「絶滅」黒「強制」白の髑髏で描くナチ収容所図の謎
2000.6.2
拙著『アウシュヴィッツの争点』の読者が、古いはといっても、たかが29年前に初版が発行された本を、貸してくれた。『ゲシュタポ/恐怖の秘密警察とナチ親衛隊』(ロジャー・マンベル著、渡辺修訳、サンケイ新聞社出版局、1971.4.30.初版)である。貸してくれた実物は26刷で、1973.8.1.の増刷分であるが、注記がないから初版と同じ内容のようである。原著の初版は1970年と記されている。1970年は今から30年前である。
この時期に、サンケイが一連の軍記物を出したことについては、いわゆる「戦後反動の一環」としての批評だけを読んだような、微かな記憶がある。実物を手に取った記憶はない。なぜかというと、当時の私には、読書に割く時間の余裕がなかった。当時、私は、日本テレビの社員で、かつ民放労連日本テレビ労組の組合役員などの立場にあった。1969年末には、日本テレビを系列下に置く読売新聞グループの独裁者、元警視庁特高課長、正力松太郎が死んだ。その直後から激化した労資紛争で、私は、不当解雇反対闘争の当事者となった。
いま手に取って見ると、上記の日本語版の本の表紙の裏には既刊48冊、刊行予定2冊の題名が並んでおり、「以下続刊」と記されている。大変な数のシリーズである。「戦後反動の一環」は、大当たりしたのであろう。
30年前には常識化していた「絶滅」収容所の西側「不在」状況
さて、なぜ、わが読者が今頃になって、この本を貸してくれたかというと、写真や図面を省略したWeb公開の方ではなくて、拙著『アウシュヴィッツの争点』の実物の方を読んだからである。
上記の本、『ゲシュタポ/恐怖の秘密警察とナチ親衛隊』の160-161頁には、拙著『アウシュヴィッツの争点』の冒頭、「はしがき」の直前の12頁で紹介した図と、ほとんど同じ図が載っている。簡略に表現すると、「絶滅」を黒、「強制」を白の髑髏で色分けしたナチ収容所の図である。「黒」を詳しくいうと「横長の矩形の黒に白抜きの髑髏」であり、「白」の方は「横長の矩形の囲みの中に黒の髑髏」である。私は、拙著の図の説明として次のように注記していた。
「注)「絶滅」収容所はすべて、戦後共産圏に入った国にのみあったとされている。歴史見直し研究所『600万人は本当に死んだか/最後の真実』より」
拙著の図の出典、『600万人は本当に死んだか/最後の真実』には、日本語訳がない。英語の薄い本で、パンフレットと表現した方が実態に合っている。初版は1974年とあるが、この図の出典は示されていない。ともかく、上記のサンケイの本の原著、SS and Gestapoの方の初版の方が先に出ている。
『600万人は本当に死んだか/最後の真実』と『ゲシュタポ/恐怖の秘密警察とナチ親衛隊』との関係は、今のところ、私には分からない。前者はホロコーストを否定する立場であり、後者は肯定する立場である。ところが、「ホロコーストを肯定する立場」の本の方が先に出ており、その本の図が、上記のような私の注記、「『絶滅」収容所はすべて、戦後共産圏に入った国にのみあった」、と同じ主旨になっていたのである。つまり、この本の原著が出た当時、今から30年前のドイツの言論界では、「ホロコーストを肯定する立場」の論者の中でも、「絶滅」収容所の西側「不在」状況が、常識化していたのである。
ここで、さて、となるのだが、私は、この図を巡る問題を、すでに3年前、さらにはインターネットを始める以前、1997年7月25日発行の『歴史見直しジャーナル』で論じていた。同誌の読者で「歴史見直し研究会」の会員が、疑問ありと拙宅に送ってきた本、『戦争責任論/現代史からの問い』に、ほとんど同じ図柄が載っていたからである。以下、その時の文章を若干補正して再録する。
“良心的”出版社の優等生編集者が陥る“2分間憎悪”プログラムの罠
