ユーゴ空爆の背景 利権と歴史と謀略と侵略とメディアの嘘と(23)

ユーゴ戦争:報道批判特集

勝利宣言うわずり鉄の女vs桶狭間ロシア軍

1999.6.18 WEB雑誌『憎まれ愚痴』25号掲載

1999.6.12.mail再録。

 日本の大手メディア報道だけでは、まるで分からないことが、あまりにも多いのが、最近の国際情勢です。それほどに政治工作、裏操作が多発し、情報が乱れているのです。

 先にも、「撤退受諾」の報と同時に「騙し討ちを許すな!」と題するmailを送りましたが、たとえば、同じ時期のフランスの新聞『リベラシオン』にも、武装組織(ユーゴ側は「テロリスト」と呼ぶ)UCK(ウチク。英語の「コソボ解放軍」の頭文字がKLA)の「生き残り作戦」の怪しげな様相が、詳しく解説されていました。

 国連(正しくは諸国家連合)安保理決議の「コソボ解放軍や他のアルバニア系住民武装組織を非軍事化」という項目が、どのように実行されるのかが、今後の重要課題です。

 KLA問題については、別途、詳しく論ずる予定ですが、簡単に言うと、決裂に終わったフランスでの和平交渉では、今年の3月15日、「アルバニア系住民代表団は和平案の全面受諾を正式表明した」(『世界』1999.6.p.213)のですが、その案には「コソボ解放軍の解体」が含まれていたのです。

 私が、このところ「検証」を続けているラチャク村の「虐殺」発表と報道は、まさに、この同じ日の、3 1月15日(注)に行われたKLA掃討作戦、翌日の16日のアメリカ人団長による「村民の虐殺」発表、CNN,BBC,スカイニュース(米、英)の「これでもか、これでもか」のhair-raising(身の毛もよだつような)「総ジャーナリズム報道」、翌々日の17日の遺体奪還作戦という順序になっているのです。ですから私は、ラチャクの「ドラマ」が、KLAを将棋の駒として操る筋による挑発の構図に、ピッタリ符合すると見ています。

 さて、本日、1999年6月12日、米軍放送ラディオには、何度も、「アメリカ版・鉄の女」オルブライト国務長官の「勝利宣言」が流れました。わざわざマケドニアの国境地帯にまで出しゃばって、米軍兵士や「テロリスト」支援者に向けて演説しているのです。このところ聞き飽きたしゃがれ声の叫びが、あきらかにうわずっています。アメリカの政界筋では「オルブライト戦争」と言われていたのですから、きっと得意満面なのでしょう。日経(1999.6.11)にも、「談笑するオルブライト米国務長官」の説明付きで、嬉しさを隠し切れないような笑顔の写真が載っています。

 いつぞや私は、ある平和訴訟の仲間の女性の「女の議員が半分にあれば世の中が変わる」という、何時もながらの「断言」に、ついつい逆らって、「神功皇后、……サッチャー……」などと言ってしまい、大変不機嫌な顔をされてしまったことがあるのです。でも、どうですか。私の予言は当たるでしょ。いっそ、占い師にでも転業しましょうか。

 しかし、本日の米軍放送には、ABCのニュース・コメンテーター、ポール・ハーヴェイの皮肉たっぷりな解説もありました。おもむろに、「……勝利を宣言しているが、しかし……」といった調子です。特筆して置きたいのは、かつて敗北の煮え湯を飲まされた「敵」の小国、「ヴェトナム」の世論についての、次のような抑揚豊な紹介でした。

「ヴェトナムは怒っている。ユーゴとともに戦うと言っている。我々は、呵責のない侵略を受けた者が味わう苦しみを知っている、と語っている」。

 アメリカは、誤爆の上塗りの嘘の言い訳で、中国も怒らせ、仲間外れのロシアも怒らせています。外交的には大失敗です。

 国内でも、大統領候補にも打って出る著名な政治家、パット・ブキャナンが、「大失策(blunder)。国際法違反。憲法違反」と、口を極めて批判しています。

 軍事的には、アメリカ本土からも志願兵を送り込み、怪しげな麻薬商売の資金で後押ししたKLAが、掃討作戦で国外に追い出されています。明らかに「地上戦は敗北」です。

 そこへ持ってきて、ロシア軍の装甲車の先駆けです。「オルブライトは困惑している。クリントンは、それで良いと言っている」。つまりは国論だけでなく政権内でも分裂。足並が乱れ、もつれています。

 実は私、不謹慎なことに、先のような「撤退受諾」ニュースを聞いた途端、「騙し討ちを許すな!」と題するmailを送るや否や、世界地図を引っ張り出して、ロシア軍の現地への派遣ルートを想定してみたのでした。これが結構、遠いのです。他の国の国境を通過するのは面倒の源ですから、ユーゴ側に直接空輸かなと思っていたら、何と、隣のボスニアに駐留していた「平和安定化部隊」(SFOR)を「流用」して、たったの150人を、「準備のために」の先発隊と称して送り込んだのでした。確かに、戦闘は終わっているのですから、先陣の人数は関係ないのです。要は先駆け。日本の戦国時代ならば、一番槍の大手柄。小人数でも桶狭間。

 ただし、こちらについても、「既成事実作り」か、「ロシア政府と軍部」の意思統一の不備か、などと推測が入り乱れていますが、面白いのは、日経(1999.6.12)の写真です。「11日、ユーゴの首都ベオグラード郊外を進むロシア軍部隊」の先頭の装甲車の前部には「KFOR」と白いゴシックの頭文字が見えますが、その最初の「K」が、色も鮮やかで、他の文字より太くて、縦も長くて下に少しはみ出ているのです。まず間違いなしに、上記の「SFOR」の最初の一字だけを、急遽、塗り直したのでしょう。

 夕刊には、「12日、プリシュティナ入りしたロシア軍装甲車の上でユーゴスラビア国旗を掲げるセルビア系住民」の説明付きで、3本の指を立てて「勝利」を祝う姿が写真が載っています。両手を上げている「おかっぱ」の女の子は、中学生ぐらいの感じです。

 そこで、ふと連想してしまったのは、第2次世界大戦の終わりの頃を描いた数多い映画のシーンでした。エルベ河でドッキングしたソ連軍と米軍の兵士が、「平和の誓い」をする話もありました。あれから半世紀以上、「エルベ河の誓い」の神話は、どこへやら、混乱の限りを尽くした揚げ句の果て、膨れ上がったNATO軍の前に、衰えたりとはいえ「腐っても鯛(タイ)」なのでしょうか、タイムマシーンで送り込まれたかのように、ロシアの装甲車が、「エイ、ウッフニェム、エイ、ウッフニェム、………」と現れたのです。

 湾岸戦争の時にも、アメリカとイラクの双方が「勝利宣言」しましたが、などと、とりあえずの感想を述べてみました。「ユーゴ和平」のロゴマーク付きの記事が、尻切れトンボに終わらず、もっともっと本音の議論に発展することを願います。

 なお、私は、あの、まるで意味の分からない「チン」の「敗戦の詔勅」を聞いた時には、8歳でした。最近は「人間をやっているのが嫌になる」ことが多いのですが、仕方なしに生きている限りは、やはり、「平和」への希望を持ち続けるしかありません。

「思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(魯迅『故郷』、竹内好訳、岩波文庫『阿Q正伝(ほか)』所収)

 以上。


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