エクアドルは南米の小さな国だ。日本で話題になることがあるとすれば、アンデス山脈の北限に位置する火山の噴火、特異な動物相の存在で有名なガラパゴス島などのニュースだ。そのエクアドルが一月二〇日すぎのほんの数日間、マスメディアの政治・社会面の大きな話題になった。
この国の人口の四〇%を占めるという先住民族が自らの伝統的な旗を掲げて国会を占拠して大統領の退陣を要求し、これに国軍が加わって救国評議会が結成され、結局は副大統領が実権を掌握したのである。ニュース報道からは早々と消えたが、この問題にはしっかりと見ておきたい背景があると思う。
今回の事態の直接的なきっかけは、政府が通貨スクレを廃止し米ドルに切り換える政策を発表したことにある。急落するばかりのスクレを見捨てドル化によってインフレを抑止し、ひいては物価安定を計るというのが政府の言い分であったようだ。ドル化は経済主権に関わる問題でもあるが、先住民族からすれば、手にしたこともないドルに通貨が変わることへの不安も大きかっただろう。
これはエクアドル一国の国内問題として理解が可能だろうか? 私たちは数年前のアジア金融危機の際にIMF(国際通貨基金)や世界銀行などの国際金融機関が、危機に瀕した一国の内政に介入して、当該の政府が今後とるべき経済政策の方向性を指示するほどの力をもっていることを目撃した。「危機救済」を名目とした融資をするかしないかをちらつかせれば、それだけの力を発揮できるのである。
累積債務に苦しむラテンアメリカ諸国の多くは、一九七〇年代後半からこれらの国際金融機関の介入を経験してきている。経済危機といっても、それは各層に平等に襲いかかるわけではない。だから、目も眩むような貧富の格差が現に存在する時に、どんな立場からこの経済危機を切り抜けるかという点が、否応なく問題になる。
危機に直面する南の各国政府には、大国や国際金融機関の指示を跳ね返すだけの力はない。唯々諾々と、あるいは心ならずもその指令に従う。つまり自由化、外資導入、福祉切り捨て、国営企業の民営化、借款返済のための輸出振興策の採用などの見返りとして、当座の融資を得るのである。絶対的貧困を構造的に抱える国におけるこれらの施策が弱者切り捨てに直結する例を、私たちは現代史の中で見続けている。
エクアドルでは、一九九四年が大きな転機だった。この年、先住民族が共同体的に所有する土地を廃止する法律が成立した。アマゾン地域の先住民族は、自分たちの生存権や生態系を脅かす石油採掘のあり方に抗議したが、融資元の世銀は根拠がないとして拒否した。いずれも、一地域としての「場」の出来事が、自由化や外資導入の問題を通して世界に繋がっている。
六年前、メキシコでも北米自由貿易協定に反対する先住民族の反乱が起った。世界を単一の原理で染め上げるグローバリズムに抗して、世界の多様性を主張する「場」の反乱の行方は、私たちに無関係ではない。
(2000年1月31日記)
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