ユーゴ空爆の背景 利権と歴史と謀略と侵略とメディアの嘘と(5)

ユーゴ戦争:報道批判特集

セルビアはファッショか否か論争に一言

1999.4.30 WEB雑誌『憎まれ愚痴』18号掲載

以下は、99.4.23.投稿 [pmn 6788] mailの再録です。

 木村愛二です。

「セルビアの体制の評価とメディアの位置付け」と、私なりに理解しますが、橘さんと福富さんの意見交換を[pmn]MLで拝見したので、一言させて頂きます。実は、私自身が、そういう問題点をも意識しつつ、何度か意見を出していたのですが、いささか回りくどかったかなと反省しているところです。

 私は、湾岸戦争以来、平和訴訟に3つ、原告として参加してきました。これらの運動自体にも不十分さが沢山ありましたが、そこでかなりの勉強と議論を積み重ねました。

 私なりの理解の中心点を、まず、簡略に述べます。

 それは、戦争の長い歴史、戦争防止の近代史、または人類史全体を通じて見ると、法、戦争の場合は特に国際法、の積み重ねを重視することなしには、相互殺戮の輪廻は閉じないだろうということです。国家という枠組みには、歴史の制約がありますが、現在は、その枠組みの中で、内政不干渉の原則を守り合い、平和的解決に努力するしかありません。

 個人間の法のレベルで見ても、敵討ちの繰り返しは、江戸時代に法で禁じても公然と続き、今でも時折は起こります。

 法、またはそれに基づく行政を認めずに破る例については、つい最近にも、アメリカでは有名な医師、カボーキアンが、有罪の実刑を宣告されました。この医師は、苦痛を訴える難病の患者の家族の依頼を受けて、安楽死の自殺を手伝い、これまで何度も「自殺幇助罪」で告発されながら、常に無罪の判決を得ていました。今度も、やはり本人と家族の懇望を受けてのことでしたが、全身麻痺で自殺も不可能な患者に自分の手で安楽死の注射をする場面をヴィデオに収めており、それがテレヴィ放映されたので、殺人罪と判定されました。女性の裁判長が、いかにもやむを得ないのだという感じの低い声で、切々と「いかなる人にも法を破る権利は無い」という判決理由を語っていました。

 おそらくカボーキアンは、70歳の自分が獄に繋がれることも覚悟の上で、医師としての良心に従ったのでしょう。この「良心」の問題では、国防総省の軍事機密を暴露したエルズバーグも、同じ覚悟をしたはずです。

 このような覚悟は、日本の江戸時代の一揆の指導者になった人々にも共通するものでしょう。

 しかし、湾岸戦争でもそうでしたが、自ら国連(正しく連合国または諸国家の連合)を作りながら、常にダブルスタンダードの勝手放題をしている国家としてのアメリカには、自らが獄に繋がれても不都合な法や行政を改めさせるという覚悟があるわけではありません。全くの欺瞞です。

 人類史の結晶としての法には、疑わしきは罰せずの原則もあります。たとえ極悪人でも平等に法の裁き、または保護を受ける権利が認められています。この原則は、長い経験から生み出されたものですが、それでも、つい最近のオウム真理教捜査の実例のように、相手が「悪魔化」しやすい場合には、法の番人であるべき検察当局によってすら破られます。

 セルビアの大統領が独裁者かどうかという問題に関しては、同じく東欧の「共産主義国」だったルーマニアのチャウシェスク大統領の場合、権力崩壊の劇的な切っ掛けとなったティミショアラの「虐殺」に関して、遺体置き場の死体を運び出して写真に撮り、それを外国の通信社に流したという事実がありました。大統領夫婦の死刑の実行にも法的な問題点がありました。独裁の問題点とは別に、反対派のやり過ぎ、または「やらせ」が起きる可能性は、どこにでもあります。また、それが次の反動を呼ぶこともあります。

 政府系ではない「独立」のメディアだからといって、一概に中立とか公正とかは断言できません。アメリカは、日本の「民間」TV放送網も、NHKに対抗するVoice of Americaの一環として育成したのですし、旧ソ連内部にも強力なスパイ網を築いていたのです。

 米軍放送に入ってくるアメリカ本土のルポには、元空軍兵士の養老院での討論がありました。参加者は70から80歳台の4人の元下士官たちでした。その内の一人だけが冷静な声で「内戦に干渉すべきではない。我々には、そういう権利はない」と語るのですが、他の3人の「正義の戦争」を感情的に力説する声に圧倒された感じで、番組全体の印象としては、アメリカの空爆は止むなしの与論作りに役立っただろうと思います。

 その点で、これまでの私のmailの主張を要約すると、日本は、満州を侵略する時に、張作霖は「馬賊上がり」の阿片中毒患者だと宣伝したのです。近代史における侵略は、クロムウェルの「王党派」追撃のためのアイルランド侵略、フランス大革命以後のナポレオンの大陸制覇を典型として、「共和主義」「民主主義」「社会主義」などの「正義の御旗」の下に、政治的にも経済的にも、だから当然、戦力の上でも劣る国への先進国の侵略を特徴としています。日本の天皇制やナチスは、それらの変種です。相手が「野蛮」だから、「独裁」だから、国際法を無視する武力行使もやむを得ないという屁理屈を許せば、歴史はまたジャングルの掟の支配下に戻ります。

 こういう時に、どれだけ冷静になることができるかが、これからの人類こと実に凶暴な本能を埋め込まれた裸の猿の今後への分岐点の指標でしょう。東西冷戦構造が崩壊し、イラクをめぐる情勢も膠着状態の現在、もしかすると、このコソボ紛争の処理は、人類史上、意外にも決定的な場面になるのかもしれないと感じています。

 なお、最新のアメリカの放送によると、アメリカにはコソボ出身を含めて30万人のアルバニア人がいて、決起集会を開いており、義勇兵志願者が続々アルバニアに渡って軍事訓練を受けているそうです。セルビアとアルバニアの戦争開始との報道には、こういう裏がありそうです。要注意です。

 以上。


(6)コソボ問題での自主メディアへの過信の危険
ユーゴ空爆の背景
ユーゴ戦争:報道批判特集
WEB雑誌『憎まれ愚痴』18号の目次に戻る