文春文庫が文芸書の分野で独特の選書をしているのは周知のことで、日頃から何かと世話になる。それに加えて、「文芸春秋編」と名乗るノンフィクション・歴史物の分野でも侮るわけにはいかない企画がある。
『「文芸春秋」にみる昭和史』(半藤一利監修、全4巻)や『エッセイで楽しむ日本の歴史』(上・下巻などは、主として批判や反発の思いと、稀に共感の思いがさまざまに起こるのは当然としても、なかなかに読ませる企画物になっている。後者の場合は、古代から幕末期までの雑多な歴史的な事項に関して 200人あまりの人びとが文庫本4〜5頁分のエッセイを寄せている。
雑学的な知識が得られ、いわゆる歴史好きな人びとには満足のいくものになっているだろう。稀にラディカルな例外はあるが、編者たる「文芸春秋」が、対象として想定している読者一般の歴史認識の水準をどの辺りにおこうとしているかがわかる。
佐藤誠三郎の「PKOと尊王攘夷の情念」や小西甚一の「進歩的文化人と『徒然草』」などは、「敵」ながら、巧みである。
その流れで、興味深い本が出版された。文芸春秋編『私たちが生きた20世紀』(上・下巻)である。もっともこれは雑誌『文芸春秋』2000年 2月臨時増刊号の文庫化だというのだが、元本は読み逃した。
実に 400人近い人びとが「私の戦争体験」「わが家の百年」「忘れ得ぬ人」などのテーマについて1500〜3000字程度で語り、「20世紀 世界を動かした人々」「20世紀 世界を知るための本ベス30」「20世紀 世界を変えた事件」などをめぐる座談会が収められている。
この種の、20世紀回顧的な書物はすでにたくさん出始めているが、出版社の宣伝力や文庫サイズの気安さは別にしても、実に多様なテーマに関して多彩な人びとが、わずか数分間で読める短文を寄せているということ自体が、ひとつの魅力となっているような書物である。
この多様性をむりやりひとつの色に塗り込めて批判するつもりはない。この本は決して単色ではないし、そんな批判は有効ではないだろう。だが、多様性の中にさり気なく埋もれている、特徴あるいくつかの表情については触れておきたい。
短文だから触れることができなかった、というだけには終わらない強引な結論と断定が試みられている文章は、やはり、私が一連の時評的な文章で日頃から批判の対象としている人びとによって書かれているようだ。
平川佑弘の「シンガポール陥落とディエンビエンフー陥落」という文章は手がこんでいる。「東亜侵略百年」といわれたイギリスの東洋支配は、1942年の日本軍によるシンガポール陥落によって終止符を打たれたとする平川は、若い日々に自分の仕事先や旅行先で知合ったベトナム、シンガポール、インドなどの国々の「任意の誰か」が吐いた、歴史的過去としてのシンガポール陥落を歓迎する親日的な言葉を随意に引用する。
この「陥落」作戦には日本側に三分の理があったが、米国がそれを理解していれば、ディエンビエンフーでフランスの東亜百年の野望を挫いたベトナムの理も理解でき、あの悲劇的なベトナム戦争は避けられただろうとするのが表題の趣旨だが、その「論旨」を補強しているのは、平川が自らの文脈で恣意的に引用するベトナム人らの言葉である。
平川によれば、日本のふるまいは「反帝国主義的帝国主義」であった。そのうえで、ふたつの「陥落」を同一の水準で捉えるという歴史の詐術をあえて行なう。
渡辺昇一は「二十世紀ーー日本がなかったら」との仮説を立てる。白人絶対優越のアパルトヘイトは世界的に完成し、その後何世紀も続くことになっていただろうというのが、自問に対する自答である。
たしか彼は、南アフリカにおけるアパルトヘイト体制が廃絶された直後にも、同じ趣旨のことを『正論』に書いた。
アパルトヘイトを背後からしっかりと支えた日本の対南ア貿易の実態を知る者は、そんな非論理を臆面もなく声高に主張できる1990年代初頭の言論風景に、救いがたい頽廃を感じた。「植民地と白人優越主義が日本のおかげでなくなったのが二十世紀の状況だが、それを前提に二十一世紀の世界は展開する」というのが渡辺の御託宣である。
曽野綾子も、相変わらず、すごい。「二十世紀」に「最も才能のない詩人による駄詩」を捧げた曽野は「日の丸は戦死者の血で染まった旗だそうだが、戦後の日の丸は、抗議もできぬまま堕胎された一億の胎児の血で真赤。アカイ、アカイ、ヒノマルハ、イツモ、アカイ。一億といえば、大東亜戦争を三十数回くり返すと、戦死者がやっと同じ数となる」とうたう。
「堕胎された一億の胎児の血で真赤」な日の丸とは、戦後史の中で日の丸が(曽野から見て)しかるべく尊重される場になかったことのメタファーのつもりなのだろうが、(日本人の犠牲者三百万人を生んだ)大東亜戦争を三十数回くり返すと「戦死者がやっと同じ数となる」と「駄詩」がうたう以上、「一億の胎児」は「戦死」したものとして仮想されていることになる。
「大事な」日の丸がいかにその価値を貶められてきたかを言うために、曽野は信じがたいレトリックを駆使している。
「二十世紀開幕を告げた日英同盟と日露戦争」と書くのは山内昌之である。「日英同盟は平和の確立にも貢献した」ことを、当時の日本駐英公使の口を借りて主張する。
「日英同盟が日本に名実ともに帝国意識をもたらすきっかけとなった」ことを述べた箇所では、英国の社会主義者の満州・朝鮮訪問時の発言と夏目漱石の「満韓ところどころ」の一節を引きながら、「二人の日常からすれば信じられないほど差別的な感慨かもしれない。
しかし、率直なだけにリアリティに富んでいるのだ」と、決して否定的にはでく解釈する。歴史的評価の違いが生じるのは当然としながらも、「確かなのは、アングロサクソンの海洋国家と協調しているとき、日本は内外で平和を享受し国運も隆盛に向かった事実であろう」と断言する。
そして「日米安保条約の解消を安易に唱える前に、まず日英同盟の意義やその破棄で失われた損得勘定を検証することも大事」だと続ける。
山内が言う時期は、朝鮮義兵闘争に対する弾圧や朝鮮の植民地化、大逆事件による幸徳秋水らの刑死……そのほか「内外で平和を享受し」たと断言するためには、「偽造する山内学派」となるほかはない歴史的事実がぎっしり詰まっている。
アングロサクソンとの現代的協調である現行日米安保体制を肯定するための論拠として、山内がいかに貧相な歴史観の泥沼にはまっているかが歴然としている 。
「多様性」とは、かくも厄介な問題を抱え込んでいる。
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