11月12日の那覇市長選挙の結果を知ったうえで、この文章を書き始めている。オーストリア・アルプスのケーブルカー火災事故報道の陰に追いやられて、マスメディアでの報道はまだ少なく、私が見たかぎりでは選挙結果を伝えるに留まっているものが多い。
沖縄現地の声も分析の角度も知らないままに、現時点で多くを語ることのおこがましさは自覚している。
でも敢えて最小限のことは言ってみる。周知のように、米国統治下の1968年以来 8期32年間続いた那覇「革新」市政はこれで終わった。
私の関心をひくのは、この選挙運動の際に、当選した保守系の翁長派が、「革新疲労からの脱却」というキャッチフレーズを掲げて、長期に及んだ革新市政を批判したというエピソードだ。「言い得て妙」とでも言うか、数年前の知事選に続けてまたしても電通あたりの知恵者が選挙運動の背後に控えていたのだろうか。
ソ連邦が崩壊した後、ロシア社会の中にあっては、旧共産党的なあり方にしがみつく者が「保守派」と名づけられ、「守旧派」とも呼ばれてきている(それが、的外れな表現だとは言えないところが、本来的に言えば、物悲しい)。
日本でも例外ではない。誰もが気づいているように、たとえば従来の歴史教科書に異を唱える者たち(とりわけ学校教師)は、揺るぎないものとして制度化してきた(と、彼らが考えている)日教組主導の戦後教育体制に対する挑戦者として、自らを位置づけている。
内容を問えば、そうでないことは明らかであるにもかかわらず、あたかも彼らは「正史」に対して「野史」を対置しているかのようにふるまうのだ。
大声をあげ、背後の財力もちらつかせながらの、自信をもったその立ち居振舞いによって、彼らはいまや不動の秩序に対する叛逆者としての社会的な認知を受けてさえいるかのようだ [「ディープな沖縄が見えるマガジン<エッジ>」の異名を持つ沖縄の雑誌『EDGE』11号に掲載されている小熊英二の講演録「起源と歴史――55年と社会の変動」は、その事情をわかりやすく語っている。
特に現在の韓国において、「日本統治時代は暗黒で、独立後自国の力だけで近代化した」という、旧来の正統的な歴史観に対すると、日本による植民地統治時代に近代化は進んだとする若手の研究者の主張が「革新的」に見えてしまう点に触れている。世界中でこのような、歴史認識上の「逆転現象」が起こっているのであろう ]。
今回の那覇市長選挙に当っては、11月14日付けの共産党機関紙『しんぶん赤旗』が言うように、企業ぐるみの大量の不在者投票も行なわれたかもしれない、創価学会も懸命な活動を展開しただろう、「謀略」ビラも確かに撒かれたのだろう。
だが、革新派候補敗北の原因をそこにしか求めないのは、ちがうだろう。「革新疲労からの脱却」というキャッチフレーズが、那覇市民に対して持ち得たらしいアピール力を侮るべきではないと思う。そのような言葉遣いが、人びとのこころに新鮮に響いてしまう点にこそ、2000年段階における、沖縄の、ヤマトの、広くは世界の社会的・政治的・文化的な状況の本質を見るべきだと思う。
先の講演で小熊も触れているが、今春「沖縄イニシアティブ」論を発表した琉球大学三人組のなかで沖縄の歴史の捉え方に関してもっとも積極的な発言を行なっているのは高良倉吉だが、そのふるまい方、自己の位置づけ方にも、同じことが言えるように思える。
彼は、戦後の沖縄革新派が展開してきた「沖縄のこころ」「命どぅ宝」「非武の文化」「非戦の誓い」「イチャリバチョーデー(出会う者はすべて兄弟)」などの言葉に基づく絶対平和論・沖縄精神文化論が、仮に学校現場の歴史教育のなかで教師によって実践された場合に、「教え込まれる」対象としての子ども・生徒・学生には、唯一無二の「正しい答」しか残されてこなかった点を衝く。
正統的な歴史観のなかでは否定的にのみ語られてきた「基地被害」「異民族統治」などに関しても、「地域感情」にのみ依拠しない普遍性の場での再検討を呼びかけたり、必ずしも暗黒面ばかりではなかったとして相対化しようとする。
この立場は、制度化された「絶対平和論」や「精神的な沖縄アイデンティティ論」に、他の選択肢が許されない息苦しさを感じていたかもしれない新しい世代に受容されていく根拠を、時代状況の変化のなかで確保するに至ったように思える。
私が高良らの歴史観とは相容れない立場にあることは自明にしても、「革新派」の歴史認識の方法のなかに、彼らの居直りを許す一面があったことを否定することはむずかしい。
「革新疲労からの脱却」という選挙キャッチフレーズがもち得たかもしれない「威力」に私がこだわるのは、その捉え方からきている。
高良らは最近、『沖縄イニシアティブーー沖縄発・知的戦略』と題する本をまとめた(ひるぎ社、那覇、2000年 9月刊)。今年 3月の「沖縄イニシアティブ」発表後、彼らは一方的な批判・中傷・個人攻撃にさらされてきたので、「開かれた議論の場を提供するために」反批判を行なうことを意図したという。
「イニシアティブ」論は総決起大会や人間の鎖による基地包囲などと同等の、基地問題の解決のための一方法であるとする強弁や、安保条約と沖縄基地の存在を前提として疑わないまま「共産」中国と北朝鮮の軍事的脅威を言いつのるなどの、自らを顧みることなく現行秩序に安住する姿勢はいっそう目立つ。これらに対する徹底的な批判が必要だという私の思いは変わらない。
しかし、私が敢えてこの本を読むのは、その彼らの言動からでさえ、私たち自身が、「疲労した」革新思想・平和思想を糺すべき場所に気づくことがあるからである。
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