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船戸与一著『午後の行商人』文庫版解説 |
(講談社文庫、2000年8月刊) |
太田昌国 |
船戸与一は、その最初の小説作品『非合法員』(一九七九年)以来一貫して、小説の舞台となる地域の、些細とさえ言える現代史を、物語の遠景として描きむことがうまい。正史の軸となって貫いているような大事件ではない。
世界の辺境の、さらにその辺境地域に起こった小さな出来事だが、正史を形成している圧倒的な力を、もしかしたらどこかで覆してしまうだけの可能性を秘めたそれを、物語の背景に巧みにしのばせるのである。
しかし、船戸は基本的に、想像力豊かな作家である。船戸の小説では、辺境に赴いた(あるいは、住みついた)日本人の若者が、そこで荒唐無稽とも言える事件に巻き込まれ、自らも破天荒な生き方をしてしまう世界が描かれる。
その想像力が、現実の出来事に縛られて、羽撃きをやめてしまうのではつまらない。船戸が、現地調査に基づくことはもちろん、現代史や文化人類学の資料を通して通暁した具体的な事件が、あくまでも遠景としてしか配置されない理由である。
私の考えでは、遠景としての出来事が、確かな歴史・現実認識に基づいて描かれることによって、船戸の作品は安定感を増している。
現代日本の若者は若者なりの方法で、商社員などの海外駐在者もそれなりの方法で、世界の辺境地域をよく知っている。裏付けの甘い作品は、読者によって底の浅さが見抜かれてしまう。
細部が確かな方法で描きこまれているとき、船戸的な想像力の世界は、意外なまでの現実感によって支えられていることを、読者は知ることになる。
その手堅い現実感を保証しているのは、世界各地の辺境で生起する民族的抗争に対して不断に張り巡らされてきた船戸の感度の良いアンテナである。
一九九四年一月一日、メキシコ南東部のチアパス州で、先住民族を主体とするサパティスタ民族解放軍(EZLN)が反政府武装蜂起を行なったときもそうだった。
この蜂起には、船戸ならずとも興味を惹きつけられる固有の性格がいくつかある。コロンブス到来以来五世紀に及ぶ征服と忍従に耐えかねて自己の権利の回復をめざして蜂起した古典性。
同時に、同じ日に発効したメキシコ・米国・カナダの「北米自由貿易協定」に反対している現代性。反対の理由は、強力な経済力を持つ側(つまりは、米国ということだ)のふるまいが、投資においても、生産物価格競争においても自由になる「自由貿易」は、貧しい国の農民にとっては死亡宣告にひとしいというものだ。
土地は買い上げられ、地元の農業生産物は、米国式の大規模集約農業による農産物の価格に対抗できない。農民は、土地を離れ、都会に流浪せざるを得なくなる。第三世界の多くの農村地域で起こっている悲劇的な現実である。
さらに注目すべき性格を、このサパティスタ運動は備えている。彼ら自身は、ろくな道路もない、電気も通じていない密林の奥深く住む住民なのだが、彼らが発する魅力的なメッセージは、支援者の手によっていち早くインターネットによってメキシコはおろか世界中に瞬時に伝わるのだ。
それは、メキシコのみならず世界各地でサパティスタに対する連帯感を生み出し、逆にメキシコ政府がサパティスタに対して強硬な弾圧手段を採ることを大きく牽制する力を発揮している。
東西冷戦構造が解消してのち、フィクションの背景にどんな現実を描きこむべきかと自問していたであろう船戸は、この運動がもつ新しい性格に大きな関心をもつ。その関心はまず、現地報告となって実を結ぶ。
一九九六年半ばから後半にかけて『SAPIO』に連載され、のちに「幾たびもサパタ」と題されて、他のルポルタージュ作品とともに『国家と犯罪』(小学館、一九九七年)に収められる作品によってである。その現地取材のもようは、同名でテレビの報道番組としても放映された。
船戸が、現実のサパティスタ運動に強烈な関心をもった理由としては、もうひとつ推測できる。サパティスタ運動はあくまでチアパスの先住民族が主体であるが、対外的なスポークス・パーソンとして前面に出るのは、「マルコス」と名乗る覆面の白人副司令官である。
どちらが欠けても、このユニークな運動は生まれなかったであろうと推測できるほどに、両者の関係は微妙なバランスの上に成立している。船戸の熱心な読者なら思いだすだろう。
彼の最初の小説作品『山猫の夏』の最後には、意外な仕掛けがあったことを。主人公である山猫=弓削一徳は、ブラジルで都市ゲリラ活動に参加したが、組織が壊滅して以降の一〇年間の消息が として知れない。
彼の死後、その関係者のもとに三人のインディオが訪ねくることで真相は明らかになる。山猫は「空白の一〇年間」を、アマゾン流域の先住民が、開発によって土地を奪われ、奥地に追いやられ、虐殺されてゆく現状に抵抗して武装自衛を図る動きに加担して過ごしていたのである。
