はじめに
一
一九八〇年代に入ってからだったろうか、日本企業が経済活動を行うために進出している世界の各地域から、その地域の先住民族の代表が来日したというニュースが、小さくではあれ、報道されるようになった。
それは、日本企業が引き起こしている環境汚染問題、熱帯雨林伐採などの乱開発問題などをめぐって、現地においてのみ抗議・抵抗することに限界を感じた人びとが、企業本社や監督官庁に実情を直接訴え、問題の正当な解決を求めるためのものであった。
多くの場合、その訴えは実を結ぶことはなかったが、この一連の動きは、日本に住む私たちに次のことを教えた。
つまり、一九六〇年代以降の高度経済成長の過程で、日本企業の海外進出が飛躍的に増大したことは知っていたが、それから二〇年後のいま、その経済活動は先住民族が押し込められている「辺境」地域にまで及んでいること。
これである。当時はまだ「グローバリゼーション」(全球化)という用語が用いられることはなかった。いま思えば、欧米・日本を先頭とする資本主義世界の経済活動は、このころすでに、地球上のいかなる地点の資源も見逃さず、これを包摂しようとするまでに爪先を伸ばし切っていた、と言えよう。
この事実に、一九八九〜一九九一年に起こる東欧・ソ連社会主義圏の体制崩壊現象を付け加えて、資本主義システムが全世界を制覇した、と捉える人もいよう。
他方、一部地域に特化して現れている経済成長至上主義が、地球を不平等な形で南北に分断する深刻な経済格差をもたらすともに、取り返しのきかないほどに環境状況を悪化させてきた現実に注目し、資本主義文明の限界を指摘し、別な道を見出す必要性を感じ取った人びとも大勢いた。
冒頭で触れた、自らの居住地域にまで押し寄せた資本主義的開発のあり方に異議申し立てを行った世界各地の先住民族の人びとが、まず誰よりも、そうであった。資本主義が、その発展の端緒において必然的に随伴させた植民地支配によって生み出された「先住民族」が、資本主義の「最高」とも言うべき発展段階で抗議の声を挙げたことは、大きな意味をもった。
資本主義文明の胎内にいながら、そのあり方に行き詰まりを感じ、別な道を模索し始めた人びとが、いち早くその声に呼応した。
それらの人びとは、欧米・日本の資本主義的発展および先住民族の形成の過程には切っても切れない相互関連性が存在すること、先住民族がもつ人生観、自然哲学、価値意識などには、行き詰まった西欧近代を対象化しうる重要な要素が含まれていることに気づいた。
コロンブスのアメリカ大陸到達(一四九二年)から「五〇〇周年」を迎えた一九九二年前後に、日本でも世界各地でも作り出されたいくつもの動きが、この「出会い」が孕む可能性を深化させた。
二
本書は二〇〇四年に東京で開かれた六回連続講座《無数の「もう、たくさんだ!」の声が聴こえる――グローバル化に抗するラテンアメリカの先住民族》の主な内容をまとめたものである。
〈サパティスタ武装蜂起一〇周年・「国際先住民族の一〇年」最終年〉という講座のサブタイトルにも、「一九九二年」前後の時期がもった世界的な出来事の画期性が刻印されている。
サパティスタを名乗るメキシコ南東部チアパスの先住民族は、自由貿易協定という名の経済行為は「別の手段によって遂行される戦争」にほかならないことを喝破してこれに反旗を翻し、国連レベルで設定された「国際先住民族の一〇年」という行事は、この問題をめぐる認識を深め具体的な行動が採られる上での世界的な推進力となったが、いずれもこの時期に始まり、現在もその影響力を及ぼしている出来事だからである。
この講座を主催したのは、右に見た問題状況に深い関心をもち続けてきた三団体、すなわち反差別国際運動(IMADR)のグァテマラプロジェクトチーム、現代企画室、法政大学国際文化学部今泉裕美子研究室である。
IMADR-JCは一九九〇年に設立され、日本および世界の差別撤廃と人権確立を目標に、さまざまな活動に取り組んできたNGOである。
一九九八年、長い内戦の歴史に終止符を打った中米グァテマラのマヤ先住民族のなかで「ともにプロジェクトを作る」ことができるであろうグループに出会い、プロジェクトチームを発足させて、それ以降「先住民族の権利回復とエンパワメント」をめぐる試行を行っている。
出版社・現代企画室は、「先住民族」を生み出した帝国主義・植民地問題と民族問題が、人類の歴史過程でもった(もち続けている)重要性に鑑み、この問題を歴史的に解明し、矛盾の解決に至る方途を出版企画によって模索してきた。
また、南米ボリビアでアンデス先住民族の存在を重視して映画表現活動を続けてきたウカマウ集団の作品を日本で自主上映し、さらには共同製作も行うシネマテーク・インディアスの作業に協働してきた。
法政大学国際文化学部今泉研究室は、諸民族の文化研究を通して、若い学生たちが自民族中心主義に陥ることなく異文化・異民族に接し、民族間に対等で正当な関係性を生み出す一翼を担うことができるよう、努力を続けてきた。
各回の講師および毎回の少なくない参加者が、共通の問題意識を深め、討論を活発化させるために大きな力を発揮してくださったことに感謝する。
今回寄稿された方々の原稿は、講座の内容をテープ起ししたものではなく、それぞれ担当されたテーマについて、新たに書き下ろされたものであることを付言する。
三
グローバリゼーションという世界的趨勢を、これに対する先住民族の抵抗という観点から見る今回の方法には、私たちなりの必然性があったことは、右に見たとおりである。
だが、世界を制覇しようとするグローバリゼーションに対する抵抗運動は、当然のことながら、先住民族によってのみ担われているのではない。
経済先進国と多国籍企業の優位性を保証する新しい経済秩序をWTO(世界貿易機構)の設立によっていち早く樹立しようとするシアトル会議以降の度重なる国際会議は、世界中の農民、労働者、広くは市民社会にあって公正な経済・貿易秩序を求める広範な人びとの、激しい抵抗運動に直面している。
あらゆる悲観論に抗して「もうひとつの世界は可能だ」と主張する「世界社会フォーラム」には、毎年世界中から大勢の人びとが集まり、弱肉強食原理とは違う共生の原理を創造するための討論を行っている。
六回におよぶ連続講座を通して語られた、そしていまはこの小冊子にまとめられた問題意識を、広くこのような構造の中に位置づけなければならないことを私たちは自覚している。その意味で、この小さな本は、私たちが新たな問題領域に進み出るために役立つことができればよいと思う。
(二〇〇五年一月二三日)
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