ある市民講座で「戦争とメディア報道」をめぐって、2週連続で話す機会があった。主としてアフガニスタン・イラク戦争を主題とする予定だったのだが、講座当日およびその前一週間の新聞に載った「戦争記事」をすべて列挙することから、始めてみた。
少なからず驚くような結果となった。イラクにおける、いわゆる「主権委譲」から一年を経て、昨今の政治・社会・軍事情勢を分析したり、日本政府が今年12月に期限がくる自衛隊イラク駐留問題をめぐって再延長の検討を開始したなどという、現実のイラク戦争に関わる記事がないではない。
サマワに展開している自衛隊の車列に仕掛けられた爆弾が爆発したニュースだけは、確かに大きかった。だが、記事の数から言っても、それらが紙面に占める分量から言っても、60年前までに終わった第二次世界大戦(日本でいえば、アジア太平洋戦争)に関わる記事のほうが、圧倒的に多かった。
厭わずに、ある週の例を、順序不同で挙げてみる。(1)天皇・皇后がサイパンを慰霊訪問した。(2)中国・広州において、旧日本軍が遺棄した毒ガスによる被害が発生した。他方、黒龍江省の毒ガス被害者(チチハル市、2003年)は、日本政府に医療保障を要求する予定である。
(3)厚生労働省は戦没者遺骨収集のために専門班を創設する方針を固めた。(4)イタリア・トスカーナ地方の村で、ナチス占領下で行なわれた村人虐殺事件に関わって、実行者の元ナチス親衛隊員であった複数のドイツ人を有罪にした。彼らは現在ドイツに居住しており、収監できる見通しはない。
(5)これは、毎日新聞のスクープだが、シカゴ・デイリー・ニューズ記者が長崎原爆投下直後に書いたルポが60年ぶりに発見された。この記事への反響が続いている。(6)中国人強制連行問題に関わって、劉連仁さんの遺族が東京高裁で逆転敗訴となった。(7)沖縄が60年目の「慰霊の日」を迎えた。
これらの記事が占めるスペースは、新聞によって当然にも異なるが、いずれもかなりの大きな記事で掲載されているとは言える。とりわけ6月28日付け東京新聞朝刊の一面は印象的だった。
「チチハルの中国人40人が旧日本軍毒ガス被害に関わって恒久支援を日本政府に求めて、提訴も視野に」という趣旨の見出しがトップに大きく出ている。
遺棄化学兵器の分布状況を示す地図も掲げてある。その真下には、天皇・皇后が人びとと会っている写真が置かれ、「両陛下、サイパンに到着、遺族会、戦友会と面会」という見出しが付けられている。
意図的な編集かどうかは詮索しないが、読者が意図的に読めば、サイパン「慰霊」訪問の本質が、ごまかしようもなく、透けて見えてくる。
社会面には、毒ガス被害の現実を細かく報道する記事も載っている。被害者の大半が10代から30代で占められており、犠牲者の多さに衝撃を受けた中国では、ガス漏れ事故が起きた日付に因んで「8・4事件」と呼ばれていることも伝えている。
「失職、離婚、視力低下、感染の噂」などで、被害者が抱え込んでいる「将来に募る不安」の様子が、よくわかる。
劉連仁さんは北海道の炭鉱で苛酷な労働を強いられ、それに耐えかねて逃げ出した後、日本の敗戦も知らないまま13年間も山中で逃亡生活を続けていた人だけに、6月24日付けの北海道新聞朝刊が詳しく報じている。
東京高裁が、国に請求額通りの支払いを命じた一審判決を覆す論拠として重視した「国家賠償法上の相互保証」規定は、「中国が日本人を強制連行していない」からには、当てはまるはずがないという観点も書き込まれている。
劉さんの訴訟の関連年表も、11件もの判例が示されている中国人強制連行訴訟結果一覧も、簡潔な内容ながら、事態をわかりやすく説明している。
社説では、原告側が勝訴したり敗訴したりする、つまり行きつ戻りつを繰り返す司法任せでは、戦争犠牲者を救済できないと主張して、国際基準にも達していない、日本の戦後補償にまつわる問題点を指摘している。
別な紙面に載っているサマワ自衛隊車列での爆発事件と合わせ読むと、60年の歳月に隔てられながらも、変わらぬ戦争の本質をここから掴むことができる。
長崎原爆ルポに関わる6月17日付け毎日新聞朝刊の記事も、6面の過半を埋め尽くす、周到に準備された内容のものだった。
シカゴ・デイリー・ニューズ紙の米国人記者が長崎に入ったのは、原爆投下から1ヵ月後のことだったが、人びとはすべて瞬時に死んだのではなく、放射線障害に苦しむ病棟の人びとの様子を伝えていたために、当時の連合国軍総司令部(GHQ)は検閲によって記事を差し止めた。
これによって米国は原爆が人類にもたらした影響を長い間隠すことに成功し、核兵器の危険性に対する「心理的な麻痺状態」が米国に蔓延した事実も抉っている。
「ベトナム」「湾岸」戦争などで米国が行なった戦争報道規制にも触れているほか、イラク戦争で米空母キティホークに乗艦して「エンベッド」取材を行なった記者は、自ら経験した従軍取材の危うさを顧みている。ここでもまた、60年の歳月を超えて、「過去」は「現在」と繋がっていることを知る。
私たちは、ふだんは、何かにつけてもメディア報道のあり方を批判的に捉えることが多いが、なかには、ここに挙げたような例にも、稀には出会う。
私たちの、報道の読み方が試されているのだと言える。最後に、共感したことばを。
私も好んで読んできたが、カリブ海地域のフランス語文学の研究者、小野正嗣は、この地域で書かれる小説には、いまだに必ずと言っていいほど奴隷制への言及がある、という。「それによって造られた社会だから避けて通れない。ヨーロッパではアウシュビッツ。 日本だと太平洋戦争がそれに当たると思う」(7月12日付け讀賣新聞夕刊)。60年前の戦争報道にあふれる昨今の新聞を読んできた私の実感でもある。
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