「昭和」期の戦争に関して精力的な調査と発言を続けている著者の最新刊の一冊である。
著者のこの間の主張をみると、右翼的風潮の台頭には大きな危機感をいだき、同時に深い影響力をもって戦後史を牽引した左翼的な歴史観にも期待できず、「良質な中道を行く」(『現代』誌九月号、辺見じゅんとの対談)ことをめざしているようだ。
首相の靖国参拝問題をめぐっても、侵略された中国側にとって戦争はまだ「歴史」ではなく「同時代史」だとする観点から、現首相の考えを鋭く批判するなど、著者が自負する「良質」さは、現代の言論状況のなかでは目立つものであるように見える。
本書の冒頭では、戦後の平和教育なるものが戦争そのものの実体を知ることを妨げてきたとする著者の考えが述べられている。
敗戦後六〇年を迎えた現在、「戦争と平和」をめぐる日本の社会・政治状況の貧しさを思えば、戦後の「平和と民主主義」路線は再審にかけられるべき理由があると考えている私からしても、出発点の問題意識は共有できる。
内容で言えば、一二月八日の「開戦」に至る過程で海軍軍人が果たした積極的な役割をあぶり出し、「二・二六」事件のテロリズムの凄惨さが社会全体の神経を麻痺させて、「暴力に対する恐怖心」が開戦への道を突き進ませたと論じている点など、私自身もなお熟考したい問題が提起されている。
問題はただひとつ、書名にも言う「あの戦争」とは、一二月八日に始まり三年八ヵ月間続いた太平洋戦争のことをしか意味していない点にある。
たとえ問題意識をそこに限定して記述を進めたとしても、前史である「アジアの戦争」と切り離して「あの戦争」を語っては、近代日本の悲劇が総体として浮かび上がってはこない。
「侵略した日本」に謝罪を求めるアジアの声に対して「戦争は善いとか悪いとか単純な二元論だけで済まされる代物ではない」と切り返しておいて、「無謀な」戦争への歩みを、真珠湾以降の日米戦争に限定して論じるのは、時間的なトリックである。日中関係史に関心の深い著者だけに、その点が惜しまれる。
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