右上(同上の髑髏の図:Webでは省略)は拙著『アウシュヴィッツの争点』の図(説明は「おもなナチス強制収容所、強制収容所と『絶滅』収容所」)であり、出典と説明がある。
左上(同前)は会員が疑問ありと拙宅に送ってきた本、『戦争責任論/現代史からの問い』(荒井信一、岩波書店、1995.7.17)の図(説明は「ナチスによる強制収容所と絶滅収容所」)であり、出典は不明である。
拙著『アウシュヴィッツの争点』の発行は1995.6.26.であるが、『戦争責任論/現代史からの問い』の発行は、その19日後の1995.7.17.である。
末尾の謝辞に氏名が記されていたので、岩波書店の編集担当者に出典を直接糾すと、「どこかの本のトレースだが記憶がない」という。しかし、「記憶がない」などということは、国会議員ならいざ知らず、競争率数千倍とかの噂の岩波書店の暗記秀才の編集者には、とうてい起こり得ない事態である。
少なくとも、天下の岩波書店ともあろうものが、出典を明示できない図を、しかも、当時は論争の渦中の問題についての書物に載せるなどということは、不可解至極である。出典・説明を欠く引用は、著者としても出版社としても、下の下の「不適切」(当時はまだクリキントンの「不適切な関係」が評判になる以前だったが、私は、この通りに「不適切」と記していた)である。
私は、『マルコポーロ』同年2月号廃刊事件への抗議資料として、発行元・文藝春秋社長室の承諾を得た上で、該当記事に同じ図を出典・説明入りで添付し、そのコピーを千部作成し、広く配布した。これを無料配布した記者会見集会には、顔見知りの岩波書店社員もきていた。
左(表紙の写真:Web公開では省略)の本の第三章第三節フロ人「ホロコーストの世界」の記述は、典型的な「絶滅説」である。ただし、論証は皆無である。今や名のあるホロコースト史家は無視する「ガストラック」までも、何の疑問もなしに史実として記述しているのだから、まさに噴飯物である。『マルコポーロ』記事が紹介した「ガス室の法医学的鑑定」問題への論及もゼロで、思い込み型の典型である。落第点しか付けられないが、著者の肩書きは、東大卒、駿河台大学教授、日本の戦争責任資料センター代表である。その当時、出版労連の「自由主義史観」批判集会では、この著者を講師に招いていた。
拙著で図示した理由は引用文献の主張通りである。ニュルンベルグ裁判では「ダッハウでもガス室殺人が行われた」と判定されたのに、その後「ガス室があったのは東側のみ」となった経過などの「奇妙さ」の指摘である。
その後、同じく岩波書店の編集者で、出版労連の組合幹部、典型的な優等生、「絶滅説」支持者とも、いささか議論したことがある。彼が、出版労連の出版物の中で、「絶滅説」の立場の発言をしていたからである。私が、「直接に資料を調べたことがあるのか」と疑問を呈すると、彼は、「自分では直接資料に当たっていないが、長期研究の学者を信じる」と言い切った。
私は、学生時代から、「教授は嘘っぽい」(一部例外を除く)と感じ続けてきた劣等生なのだが、「真相を見抜くのに一年も掛からない」と反論すると、「傲慢だ」ときた。
昔から、朝日・岩波・NHK・東大が、「日本を悪くした」との陰口が続いていた。あからさまな体制迎合派の言にならば、容易には騙されない人々でも、「リベラル」の言には弱い。しかし、いわゆる体制の許容範囲内「リベラル」は、世相に合わせて色を変えるカメレオン商売である。その限界を知り、その嘘っぽさを直ちに見抜く眼力を蓄えることなしには、真の世直しは不可能であろう。それゆえに、私は、この種の現代の糞坊主どもの正体を、定かに見据えるための基礎作業として、わがホームページにも、「21世紀デカメロンの城」を設けているのである。
以上で(その36)終わり。(その37)に続く。
(その37) アメリカ放送「虐殺資料発掘」は古ネタ蒸し返し? へ
「ガス室」謀略 へ
『憎まれ愚痴』55号の目次 へ