「能無しとみられていいのか。殺し合いばかり続けているから、世界からアフリカ人は野蛮だとみられるんだ」。
これは、今年一月、タンザニアのアルーシャで開かれたブルンジ和平会議に参加した同国の政府側および反政府側の関係者を前に、和平交渉仲介者で前南ア大統領であるネルソン・マンデラが語ったという言葉である。
白人政権以来続く南アの兵器輸出については「兵器売買は平和と矛盾しない。生産競争に勝つためには仕方ない」と、ごくありふれた政治家の物言いに戻るマンデラだが、アフリカ社会が内的に抱える矛盾に関してはやはり鋭敏で、人一倍苦悩しつつ、調停者として局面の打開に努力しているようだ。
先だっての和平会議には、米仏大統領も衛星回線を使って参加させていたが、両国の主導権争いがブルンジ和平の解決を遅らせたというのはマンデラの持論であり、内部矛盾を抉り出しつつも、外部世界のしかるべき者たちにも責任をとらせるというのが、彼の戦略なのだろう。
そんなニュースを見聞きしながら、峯陽一の「現代アフリカと開発経済学:市場経済の荒波のなかで」をじっくりと読んだ。私は一〇代半ばのころ、「アフリカの年」と呼ばれた独立時代のアフリカに出会った。
奴隷海岸・象牙海岸などという用語を聞き慣れ、宗主国ごとに隈なく色分けされたアフリカ分割地図に見慣れた若い心に、希望に満ちた独立アフリカの姿は眩しかった。「独立革命」「アフリカ型社会主義」「パンアフリカニズム」「ネグリチュード」--刺激的な政治の現実と魅力的な文学・思想が目に入ってきた。
だが四〇年後のいま、アフリカはあらためて苦悩のさなかにある。GDPなどの統計的な指標から見ると、アジアはもちろんラテンアメリカ・カリブ海地域も右肩上がりのグラフになるのに、唯一サハラ以南のアフリカ地域だけが停滞もしくは悪化している。峯の魅力的な新著は「貧困を除去する実践の学、経済学」はアフリカでこそ必要とされているという信念に基づいて展開される。
だが、人類史の階梯の最底辺にアフリカの人びとを位置づける「無意識」がはたらいている社会にあっては、叙述は経済学に純化できない。人類生誕の地であるアフリカには、ヨーロッパによる征服以前にどんな古代があったか。大航海時代を経て、奴隷貿易はどんなメカニズムで行なわれ、それはいかなる傷跡をアフリカに遺したか。
その歴史が簡潔・的確にたどられる。そのうえで著者は、アフリカの貧困と取り組む真摯な開発経済学者三人、ルイス、ハーシュマン、アマルティア・センの論議を紹介する。三人の人となりすら浮かび上がってくるような内在的な文章で、ことがらの性格上難解だが刺激的だ。
その論議の間には、複合社会の分権的民主主義、国家なき社会、社会の開放性、平等志向の再分配行動、相互的贈与などをめぐって、アフリカ社会に関する著者の興味深い考察がちりばめられている。
アフリカの現実をもたらしている制約要因を、外生的なものと内生的なものとに腑分けしてすすめる論議のあり方が好ましい。「アフリカ型社会主義」など独立時代に夢見られ意図されたが実現しなかったことの根拠は、そうした方法で具体的に解析されてゆく。
それは、見果てぬ夢を忘却し、ましてや冷笑し、記憶の彼方に追いやってしまう、この時代のどこにでもある方法から、もっとも遠い地点にある方法である。専門書の狭い枠に閉じ込めずに、世界大の文明論的視野を持つ書物として、広く読まれてほしい。
(2000年4月12日記)
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