ユーゴ戦争:報道批判特集
コソボ問題での自主メディアへの過信の危険
1999.5.7 WEB雑誌『憎まれ愚痴』19号掲載
以下は、「である」調に直したmailの増補版である。
ユーゴの「自主メディア」こと、B92の放送をセルビア政府が禁止した件などについて、日本国内でも、いくつかの情報が流れ、集会やメーリングリストで、「ユーゴの言論の自由」に関する議論がなされている。私は、こういう情報を皆が知る必要があるし、そのためにインターネットが役立つことを、これからの可能性としても大いに重視している。
しかし、同時に、私自身の過去の痛い経験と、いくつかの既存情報を基にして、やはり大いに注意して臨むべき点があることをも指摘しないわけにはいかない。
いわゆる社会主義、共産主義の体制に組み込まれていた国々には、色々な問題点があったし、現在もあることは確かである。しかし、東西両陣営が双方ともに、謀略を仕掛け合っていたこと、現在も行っていることも、これまた事実である。
まずは過去の時代に属する経験になるが、具体例を示す。ここでは事例を大きな事件だけに限る。
私は、朝鮮戦争はアメリカが始めたという「説」を信じていたが、ソ連崩壊後に証拠の資料も発表され、事実は、金日成を傀儡とするソ連の軍事冒険主義に発端があり、北朝鮮が侵攻したことが明らかになった。金日成の反日パルチザン活動も作られた神話であった。ヴェトナム戦争では、南の解放戦線が戦っているという「説」を信じて、北ヴェトナムのいわゆる「ヴェトコン」の浸透を主張するのはアメリカのデマ宣伝だと思っていたばかりでなく、組合幹部として組合員に説明していた。今思い出すと、冷汗三斗である。
その反対に、日本軍が満州を侵略した際の鉄道爆破、中国本土侵略のきっかけとなった日本人僧侶の一行殺害は、日本軍の仕業だった。その他の偶発事件も、結果的には謀略として活用された。ヴェトナム戦争でもアメリカのデッチ上げが多々あった。
たとえば私が湾岸戦争で、油まみれの水鳥を「殺したのは誰か」と追及したのは、そういう過去の失敗、無知への反省、悔しさがあったからである。それを受けて『ザ・スクープ』が、事実は、アメリカ軍による開戦直後のゲッティ・オイル原油貯蔵タンクの爆破によるものと突き止めた。しかし、この事実は、テレビ朝日の親会社の朝日新聞さえ報道しないという典型的なマスコミ・ブラックアウト(英語にはMedia-blockadeという表現がある)によって、いまだに広く知られるには至っていない。特に湾岸戦争では、サダム・フセインの「独裁者」イメージが強いために、アメリカの「正義」の正体暴露が徹底し難い状況がある。
ユーゴの問題でも、ミロソヴィッチ大統領の「独裁」「民族浄化」などの用語が先行しているが、その実態は見え難い。ユーゴには、ソ連に逆らって「非同盟」の旗を振った歴史がある。国営放送のタンユグは、非同盟と第3世界をつなぐネットワークを提唱していた。それなりに言論の自由がある国だったのである。しかも、さる4.25.集会の岩田報告は、それ以上に驚くべきものだった。
岩田さんは、現地で入手してきた最近の雑誌を示しながら、その驚くべき実態を説明してくれた。反体制派の雑誌には、何と、日本の左翼なら大騒ぎするはずのアメリカの国際謀略放送、Voice of Americaの広告が載っていた。反体制派が出した政府批判の本には、ドイツの財団の資金提供にによる出版であることが明記されていた。反体制派は、市場経済を歓迎する都市部のエリートである。
こういう状況は、旧ソ連や中国では、あり得ないことである、良い悪いは別として、今の世界全体の言論状況から見れば、いささかバランスを欠いていると言わざるを得ない。あの超大国のアメリカでさえも、湾岸戦争中には、「国境がないと想像しよう」と歌う「イマジン」を禁止したのである。戦争とは狂気の仕業であって、いわゆる国論統一なしには継続できない。バランスの欠如は、現在のような極限状態では、その反動としての別の混乱を呼ぶ。そういう裏の事情を勘案して、すべて話半分、眉に唾をたっぷり擦り込んで聞くべきである。
誤解のないように断って置くと、岩田昌征(まさゆき)さんは、ミロソヴィッチの擁護者ではない。むしろ批判をしている。著書に『ユーゴスラヴィア/衝突する歴史と抗争する文明』(NTT出版、1994)がある。私も、図書館で借りてきたばかりなので、書評は次の機会にしたい。とりあえず、ユーゴの国情については、「ユーゴスラヴィア共産主義者同盟が第14回臨時党大会を最後まで遂行できず、空中分解してしまった」(p.44)前後の詳しい経過を知らずに、内部でさえも混乱を究める問題を、外部から勝手に論評するのは危険であると言わざるを得ない。
もう一つ、いわゆる自主メディアとユ-ゴ問題の関係では、ボスニア紛争の際に、アドリア海の船から放送する状況の特集を見た。確か、E-TVの海外特集だったと思うのだが、残念ながら録画はしなかったので、はっきり言えない。その中で、放送をやっている欧米のヴォランティアたち自身が、「中立」の難しさを議論していた。
私は、いわゆるG7大国のヴォランティアには、一定の限界があると考えている。全部ではないにしても、そういうことができるのは、中流か上流の家庭で育ったエリートである。自分では良心的に「中立」「平和」を願っているつもりでも、そういう育ちの人間には、自分の価値基準があって、それに基づく観察、報道をしてしまいがちである。しかも、資金が欧米の大資本から出ているとなれば、大いに疑ってかからないといけない。
私は、むしろ、下手な聞きかじり情報を慌てて流すよりも、断固として、武力行使の即時停止を求めると同時に、直ちに真相糾明の調査団を送ること、それも、まだまだ将来ある若者に銃を取らせたりするのではなくて、若者には私の別途提言の「熟年・非武装・無抵抗・平和部隊」の「後方支援部隊」への志願しか認めないこと、これを何度も叫び続ける。
別途提言の「熟年・非武装・無抵抗・平和部隊」は、次をクリック。
以上。
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