二〇〇一年三月、アフガニスタンのバーミアンの大仏像が、当時同国を支配していたタリバンによって破壊された。
イスラームの本義は偶像崇拝を排すというのが理由だった。この報道に接して、私なりの解釈の基盤に据えようと思ったことはふたつあった。
インカの文化遺産を破壊したスペイン人の所業、廃仏毀釈を行なった明治期の日本社会を想起しつつ、これを特殊にタリバンがゆえの行為と捉えて、不気味で理解不能な境界へと彼らを押しやらないこと、内戦・飢餓・人権抑圧などアフガニスタンの近過去に関心を示さなかった人間が、文化財が攻撃・破壊の対象になったとたんに「人類共通の遺産を守れ」と抗議の声を挙げることに、ご都合主義的な態度を見抜くだけの批評眼をもつこと。
タリバンが女性に対するきわめて過酷な抑圧政治を行なっていることはすでに周知の事実であったから、私はタリバンに共感するものを少しも感じていたわけではないが、外部世界にいる者には、この程度の「節度」は必要だと思えたのだ。
その後アフガニスタンに何が起こったかは、誰もが知っている。
本書は、NHKディレクターである著者が、その独自の取材網を生かして、バーミアン遺跡が破壊されるに至ったのはなぜかを追跡し、その意義をアフガニスタン現代史、ひいては世界同時代史の中に位置づけた労作である。
タリバン幹部として大仏破壊の方針に危惧感を抱いてこれを阻止するために動いた者、曖昧な態度のままに実質的にはこれを推進した者、国際的に孤立しつつあったタリバンとのか細いパイプを頼りに破壊阻止のための交渉に力を尽くした者ーーさまざまな立場の人びとに対する直接的・間接的な取材によって、つい四年ほど前に起こった悲劇的な事態へと向かう過程が鮮やかに明らかにされた。
「アルカイダにも、タリバンにも、この世に現れたからには歴史的必然がある」とする著者は、まずオサマ・ビンラディンがアフガニスタンに再登場する一九九六年以降の動きを丹念に追う。
「客人」ビンラディンが目に余る言動を行なうと、タリバンの指導者オマルは注意を喚起し、前者もこれに恭順を示す形で、両者の関係は始まった。
だが、厳しい批判者であっても、ビンラディンには卓越した企画力と人を否応なく惹きつける要素が備わっていることを認めざるを得ない。
しかも、莫大な財産に支えられて、金の力を見せ付けることも、難なくできる。ビンラディンがこのような「能力」を次第に発揮し、ついにはオマルらタリバンとの関係性を逆転させていく過程が、もっとも印象的だ。バーミアンの大仏を当初は「破壊しない」と語っていたオマルが、破壊命令を発するに至った秘密は、ここにこそある。
ビンラディンは物心両面でタリバンへの「献身ぶり」を示した。これを打ち消すだけの
何かを、国際社会は示すことはなかった。
タリバンの元文化情報次官で、大仏破壊阻止に動いて失脚した人物はこう語る。報道の第一線にいる著者の内省も、この点で同調する。
ひたすらセンセーショナリズムに陥りがちな事件報道の渦中にあって、どんな視点で物事を捉えるか、世界のどこかで起きる悲劇的な事態に関わっての国際社会の責任とは何かなど、読者に問うところの多い好著だ。 |