イスラエル新首相アリエル・シャロンの事績年表と評価 (旧知の諸留能興さん作製)
2001.2.14.mail再録。
湾岸戦争からカンプチアPKO出兵に至る時期に私を何度か京都に呼んでくれ、拙訳『偽イスラエル政治神話』では、ヘブライ語や諸宗教の特殊な用語や固有名詞について教示を頂いた《パレスチナに平和を京都の会》の諸留能興さんによる「シャロン」の「事績」と評価を、転送します。なお、私自身は今、『偽イスラエル政治神話』に9箇所もでてくるシャロン論を整理し、その他の資料を加える特集を準備しています。以下は、諸留さんの文章を、少し読みやすく改行しただけで、原文のままです。
イスラエル新首相アリエル・シャロン氏について思うこと
(1)★アリエル・シャロン氏事績年表★
[1982/09/16] ◆サブラ、シャティーラ両パレスチナ難民キャンプのパレスチナ難民多数(2000~3000人)が、キリスト教マロン派民兵「ファランジスト」により虐殺。イス ラエル軍が両キャンプを封鎖中の出来事。「残存パレスチナ・ゲリラ掃討」の名目で、シャロン国防大臣らイスラエル軍首脳は、ファランジスト民兵をサブラ、シャティーラ両キャンプ中へ入れ、虐殺はその直後に発生。
[1990/08/15] ◆住宅大臣のアリエル・シャロン語る「状況は重大な決定を早急に必要としている・イラクに対し大きな脅威とならないような行動は、どんなものであれイスラエルに対しての危険を除去するものとはならない。有効な行動は軍事的攻撃によってのみ実現できる」
[1991/03/**] ◆シャロン住宅相は湾岸戦争終結後「ヨルダン川西岸およびガザ占領地に1万3000戸建設」「ゴラン高原のユダヤ人倍増」の入植計画打ち出す。ベーカー米国務長官の中東訪問に合わせシャロン・イスラエル住宅相が入植計画進める。
[1991/03/01] ◆イスラエルの占領地への入植計画は中東和平会議の障害に:シャロン・イスラエル住宅相の入植計画をエジプト・ムバラク大統領が非難声明
[1991/03/31] ◆イスラエル・シャロン住宅相のヨルダン川西岸占領地に13000戸建設並びにゴラン高原のユダヤ人倍増の入植計画
[1992/02/24] ◆過去2年足らずに占領地に2万二千戸の住宅を建設した:更に新たに一千戸建設の予定:シャロン住宅相が演説。「入植停止ありえぬ」シャミル・イスラエル首相とシャロン住宅相語る。
[1991/04/**] ◆ヨルダン川西岸で入植者用の住宅建設開始(4月下旬)シャロン・イスラエル住宅相が「ユダヤ人倍増」入植計画打ち出す。
[1991/05/01] ◆ワシントン入りしたシャロン・イスラエル住宅相が米国政府のケンプ住宅都市開発長官のオフィス訪問に米政府がストップをかける
[1991/05/02] ◆シャロン・イスラエル住宅相への米住宅都市開発長官訪問ストップの措置にイスラエルが米政府のシャロン住宅相への措置に正式に抗議。極右政党は入植政策を変更
[1991/05/05] ◆中東和平会議の障害にイスラエルの入植計画。シャロン・イスラエル住宅相の入植計画。
[1991/07/29] ◆ヨルダン川西岸の町ツルカーム近くで新たなユダヤ人入植地建設に着手。占領地最大規模の住宅建設。イスラエル・シャロン住宅相が表明
[1991/10/10] ◆イスラエルの右翼入植団体の東エルサレム民家占拠事件の民家買い上げ。予算は建設・住宅省が支出。シャロン建設・住宅相の挑発的な入植政策の一環。ベーカー米国務長官の中東訪問に合わせた計画的行為。イスラエル左派政党マパムのオロン国会議員が非難
[1991/10/11] ◆東エルサレム民家占拠はシャロン建設・住宅相が予算支出か?
[1991/10/19] ◆シャロン・イスラエル住宅・建設相がシャミル・イスラエル首相の辞任を要求:中東和平会議参加を避難
[1991/10/22] ◆ゴラン高原に1992年末までに入植者用の住宅1414戸建設計画をシャロン建設・住宅相発表
[1991/10/25] ◆中東和平会議控え、エルサレム旧市街アラブ人居住地区内のイスラエルのシャロン建設・住宅相の家に火炎瓶2本投げ込まれる
[1992/02/08] ◆イスラエル・レビ外相が与党リクード党首選挙に立候補を表明:シャミル現首相とシャロン住宅建設相も既に立候
[1992/02/24] ◆過去2年足らずに占領地に2万二千戸の住宅を建設した。更に新たに一千戸建設の予定」シャロン住宅相が演説。「入植停止ありえぬ」シャミル・イスラエル首相とシャロン住宅相語る。
[1993/01/05] ◆ハマスがイスラエル秘密警察員殺害の犯行声明出す:イスラエル国内で強い対応求める声高まる:非常事態宣言し戦争状態を:右翼リクード政党シャロン前住宅相語る
[1997/06/25] ◆ネタニヤフ首相はメリドール前蔵相の後任に、ユダヤ人入植地建設を主導してきた強硬派の重鎮シャロン国家基盤相を任命する予定だったが、シャロン氏が蔵相の権限拡大などを要求して他の閣僚との調整がつかず任命見送られる。
[1997/08/13] ◆イスラエルのネタニヤフ首相がアカバでヨルダンのフセイン国王と会談。フセイン国王は和平交渉再開に向け、五日にパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長を招き会談。翌日、ハッサン皇太子をエルサレムに派遣。ネタニヤフ首相はレビ外相、シャロンも同行。
(2)★シャロンの経歴の再確認★
イスラエル新首相アリエル・シャロンについて、日本のマスコミ各紙は、「挑発者」のアリエル・シャロンの顔、彼がレバノン戦争に果たした残虐性の指摘を(故意か?怠慢か?)欠落させていることに注意して欲しいと思います。
単なる「リクード党のシャロン党首」ではなく、「極右」と位置づけられる超鷹派の人物です。レバノン(侵略)戦争当時のイスラエルの国防大臣であって、総指揮官を勤めた「敗軍の将」であるだけでなく、「サブラとシャティーラの二つのパレスチナ人難民キャンプの大虐殺」の際にも、直接、虐殺に手を染めた、レバノン国内のマロン派カトリック(極右キリスト教徒)ファランジスト民兵に武器を供給し、虐殺時にパレスチナキャンプ周囲をイスラエル軍のメルカバー戦車で十重二十重に囲み、ファランジストたちの虐殺を支援する目的で照明弾を打ち上げるなど、積極的に虐殺に荷担してきた人もであります。
このシャロンは、さらにまた、違法占領地への入植地拡大を、その先頭に立って進てきた人物で、イスラエル国内でも「ブルドーザー」と皮肉られているほどの人物です。
更に、「神殿の丘訪問」を強行させたことで昨年(2000年)末以来の暴動の引き金を引きいた人物。それが、今回イスラエル新首相に当選した、極右のシャロンであったことを、もう一度再確認しておきたいものです。
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《パレスチナに平和を京都の会》
"Peace for Palestine" in Kyoto Movement"
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以上で転送終わり。
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