敗戦後も、上官からの作戦解除命令なくしては終戦を信じることなく、およそ三〇年の歳月をフィリピンのルバング島のジャングルの中で任務を遂行した男・小野田寛郎。彼が日本に帰国したのは一九七四年のことだった。
敗戦後六〇年目を迎えた今年、テレビ番組のためになされた長時間に及ぶインタビューを通して、彼の半生をたどった本書が公刊された。
朝鮮やベトナムでの戦争で米国が戦い続けている様子は断片的に知っており、だからこそ日米戦争も継続していると確信していたなどと語るルバング島での気持ちのありようも興味深いが、帰国後、日本社会に違和感をもち一年後にはブラジルに「逃亡」する過程には、この社会が抱える問題が如実に表れているようだ。
「天皇のために闘い続けた不屈の軍神」というイメージを作り上げたメディアが一方にある。当然にも、そのイメージに反発する者も出てくる。
天皇への感情を顕わにしない小野田への不信を公言する評論家も現れる。だが、小野田には、命令を下した者の責任を追及したらどうなるかを知っていたために発言を抑制した感じがあって、そこに潜む問題は、けっこう根が深い。
帰国した小野田の一挙手一投足を嗅ぎ回り、あることないことを「報道」するメディアが孕む問題も、それに影響されやすい世論の反応の仕方も、三〇年後の今、いっそう深刻だ。
著者は、及びがたい「強さ」をもつ小野田に強い畏敬の念をもって、虚飾なくその全体像を描こうとしている。
三〇年に及ぶジャングルでの生活の中で、「討伐」に来たフィリピン兵士を何人かは殺した小野田が「後悔しない」と語る箇所でのみ、著者は違和感を覚えたと記す。
「男が男を殺すのは昔からお互い様」と語る小野田が内心に抱えているかもしれない苦悩が、戦争を強制する国家との関係性において、もっと掘り下げられてもよかった。
ふり返って、私もメディアが作り上げてきた小野田についてのイメージを知らず知らずのうちに鵜呑みをしてきた点があるようだと、内省を迫られる書でもあった。
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