注目すべき本が出版された。そのときどきにはいかに重要な事件と考えられ大量の報道がなされても、風化もまた早い、というのが、この時代の特徴だ。
最終決着から三年を過ぎたペルー日本大使公邸占拠・人質事件も例外ではない。事件直後には何冊もの関連書が出版されたが、三年後のいまになって、新たな一冊が付け加えられた。
著者の小倉氏は、当時ペルーの日本大使館に勤務していた。当然にも人質とされ、一二七日間あの邸内に留められていた。
日本でなされた報道の全容をその後知った著者は、とりわけ武力決着を擁護する多数派の意見に違和感を感じ、渦中にいた人間として何か書き残しておくべきだとの使命感をもったのだろう。
政府軍の武力突入を知った瞬間に死を覚悟し、奇跡的に生き永らえたと考える著者は、外務省を辞し、研究者の道に戻る第一歩として、この本を著した。
だから、人質として事件を振り返る経験的記述と、その事件をペルーと世界の近現代史のなかに位置づけずにはおかないとする方法的記述とが、本全体を貫いて交錯し、きわめてユニークな本が生まれた。
まず、人質であった大使館員の立場からの記述はどうだろう? フジモリ大統領の政治手法を知り尽くし、セルパらゲリラ運動のリーダーとも邸内でよく会話していた著者ならではの独自の視点が打ち出されている。
著者が強調するのは、ゲリラの思想およびとった手段に同意しかねる点があるとしても、絶対的貧困を理由に生じた事件については「テロ」呼ばわりで片付けることは誤りであり、解決すべき政治的・社会的・経済的水準があること、フジモリ大統領が最後に訴えた武力決着も間違った手段であり、平和解決の道はあったこと、の二点である。
これらは当時、私自身も、遠くから事件を眺めながら主張したことでもあり、信頼に値する当事者が「邸内内部からの目」でそれを証言したことの価値は大きい。
武力決着を熱烈に歓迎し、フジモリを誉め称えたマスメディア、評論家、ペルー専門家、危機管理論者たちは、当時自分が書き散らした文章を取り出し、読み返し、本書を前に言うべきことがあれば、あらためて発言すべき責任を負っていると思う。
次に、ペルー現代史・思想史の研究者の立場からの記述はどうか? 強調されるのは、コロンブスのアメリカ大陸到達以降の五〇〇年余の歴史と関連づけて捉えることの必要性である。
それは、先住民を基盤としたゲリラとフジモリの対峙という図式の問題ではなく、いま世界を席捲するグローバル化なるものは、五〇〇年前の時代に始まるという認識に基づいている。
私はこの視点にも共感するが、これはなお深く論じられる余地を残している。冷静な歴史・社会認識に基づき、他者(とりわけ、弱者)に対して、著者のような態度と思いを示しうる外交官は、この日本には絶望的に少ないだろうと「確信」できることは、私たちの不幸であるといえよう。
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