、すでに私が若干入手していた断片的な情報を、目前にいる実在の人物の生の発言という形で、裏付けてくれたものだったからです。
アメリカのユダヤ人社会の一部が、NATO批判、つまりはアメリカ政府批判を、かなり前から公言し始めていたのです。しかし、アメリカのユダヤ人の長老、しかも、東欧のチェコ生れで、迫害されてアメリカに渡り、国務長官という最高の実力者の地位に付き、いわば「スキャンダル坊主」クリントンの教育ママ、アメリカ版「鉄の女」、「オルブライト戦争」の陰の指揮者、などなど、あの、見るからに、精力的な、おっかないオバアチャンなどに、正面から逆らうなどということは、アメリカのユダヤ人社会では、大変な決意を要する反逆的行為に違いありません。
2人の内の1人は、分科会の4.「戦争、嘘、ヴィデオ:メディアの役割」(War, Lies, and Videotape: The Role of the Media」のパネラーで、プログラムの紹介は「Heather Cottin, Serbian-Jewish Friendship Commitee」となっていました。もう1人は、会場で手を挙げて指名され、壇上に登りました。すべてヴィデオ録画してきましたが、声だけから原稿を起こすのは非常に難しい作業です。いずれ、双方とも、国際行動センターのホームページに、その発言が記録されるのではなろうかと期待しています。ホームページ全体のURLは、下記の通りですので、サーフィングのできる方は、宜しく御注目下さい。
さて、このところの私の最も重要なテーマ、「ホロコーストの嘘」の関係から言うと、2人とも、残念ながら、その嘘を信じているようでした。むしろ、2人とも、ユーゴの悲劇を理解するために、アメリカのユダヤ人が、もっと深くホロコーストを学ぶべきだと考えているようでした。つまり、NATOの攻撃が「ホロコースト」であり、「ジェノサイド」だから、許すべきではないと主張しているのでした。
その一方で、NATO軍の大元帥とでもいうべきオルブライト国務長官は、ユーゴ連邦大統領のミロシェヴィッチを「ヒトラー!」「ホロコースト!」「ジェノサイド!」と罵り、戦争を煽ったのでした。
ということは、双方ともに、「ホロコースト神話」を担いでいるのです。
この「ホロコースト神話」の位置付けについて、私は、何度も、さまざまな角度から考え、書いてきました。この件でも、折角の訪米の機会に、何らかの新しい資料を入手したいものと考え、アメリカのホロコースト見直し論者とE-mailで連絡を取っていたのですが、私のニューヨーク滞在とスケジュールを合わせることのできる人はいませんでした。
ところが、この件でも、まさに天啓のような、または、「犬も歩けば棒に当たる」経験をしました。というのは、法廷が開かれた7.31の2日後、8.2.、翌日の帰国を前にして、国際行動センターの本部を訪ね、ドッサリ資料を貰い、また炎暑の街に出て、次の挨拶回り先の「ペーパータイガーTV」本部に向かう途中に、大きな本屋がありました。音楽のCDの方が商品の中心のような感じだったので、あまり期待せずに、とりあえず涼みに入ってみたら、地下にベストセラーの本棚が並んでいました。クリントンのスキャンダルや、歴代大統領の内幕暴露などのカラフルで派手な表紙が目立つ中に、一冊だけ、地味な表紙の、『アメリカ人の暮らしの中のホロコースト』(THE HOLOCAUST IN AMERICAN LIFE)という本がありました。
どうやら、最近、どこかで誰かが、書評を見たとか語っていた本のような気がするのですが、発行は、1999とあるだけで、月日が入っていません。日本の本の場合には月日と何刷かの数字が入っているのですが、欧米の本の場合には、著作権(Copyright)の主張の年という意味なのでしょうか、月日が入っていないので、かねがね不便だと思っていたところでした。
それはともかく、30ドルほど出して買い求めました。著者は、すでに何冊かの著書があり、賞も取っているシカゴ大学の歴史学教授とかで、売り文句は、中身の最初の部分にも出てくる次のような「懐疑的」な観察です。
「ホロコーストは、どうして、アメリカ人の暮らしの中で、こんなに大きな影響力を持つようになったのだろうか?」(How has the Holocaust come to loom so large in American life?)
この疑問に対して、私は、すでに1つの考えを抱いていました。簡単に言うと、人類集団は常に、その集団に固有の神話を必要としてきました。アメリカの場合は、メイフラワー号に始まる建国神話、民主主義の神話がありました。ところが、今や、コロンブスは侵略者、アメリカ憲法は奴隷制容認、つまり、原住民無視、黒人差別の不人気神話となり、かてて加えてヴェトナム戦争でも敗北と、次々に神話が崩壊しました。そこへ急速に浮上したのが、旧約聖書の「出エジプト記」に相当する「迫害との戦い」、「ホロコースト神話」であり、その共有化でした。
今、その神話の利用のエスカレーションとして、ユーゴ侵略が行われているのです。この「エスカレーション」という言葉は、ヴェトナム戦争における北爆に対して使われ、日本でも流行しました。私は、ヴェトナム戦争の直後、拙著『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』の終りの部分(p.182)で、欧米流のアフリカ史の錯誤、矛盾の拡大を「エスカレーション」と位置付け、その破綻を指摘し、次のように書きました。
「[前略]エスカレーションという単語は、ヴェトナム戦争によって、新たな概念を獲得した単語である。それは、つくろいきれぬ破綻を、無理押しで解決しようとする戦法であって、さらに決定的な破綻へとつきすすむ道である」
神話のエスカレーションと破綻は、日本の近代天皇制、ドイツのゲルマン民族最優秀説に、その典型を見ることができます。アメリカのユダヤ人社会には、すでに少数派として、反シオニスト、ホロコースト見直し論者がいます。湾岸戦争から最近のイラク爆撃などに対しても、反政府発言をするユダヤ人が現われています。それらに加えて、新しい反主流が生れ、公然と発言を始めたのです。私は、拙著『アウシュヴィッツの争点』でも、「心あるユダヤ人の有志の努力に期待しつつ、その努力に呼応することを、1日本人としてのみずからにも誓う」(p.330)と記しました。
そういうわけで、2人のアメリカのユダヤ人のオバアチャンの発言を、上記の私の「みずから」への誓いと、いずれは同じ方向を目指すものだと感じた次第です。
以上。
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