ユーゴ戦争:報道批判特集
ユーゴ空爆の基本的構造の考察
1999.5.28 WEB雑誌『憎まれ愚痴』22号掲載
mail再録。Sent: 99.5.22. 2:21 PM
木村愛二です。
以下に引用したmailの「追伸」部分には、一般性があると思います。これを、ひとつの質問として受け止め、私なりの考え方を整理し、他のメーリングリストの皆様にも御検討頂きたいので、重複投稿として、お送りします。
[aml 12286] ハーグ平和アピール1999の報告
Received: 99.5.21 10:08 AM
追伸: ところで、なぜNATO諸国はユーゴスラビアを爆撃しているのでしょうか。もし彼らが人権を尊重し平和を希望するなら、国連を尊重するでしょう。彼らの目的は、NATO諸国の関係を強めることでしょうか、それとも世界を支配することでしょうか、それともイスラムの拡張を阻止するためでしょうか。
この「追伸」は、いわゆる反語的表現です。筆者は、「人権を尊重し平和を希望する」と称する「NATO諸国」の口実を信じておらず、その証拠に「国連を尊重」していない事実を挙げており、「彼ら」の真の目的は、「NATO諸国の関係を強めること」「世界を支配すること」「イスラムの拡張を阻止するため」なのではないかと疑っているのです。
私は、この部分を読んだ途端に、さる5.11.新宿歌舞伎町ロフトプラスワン「ユーゴ紛争の深層を探る」で私自身が紹介した「イスラム」世界のエジプトの経済学者、サミル・アミン(1931~)の言葉を思い浮かべました。アミンは、簡単に言うと、第3世界が欧米先進国の真似をしても駄目だと主張しました。その主張の正しさは現実によって証明されています。私は、そのアミンが1997年に発表した論文を訳している最中の日本の研究者からの手紙によって、アミンが、つぎのように指摘していたことを知ったのです。
「(西側の狙いは)ロシアとユーゴスラヴィアを解体することだ」
アミンの主張、または予測、情勢分析の詳細は、その論文の日本語訳を待つしかないのですが、私も、このような状況を「力学」という考え方で位置付けています。「力学」とするのは、誰かが、またはどこかの組織が、国家が、具体的な計画、謀略として描くというよりも、主として、経済を土台とした「力学的趨勢」によって、歴史の大きな軌跡が方向付けられると考えるからです。
もちろん、個々の計画、謀略の存在を否定するわけではありませんが、それらの計画、謀略すらも、「力学」に従って生れ、「力学」の指し示す方向に沿って実行されるのです。
アミンはマルクス経済学者ですが、私は、マルクスの絶対視は戒めつつも、ソ連の崩壊を機として優勢となった「読まずに済ます」という怠惰な傾向については、軽蔑しています。近代経済学のケインズも、実は、裏返しのマルクスの弟子なのです。マルクスの『資本論』(私の正確な意訳は『資本:国家主義的政治経済学批判』)はギリシャの経済学にも学んでいます。温故知新を無視する最近流行マニュアル型思考は、イチかパチかの博打的な知的堕落でしかありません。
ソ連の崩壊によって、世界は再び、資本主義のジャングルの掟の歯止めを失いました。10%もの失業率を背景とするドイツのように、「自由競争」と称する経済的衝動に従い、「人権を尊重し平和を希望する」仮面で自他ともに偽り、再三再四のバルカン半島進出を図っているのです。セルビア民族主義を背景に権力の座に登ったミロソヴィッチなどは、サダム・フセインと同様に、格好の「悪魔化」攻撃対象となります。
さて、そこで、ウッセエ、などと思う若者もいるであろうことを重々承知の上、100年以上も前に、浅黒いユダヤ人、つまりは本来の中東のアラブの一族であるユダヤ人の系統のマルクスが、資本(彼)の衝動を表現した言葉を紹介して置きましょう。
「彼は、いくら新たな征服によって国土を広げても、国境をなくすことのできない世界征服者のようなものである」(『資本論』岡崎次郎訳、大月書店、1965, 1巻a, P.174)
「競争においては、資本のこのような内的傾向は、他の資本によってくわえられる強制、適当な釣り合いをのりこえて、たえず進め! 進め! と資本を駆り立てる強制として現われる」(『経済学批判要綱(草案)』高木幸二郎訳、大月書店、1959, II, P.342)
「自由競争は、それについてあれほど多くのおしゃべりがなされ、またそれが資本にもとづくブルジョワ生産全体の基礎になっているにもかかわらず、まだ一度も経済学者たちによって解明されたことがない」(同上、p.342)
4分の1タタール系のレーニンは、世界分割戦争時代に、こう記しました。
「独占は自由競争から発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえに、自由競争とならんで存在し、それによって幾多の、とくに鋭く激しい矛盾、あつれき、紛争を生み出す」(『帝国主義論』副島種典訳、大月国民文庫[改訂版]、1961, p.115)
以上のような言葉の、どこが「古い」のでしょうか。
なお、さる5.11.新宿歌舞伎町ロフトプラスワン「ユーゴ紛争の深層を探る」で登壇した千葉大学教授の岩田昌征(まさゆき)さんも、今の日本では窓際族のマルクス経済学者ですが、飲み屋の雑談で、いきなり、「人類が増え過ぎたから減らしたい衝動が働くのではないか」と言い出しました。これには私も大賛成で、実は、いわゆる文化人類学とか動物行動学では、むしろ常識に属する考え方なのです。
たとえば、人間に非常に近い哺乳類の仲間の鼠などを狭い箱に沢山入れると、必ず殺し合いが始まります。ドイツ語の「生存圏」(Lebensraum)という表現は、第2次世界大戦で悪名を高めたためか、念のために手元の安物辞書で確かめようとしても、記載されていない状況です。しかし、辞書から消えても、そういう集団的衝動が、なくなったわけではありません。ホモサピエンスなどと偉そうに名乗っていても、すべての表面的な新皮質の思考過程を、実は、中心部の爬虫類型基幹部分に宿る数十億年来の生存、自己遺伝子保存、繁殖の本能に支配されているのが現実なのです。
言葉としても、「人は人に対して狼である」(ホッブズ)という基本を忘れた綺麗ごとには、騙されないように気を付けなくてはならないのです。
以上は、何度も騙され続けてきた私自身への「自戒」でもあります。
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