キューバ革命の勝利(一九五九年)と、一九六〇年代に顕著となり<ブーム>とすら呼ばれるようになるラテンアメリカ文学の沸騰の間には密接な関係があるとは、よく言われる説である。
確かに、ドノソが懐古するように、<ブーム>以前のこの地域の文学は、相互に知り合うことのないままに「ウルグアイ小説やエクアドル小説、メキシコ小説やベネズエラ小説というものであった」。
コルタサル『石蹴り遊び』、バルガス=リョサ『緑の家』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』などが次々と書かれ、国境内に自閉していた作家と読者が国境を超えて相互に知り合うに至ったのは六〇年代になってからのことだが、このことを通してこの地域に住む人びとの間にはラテンアメリカ的一体感が形づくられた。
その背景には、北の超大国・米国が押しつける基準とは別な価値観に拠って生き延びようとする革命キューバが、単に政治・社会的にだけではなく芸術・文学・文化の分野においても国境を超えて影響力を及ぼした事実が透けて見える。
それには、文化面では、革命直後に創設された文化団体「カサ・デ・ラス・アメリカス(アメリカの家)」が、大陸・カリブ海地域全域を視野を収めた出版活動を直ちに開始し、芸術家・文学者の相互交流を積極的に創りだしたことが大きく与っている。
だが、この考えが、政治過程としてのキューバ革命は、文学の高揚に一方的に作用したと捉えるに終わるならば、それは皮相な考えにすぎると言えよう。
事実、ルルフォの『ペドロ・パラモ』も、ネルーダのいくつもの詩編も、カルペンティエール、パス、ベネデッティ、オネッティ、ロア=バストス、アストゥリアス、コルタサル、アルゲダスらの初期の代表的な作品群もすべて、キューバ革命に先んじて五〇年代に書かれている。これは何を物語ることなのだろう?
暗喩的に言うならば、先端的な作家たちの文学的な創造活動は、米国に支援された独裁政権や民意を無視することに慣れた無力な政治体制の下で欝屈した社会の、来るべき胎動を精神面で準備していたのだ、というように。政治過程の革命は、それに先立ってこうした文化的裾野の広がりがなければ可能ではなく、仮に可能な場合があってもそれはひどく痩せこけた、貧相なものをしか結果しない、というように。
素材を生のままで扱うタイプの作家が少ない以上、キューバ革命とラテンアメリカの作家たちの関係は、文学作品の中に必ずしも明示的な形では見えるわけではない。見えざる関係の実在こそが、政治と文学の関係としては美しく、幸福で、緊張感に満ちている。
それは読者の想像力に働きかける度合いを広げるという意味で、作品それ自体と読み手の可能性をひらくものと言えよう。 また、永続化した革命は、逆説的なことには、停滞し硬直し保守化するという一般的な運命を免れることはできない。それは時に、革命を批判する<反>革命の文学を生み出すきっかけともなる。
キューバ革命といえども、この例外ではない。その意味では、内部のアレナス、パディージャなどの、外部からのものとしては後年のパスやリョサなどの作品もまた見渡すことで、「キューバ革命とラテンアメリカ文学」の関係総体が時間軸に沿って見えてきて、<革命と文学>に関わる私たちの認識の深化が得られるのだと思える。
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