共産党議長の不破哲三が4月9日、東京で開かれた「バンドン会議50周年、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会創立50周年記念講演会」で講演した。
「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ――いまこの世界をどう見るか」と題されたその講演の内容は、翌日の「しんぶん赤旗」で大々的に報道されている。
不破は、14〜15世紀にヨーロッパ資本主義が台頭する以前の人類社会で、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(以下、AALAと略記)地域が占めていた比重の大きさに注意を喚起することから、話を始めている。
サハラ以南のアフリカ諸地域の歴史(とりわけ、資本主義侵入以前の文明的発展ぶり)に不破が開眼したのは、2年前にチュニジア政権党の大会に出席したときに会ったサハラ以南諸国の代表との交流によってだったと語るのは、率直だとは言えようが、いささか心許ない。
歴史研究の進捗状況からすれば、「開眼」の時期が遅すぎるからである。
「『先進国』の特権的な支配とは、人類文明の数千年の歴史のなかで、せいぜい二百年か三百年程度のごくわずかの時代を占めるだけ」という指摘も、基底に据える歴史観として悪くはないが、年度数のあまりの大まかさに感じる驚きは、小さくはない。
何よりの問題は、祝い事の席での講演とはいえ、AALA諸国を取り囲む現実の厳しさや困難さへの言及を避けていること、AALA地域を50年前のバンドン会議の時代のように一括りにして、一国内にも、諸国間にも渦巻く内部矛盾を見ていないこと、日本を「AALA社会の一員として」滑り込ませてしまうという、50年前と見紛うばかりの誤った世界観・歴史観を示していることであろう。
ユネスコの「世界遺産」に登録されている634項目のうち293がAALA地域にあることが、その歴史の重みを裏づけると言っても、不破の世界観にあっては、AALAが、日本もそこに潜りこめるような「地域概念」として規定されていることの不自然さがまず指摘されるべきだろう。
さらにその翌日、現代AALAの問題としてきわめて重大で、一般紙がセンセーショナルに取り上げた中国における「反日デモ」を、赤旗紙はごく小さくしか扱わなかった。
そして12日付同紙一面には、「中国の最近の一連の問題について」と題する市田書記局長の会見内容が紹介された。相変わらず、デモそれ自体についての詳報はまったくない。市田は「どんな主義・主張も暴力に訴えるべきではない」「侵略戦争の反省こそ戦後の原点」「中国は過去と現在の問題を一緒にすべではない」などとの一般論を簡潔に述べているが、全体的に「様子見」との印象を受ける内容である。
中国におけるこの間の事態に関して、日本社会に生きる私たちが、まず自分たちの足下の問題として受け止めることは、もちろん、必須のことだ。敗戦後60年を迎える今年、この社会が、いまなお侵略戦争と敗戦に関わる未解決の諸問題を、アジア近隣諸国との関係において抱えていることは否定すべくもない。
敗戦後の歴代政府が米国の外交政策への追随に終始し、植民地主義と侵略戦争に関わる責任を真にとる、独自のアジア外交を展開してこなかったことのツケが、ここまで膨らんでしまっていることに、私はいまさらのように呆然となる。
支配層が目論んでいる現行憲法9条の改変は、アジア諸国民衆との関係をさらに悪化させるだろう。60年前の諸問題が未解決のまま、私たちは新たな、解決困難な課題を抱え込むことになるだろう。
そのことを確認したうえで、したがって、この現状を変革する責任が私たちにはあることを自覚したうえで、ここでは手短に以下のことに触れておきたい。
日本社会にみなぎる排外主義的ナショナリズムは、表面的には対立しつつ、しかし最終的には補完し合える格好の相手を、中国に突出しつつある反日ナショナリズムに見出すことができる。
今回の「反日デモ」に関するあふれる情報の中から、大事だと思われるいくつかの点を引き出しておきたい。
「投石には多くの出稼ぎ労働者が参加した」「(デモを呼びかけるビラには)もし百元の日本製品を買えば十元は日本が国際社会で反中を広げるための政治資金に回り、九元は『大日本皇軍』の武器製造に回る(と書かれてあった)」(いずれも日本経済新聞4月11日付、北京=桃井、吉田記者)
出稼ぎ労働者は、当然にも、「繁栄する」都市部をめがけて農村部から出てきた人びとである。その農村部では、四川省、河北省などに見られるように、この間立て続けに貧しい農民の暴動が起こっている。
前者の記事からは、驚くべきスピードと規模をもって現実化している経済格差や党=行政府の特権的官僚層の不正・腐敗に対する不満が充満している様子を掴むことができる。
後者の記事からは、人びとを行動に駆り立てた情報のなかには正確さに欠けるものも存在していたことを示している。
投石の前線にいる民衆にはこのような問題も垣間見える一方、グローバリズムが支配する世界にあえて飛び込もうとしている中国政府も、他のすべての国の政府と同様に、そこで動揺する国家的アイデンティティをどこで確保するかという課題に直面している。
つい最近も全人代で「反国家分裂法」が採択された。第3条は「台湾問題は中国内戦が残した問題である」とする立場を明確にしており、それをうけて第8条は「台湾独立勢力がいかなる名目、いかなる方式で」もって分裂を図る場合には「非平和的方式及びその他必要な措置をもって、国家の主権と領土を守る」と宣言している。
台湾社会形成史を顧みるなら、台湾が中国の一部であると主張することは非歴史的であると私は思う。だが中国支配層は、新疆ウイグル、チベット、内モンゴルの各自治区で発揮してきた大漢民族主義をもって、台湾問題にも対処しようとしている。
50年前のバンドン会議のときには、抗日戦争を基盤として革命に勝利して6年目の中国も含めて、第三世界諸国のナショナリズムが植民地支配を打ち砕き、大国の世界支配を打破してゆく可能性に望みを託すことが、まだしも許されたかもしれない。
その後に続いた戦後史は、どんな革命国家であれ、いかなる社会主義国家であれ、任意の第三世界の国家であれ、必要な場合には必ず顕わにする国家としての本質を免れ得ないことを示してきた。
中国、北朝鮮、韓国、ロシア――日本国家が無策のままにここまでこじらせてきてしまった周辺諸国との関係を、私たち民衆レベルで打開してゆくには、排外主義的ナショナリズムにわが身を託さない道を、相互に見つけなければならない。
それを、ひとり日本社会の課題だと捉えて、対話可能な相手との討論の道を自ら閉ざすべきではないと思う。
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