あの作品のハイライトと言うべき、町を二分する二家族を手玉にとっての山猫の大活劇は、インディオの闘いに資金と武器を提供するためのものであったことが最後に明らかになる。『山猫の夏』は、その思いがけない結末によって、文明批評的な広がりをもつ作品として成立したのだと言える。
船戸が先住民族の世界そのものに対して深い関心を抱いていることは明らかだが、同時に、「文明」の側から越境して先住民の世界と交通形態をもちうる人間に、限りないロマンを感じているようにも思える。
こうしてサパティスタ運動に触れた作家・船戸の好奇心は、リアリズムに撤したルポルタージュを書くだけでは満たされなかった。彼は同じ時期、これに並行して、サパティスタ民族解放軍の蜂起を遠景とするフィクションを、『週刊現代』に連載した。それが、この『午後の行商人』の原型である。
軸となる人物はふたりいる。メキシコの大学に留学中の日本人学生・香月哲夫と、彼が追いはぎに襲われたところを助ける老いたる行商人タランチュラである。
生きるうえでの目的意識の有無、老若、異民族ーーふたりの間には、いくつかの明確なコントラストがある。哲夫は、現代日本の無気力な若者を象徴するかのように、専攻の経済学を究める熱意もなく、無為な日々を異国で過ごしている。
それが、偶然のきっかけでタランチュラの行商の旅に同行することでメキシコの現
実に触れ、その場その場での即断を迫られる異常な出来事に次々と巻き込まれる。
哲夫は当然にも変身を遂げてゆくが、そこで行き着いた先は「国籍も名まえも関係なく、ぼくという存在だけが確かな意味を持った」地点であったと船戸は描く。
作家は、資本も技術も物も情報も、そして人でさえも易々と国境を越えて「国際化時代」というかけ声が盛んになされる時代にあって、精神のみが狭く自閉し、異なる者を排除しようとする傾向が強まるばかりの現代日本社会のあり方に、深い危機感を抱いているように思える。
ひとの人生はふつうひたすらに平凡で、チアパスに向かった哲夫を待ち構えていたような「スペクタクル」に満ちてはいないのだが、哲夫のいわば「変心(身)譚」を通して、読者は自分のあり方を異化する効果は受けとめることができる。
ひ弱な哲夫に比して、老人タランチュラは生きる目的も明確で、頑迷なまでに強い。この老若の対比も、作者が意図したものであるように思われる。それにしても、タランチュラの目的意識の明確さは、個人的な復讐心に発している。
一九七〇年代にゲレロ州でゲリラ闘争が行なわれていたという歴史的事実に注目した作家は、タランチュラの娘が許婚のゲリラ指導者と共に、懸賞金に目が眩んだならず者に惨殺されたという虚構を創る。タランチュラがその下手人八人を追い求めるうちに、先住民蜂起の只中のチアパスにまで辿り着くという設定に、この作家の歴史認識と現実認識の冴えを感じる。
タランチュラの描き方には生彩があるが、その個人的な怨念に基づく復讐心は、作品全体の中では相対化される。それは、たとえば、タランチュラの復讐戦としての殺人行為に危うく巻き込まれそうになる哲夫が「ここまでだぞ、タランチュラ、ぼくが協力するのはここまでなんだからな、あとは知らないからな」と叫ぶ場面に象徴される。
またタランチュラ自身の〈復讐とはいっても、無闇な人殺しではない〉とする自己批評もあって、ある場面で些細な理由で人殺しをしたかもしれないと内省する哲夫に対して、タランチュラは言う。「おまえは引鉄を引きはしなかった。おまえはまだまったく穢れちゃおらんよ。そんなふうな言いかたをしてじぶんを貶しめんでくれ」。
だが、もっとも重要な相対化の契機は、遠景として描かれているサパティスタ運動の中で唯一の具体的な人物であるオテックという若者によってもたらされる。
彼は民族解放軍の特別武装工作者として、必死の地下活動に従事している人物として描かれるが、その闘いはもちろんタランチュラの場合と違って、個人的な復讐のためにではない。オテックが非業の死を遂げる場面をうけて、哲夫は自らの責任を痛感しながら、そうふりかえる。
作者は、タランチュラの動機とオテックの動機に優劣をつけて比較しようとするのではない。暗示的なこの描き方から何を感じとるかは、読者に委ねられていると言えよう。
いずれにせよ、哲夫とタランチュラは、オテックらの先住民世界への意識的な越境者ではなかったが、精神の交通形態をもち得た人物として描かれている。
外部(官憲、大地主)からの働きかけによって先住民の一部が反サパティスタのテロ行為に組織されてゆく過程が描かれたことは、〈予感〉としての文学の力と言える。作家の予感は、その後の過程で、不幸にも、現実と化している一面があるからである。
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