「文庫でジャーナリズム、はじめました」と名乗るのは小学館月刊総合文庫である。数年前に刊行が始まったが、私の関心で言えば、徐京植の『子どもの涙』、塩見鮮一郎『浅草弾左衛門』、周恩来『十九歳の東京日記』などに、文庫本としての企画の冴えを感じたが、ふだんはあまり読む意欲が湧かない企画が多い。
今月の新聞広告を見て、加地信行編著『日本は「神の国」ではないのですか』を買った。
執筆者は、加地のほかに田原総一郎、佐伯彰一、長谷川三千子、ベマ・ギャルボ、大原康男、坂本多加雄、中西輝政、西修、西部邁で、その限りのことなら「産経新聞」や「正論」などですでに読んでいるものが多いから、今さらという感じがするが、内容的にいえば山口昌男の名前があったので、その登場の仕方に関心があった。
しかし、どちらかといえば、内容というよりは、その素早い「ジャーナリズム」感覚への興味のほうが優っていたとは言える。
森喜朗の、いわゆる「神の国」発言があったのは、 5月15日に開かれた「神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会」の席上のことである。それから一ヵ月半有余後の 7月 7日付けの新聞各紙には、この本の大きな広告が載っている(奥付は 8月 1日となっている)。
新聞、週刊誌、月刊誌、単行本、テレビなどを通しての右派ジャーナリズムの動きには、それなりの関心を抱いてきた私だが、この文庫本制作の速度には(私自身は、そのような素早い作業が苦手なだけに余計に)いささか驚いた。
内容に先に触れないのは本末転倒であることは自覚しているが、この「速度」は、資金潤沢な右派ジャーナリズムの、今後の展開方向を暗示しているように思える。
一定方向をもつ大量の情報を、時を逃さずに、流すことが、世論形成のうえで果たす役割を、十分にわきまえた作業なのだろうという意味において。
さて、その内容である。以下、本書を卒読しながら考えたことを記しておこうと思う。当日の森喜朗の発言全文を読むと、その会には梅原猛も同席していたことがわかる。
梅原猛が神道政治連盟懇談会の祝賀会に列席していて、挨拶をしない(「祝辞」を述べない)ということは考えられない。
森の発言もさることながら、私は、梅原のような「学者」がこの種の会合に出て、どんな挨拶をしているのかを知りたく思う。
「六〇年安保まではマルクス主義にかなり近かった」(吉本隆明・中沢新一との鼎談『日本人は思想したか』、新潮社、1995年)と自ら語る梅原は、その後「日本研究の外におかれた」沖縄や「国家主義なんて全然関係ない」アイヌ文化への関心を深め、縄文を媒介としてアイヌ・沖縄・日本を結ぶ「日本的なるもの」という歴史的概念の創出に熱心であった。
その延長上で展開されてきた梅原理論を思い起こすならば、首相=森の「失言」は、学者=梅原の学問的な粉飾を凝らした「学説」によって、十分に補完されているかもしれないというのは、無理な推測ではない。
政治家のときどきの発言・態度を厳しく分析・批判することの大切さを思いつつ、それを時代の「気分」全体の中に位置づけて行なうのでなければ、有名政治家の「失言狩り」に終始し、その背後に広がる全体状況を見失うおそれがあるというのは、私がつねにいだき続けている危惧である。
野党政治が政府・与党に対して根本的な政策論争を回避し、むしろ政策的にはこれに徹底的に妥協しつつ、後者の指導者の「醜聞」(汚職、異性との「不適切な関係」、失言など)が何らかのはずみで明らかになって、これを叩くことを待ち望むだけだという状況が日本政治・社会のなかに生まれて、久しい。
スキャンダルは叩きやすい。当事者の謝罪なり辞職・辞任なりの結果が生まれるなら、カタルシスは得られる。
時にそれぞれの「スキャンダル」を追及することは当然としても、そのセンセーショナルな喧騒な中で、本質的な問題が見失われてゆくという感想を私はもつ。
森発言に対する関心と同等の度合いで、当日の梅原発言の内容を知りたいという私の思いは、そこから生まれる。それは、森喜朗ひとりの「失言」を追い詰めていけば事足りる、とするのとは違う方向性を切り開きうるからである。
論者たちの注目すべき論点のひとつは、「天皇を中心とする神の国」なる森の表現は、復古イデオロギーなどではなく、「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」とする憲法の定めを言い換えただけだ、とするものであると思われる。
森自身が事後の記者会見で弁明の論拠にしたのがここだったが、これをもっとも強調しているのは坂本である。
法律制定などの実際の意思決定は国民を代表した議会がやり、国民の統合の象徴たる天皇が「署名なさる」という行為を媒介としてはじめて法律となるのが日本国のありようであり、この構図を考えると、「象徴」というのはそんなに軽いものではないから「中心」と表現しても国民主権を侵したことにはならず、構わない、と坂本は言う。
多くのマスメディアや民主党・社民党・共産党など、もっぱら「戦前の皇国史観への回帰」と捉えて森批判を展開した立場は、こうして「象徴」概念の曖昧さを突かれたときにその弱点を顕にして、太刀打ちが不可能になるだろう。
我ー彼をへだつ真の分岐線は、目に見えるところとは別な地点に引かれていることを知ることが必要だと思える。
ほかには、中西輝政の「論理」が相変わらず突出している。「国旗・国歌」制定に関して、日の丸・君が代は戦争を最も象徴するものとされてきたが、「しかし、よくよく考えてみると、日の丸、君が代が戦争をしたわけではない。
戦争は人間がしたのであり、その時代の人間が過ちを犯したのである。日の丸、君が代に罪を負わせるのは全く愚かな話である」などという、噴飯物の一節もある。
国民国家のシンボルとしての国旗・国歌が、全体主義国家体制下において、心理戦略の武器としていかに機能したか、という問題意識をすら、この「政治学者」は持たないらしい。
驚くべき「水準」の議論が大手を振ってまかり通る現実の異様さが、「慣れ」とともに、異様ではなくなっていく過程にこそ敏感でありたい。
トリックスター・山口昌男の論点は、森発言は「時代の気分を表現」しているというものだが、「あまり気にすれば、逆に相手の立場を強くするだけなのではないか」とズラす姿勢にのみ、この文章で一貫して述べてきた意味において小さな共感をもった。
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