現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
2005年の発言

◆あふれかえる「事実」が、犯罪への想像力を奪う事件報道2005/12/7

◆死刑廃止のための、ふたつの試みの中で考えたこと2005/11/22

◆ハリケーン報道から考えたふたつのこと2005/10/19

◆書評・戸井十月著『小野田寛郎の終わらない戦い』2005/10/11

◆敗戦60年目に思うこと2005/10/11

◆年報・死刑廃止2005』特集「オウム事件10年」2005/10/11

◆書評・保阪正康『あの戦争は何だったのか』2005/10/11

◆書評・内橋克人/佐野誠『ラテン・アメリカは警告するーー「構造改革」
日本の将来』2005/10/11

◆2005選挙「勝利者」の独白2005/9/30

◆2005年8月28日「昭和天皇記念館いらない宣言」大集会での発言2005/9/30

◆イラク報道の本質を見きわめるために2005/9/30

◆衆議院解散をめぐって思い起こす三つの「政治の情景」2005/9/30

◆60年前の戦争関連記事にあふれるメディアに触れて2005/9/30

◆映画『永遠のハバナ』を観て派生するいくつかの思い2005/9/30

◆「戦争と和解」をめぐるいくつかの報道を見聞きしながら2005/5/29

◆『グローバル化に抵抗するラテンアメリカの先住民族』序文2005/5/7

◆トゥパマロスとサパティスタ2005/5/7

◆バンドン会議から50年後の中国「反日デモ」に思う2005/4/18

◆「狼」をモデルにした芝居『あるいは友をつどいて』を観る2005/3/15

◆書評:高木徹著『大仏破壊』(文藝春秋)2005/2/18

◆2題噺ーーNHK問題と『となり町戦争』2005/2/18 

◆今年の初めに思うこと・断章2005/2/18 

◆どこに希望はあるのか?2005/2/18

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書評
内橋克人/佐野誠『ラテン・アメリカは警告するーー「構造改革」
日本の将来』(新評論、2005年4月刊)
『オルタ』2005年7月号(アジア太平洋資料センター発行)掲載
太田昌国


 『ラテン・アメリカは警告する』と題された本書の編者が、ラテン・アメリカ経済論を専攻して、多数の著書をもつ佐野誠であることには、何の不思議もない。

だが、いまひとりの編者が内橋克人であることに気づくと、多くの人びとが意外性を感じるだろう。その秘密は副題に隠されている。曰く『「構造改革」日本の未来』とある。


 『「失われた10年」を超えて――ラテン・アメリカの教訓』という共通名をもつ全三巻のこのシリーズが、どんな戦略性に支えられているかが、これで掴めるだろう。

「資産・所得の抜本的な再分配や進歩的な社会改革を行なわないまま、市場原理を過信して、経済の自由化や規制緩和を進める」新自由主義の荒々しい洗礼を、日本どころか世界に先駆けて受けざるを得なかったラテン・アメリカ諸地域の教訓を、現代日本の批判的分析のために生かすこと、これである。


 佐野が「あとがき」で述懐するように、地域研究者の多くは「細分化された蛸壺的専門分野に沈潜して論文や本を執筆し」てきた。研究対象の現実とも、自らが住まう日本の現実とも切り離された地点において、である。

それを傍から見ている私なども、その現状には大いに歯がゆい思いをしてきた。一二人のラテン・アメリカ研究者たちが本書で見せている顔は違う。

各自が沈潜してきたであろう専門分野研究の成果を詳しく論述し、そこから日本への教訓を導き出すこと。誰もがそれに賭けている。それは、適切な媒介項なしには危険な作業だ。

とってつけたような「乗り移り」になりがちだからだ。だが、内橋との共同研究を希望したラテン・アメリカ研究者たちの意図が奏効したのだろう。

二年間の共同作業の成果は、ラテン・アメリカと日本の現実を往還しながら教訓化する作業として、十分に発揮されているように思える。


 構造改革、財政危機、住民自治の伝統、年金改革、中小企業対策、労働法制改革、多国籍企業の影響力――どれをとっても、厳しい現実が述べられていながら、心なしか、文体は生き生きとしている。「場」を得たときの、人間の精神活動の原基形態を見る思いがする。


 批判的検討だけがなされているのではない。新自由主義を超えて、どんな現実と未来が構想されるべきかの問題提起も多様になされている。

人間中心主義社会への転換、地域社会再生、連帯経済、地域通貨等の試みが、各自の論文で検討されている。

いずれも、世界大の破壊的な影響力を行使しうる新自由主義のグローバリズムに比すれば、いかにも局地的(ローカル)な取り組みである。だが、それを嘆くには当たらない。

「グローバルに考え、ローカルに行動する」とは、グローバリゼーションに抗するこの間の多様な運動が謳ってきた世界共通のスローガンであった。その運動こそが、一九九〇年代半ばには、「多国間投資協定」(MAI)なる「アメリカの陰謀」(内橋)を挫折させたのである。


 私は二〇年ほども前、ボリビア・ウカマウ集団製作の映画『ただひとつの拳のごとく』(一九八三年)を観て、驚いたことがあった。

これは、一九七〇年代のほぼ十年間続いたボリビア軍事体制の打倒をめざす民衆運動の高揚を描いた作品だが、このドキュメンタリー作品に登場するボリビアの労働者・農民たちは、集会やデモの現場で、世界銀行や国際通貨基金(IMF)の役割を批判していた。

軍事政権下で大量に導入された外国資本が、一般民衆の貧困状態を放置したままどのように使われ、それがいま債務として誰の背に圧し掛かっているかを分析していた。

ラテン・アメリカは悲劇的にも、確かに、新自由主義の「実験場」とされたが、同時に、それに粘り強く抵抗する運動の発祥地でもあるのである。

日本社会では、国際金融機関が果たしている否定的役割への関心など、いまもって、ほとんど見られない。


 このシリーズは、第二巻『地域経済はよみがえるか』、第三巻『安心社会を創る』が続刊される予定だという。編集業を生業とする私の観点から見て、本書の編集は力技であったと思う。編集上のさまざまな工夫も施されている。続刊を待ちたい。


 さて、「小泉改革」を批判するに有効な、経験に裏づけられた理論的な「武器」を私たちは手にした。それでも、ふと目を社会に向けると、世間には相変わらず、この改革を支持しているかに見える、無言の大衆がひしめいている。


  また、世界に目を向けても、「多国間投資協定」に代わって「二国間協定」が進展し、「ITマネー」が世界を席捲するなど、グローバリズムの推進者たちは、次々と手強い新手を繰り出してくる。新自由主義的改革路線に対するたたかいは、これからが正念場だ。

 
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