刺身のつまのように扱われたテレビ・ニュースの中に、目と心を惹きつけるものがあった。
4月下旬のことである。ムソリーニ支配下のイタリアが、占領していたエチオピアから1937年に略奪した古代の石柱、オベリスクの一部が68年ぶりに返還されたが、それをエチオピアの住民が歓喜の声で迎えている画面であった。
古都アクスムにあったオベリスクは全長24メートル、総重量160トンという。少なくとも1700年前にさかのぼる古代エチオピアの文化遺産は当時3基あったが、イタリア軍はこのうち一基を3分割して持ち去って、ローマに据えていた。
イタリア政府は敗戦後すぐにオベリスクの返還を約束していたが、重量が輸送を阻んでいたと報道されているが、略奪してローマまで運んだ時にはどうしたのだ、と半畳を入れたくなるような話ではある。
4年前、バーミヤンの仏像がターリバーンによって破壊された時にも、戦争と文化財の関係を否応なく熟考せざるを得なかったが、植民地支配と侵略戦争に乗じて強奪された文化財、美術品、書籍などはしかるべき場所に返還されなければならない、という当然の倫理を、人類社会は、まだ十分には実現できていない。
もっとも、これは、われらが足元にも及ぶ問題である。東京国立博物館、大阪市立美術館、根津美術館、大倉集古館などに収蔵されている高麗青磁や新羅仏などは、いかなる「学術調査」によって、あるいはいかなる経路の「盗掘」ないし「買収」によって入手に至ったのかという問題は、韓国との間であれば本来ならば1965年の日韓条約交渉の過程で合同調査を行ない、返還にまで至るべきものであった。
「文化財返還目録」なる大部の資料を作って交渉に臨んだ韓国側研究者に対して、日本側が「(日本にある文化財は、いずれも不当不法にわが国に搬入されたものではなく、正当な手段、手続きによって招来されたものであるから、これを韓国に返還すべき国際法上の義務も理由もない」と言い張ったことは、よく知られている。その結果、ごくわずかの文化財が「引き渡し」になっただけであった。
韓国政府は、先だって日韓交渉時の一部文書を公開したが、戦後補償に少しも積極的ではなかった日本政府側の態度を批判する論点の中に、文化財協定の見直しも含めるべきだろう。
私にとってこの問題を考えるうえでは、かつて読んだ松本剛『略奪した文化――戦争と図書』(岩波書店、1993年)がずいぶんと参考になった。
これは、中国に対する侵略戦争を行なっていた日本が大量の図書を国立図書館、大学、研究所に持ち帰っていたこと、戦後日本を占領した米軍が原爆被害調査資料を筆頭に大量の公文書や図書を米国に持ち去ったこと、の2点を重点的に調べた記録である。
「正義の戦争」を標榜する戦争というものが、他国の民衆を殺戮し、家屋や仕事場を破壊するばかりか、文化の根そのものの破壊と略奪を正当化するものであるかがわかる。
中国の人びとが図書館を奥地に移動させてこれを守ろうとした秘話も述べられており、奥地に移動した図書館やそこに形成された(国内)亡命大学が、抗日の拠点となったという史実も、胸に迫るものがある。
この間、ヨーロッパでは、ナチス・ドイツからの解放60周年を記念する行事が、さまざまな形で取り組まれた。
国連総会の決議に基づいて、モスクワ「赤の広場」で開かれた「追悼と和解の日」行事には、多くの各国政府首脳も出席した。
そこでなされた首脳会談時のやりとりや、式典での演説は、お互いに自国の歴史的立場を少しでも合理化しようとする政治的駆け引きに満ちてはいたが、「戦争と和解」をめぐる問題は、60年後のいまも、世界各地で生々しい関心事であることをあらためて強く印象づけるものではあった。
1940年ナチス・ドイツの侵攻にほとんど抵抗することなく占領されたデンマークは、抵抗しないことを条件に名目的な独立が保障されていたが、当時の政府が「少なくとも19人のユダヤ人をデンマークから追放し」強制収容所送りになっていたことが、今年になって判明したという。
コペンハーゲンで開かれた60周年記念式典で、ラスムセン首相がそのことに触れ、「恥ずべき行為であり、デンマーク史の汚点だ」と述べたという報道も印象に残った。
「謝罪は歴史を変えることはできないが、歴史上の誤りを認識し、招来の世代が二度と同じ誤りを犯さないことも助けになる」と、彼は続けたという。
そのそばに、日本政府および与党首脳の言葉をいくつか並べてみる。
モスクワに赴いた首相がブッシュに駆け寄って握手する映像は何度も映し出された。
だが、ふだんからこの男の口から「戦争と和解」をめぐる印象的な言葉を聞くことはついぞなかったが、もちろん、今回もそうであった。
代わって、外相・町村が、アジア地域民衆の心を逆撫でするような国会答弁を行なっている。4月14日の参院外交防衛委員会で、共産党議員の質問に答えて、彼は言った。「(ナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺と日本の侵略には)被害の人数に差がある」「性格に差がある」「(ドイツでは)全部ナチスのせいにすることができた」。
ナチス・ドイツの犯罪との相対的な比較のうえで、日本の戦争犯罪を「より軽い」と印象づけようとする意図が透けて見える。
比較の方法と内実それ自体にも問題は孕まれているが、日本のメディアが重要視しなかったこの答弁が、アジア諸地域では「現在の日本の態度」として批判と注目を浴びていることを忘れたくない。
そういえば、自民党幹事長代理・安倍晋三も、以前から主張している。
「ナチスドイツがやったことの意図、中身と規模と我が国の戦争は全く別のもの」(自民党「歴史・検討委員会」の『大東亜戦争の総括』)だと。
「戦争と和解」の問題をめぐって、我田引水的な発言に終始する者も多い(とりわけ大国の場合には)世界の首脳レベルで考えても、この国の支配層の発言と態度は、あまりに劣悪である。
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