●『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』:ティル・バスティアン(著)、石田勇治、星乃治彦、芝野由和 編訳(日本版1995/11)
●『アウシュヴィッツの嘘』:元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが1973年に発表した短い回想録の題名。参照➡『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか
『ロイヒター報告』の評価と今後の議論の方向
1999.2.5
今回もmailのやり取りの再録です。
amlML上で『ロイヒター報告』の説明を求められ、簡略にお答えしたところ、続いて、ロイヒターの経歴などへのご質問を頂きましたので、これにも簡略に答えます。これまでの「ガス室」(論争)の経過との関係で一言すると、揚げ足取りではなくて、本当に関心を待たれる方からの通信に答えるために、方針を変更して、逐次、わがホームページ所収のWeb週刊誌『憎まれ愚痴』への転載予定の執筆方法に切り替えることにしたのです。
最初に、高橋亨さんらが論拠にされる『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』にも載っているロイヒターの「学歴」デマゴギーを、完膚なきまでに粉砕しておきます。
以下はまず『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』p. 92-93.の引用です。
……トロントの裁判所は[中略]ボストンのガス室専門家の鑑定書に、当然ながらほとんど意義を認めなかった。それどころか、ロイヒターがピアソン検事による反対尋問の際に与えた印象はまさにお粗末そのものであった。というのも彼はそこで、自分がエンジニアとしての専門教育を全く受けていないということを認めるはめに陥ったのである。(質問「エンジニアの学位をお持ちですか」答え「私は哲学修士です。」質問「それはエンジニアの専門教育ですか。」答え「エンジニアの専門教育ではありません。でも私の仕事にはそんなものは必要ありません。)……
これは、「証人の信憑性に関する反対尋問」の類いです。この種の反対尋問は、証人の証言の中心部分を崩せない場合に、「争点逸らし」として、裁判官の印象を薄める目的で行われることが多いのです。この部分は、「エルサレムのヘブライ大学の調査プロジェクトの一環として出版」(拙著『アウシュヴィッツの争点』p.29)されたアメリカのユダヤ人宗教学教授リップスタット名の著書、訳題『ホロコースト否定論』でも、私が名誉毀損で訴えた『週刊金曜日』記事でも、同様の目的で取り上げられています。
ところがまず、問題のトロントのツンデル裁判は、最高裁で被告ツンデルの勝利に終わっているのです。『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』では、この確定判決の存在を、ことさらに無視しています。「重要なことを言わない」という「嘘」手法です。
カナダの最高裁は、『ロイヒター報告』の評価、ひいては「ガス室」の存在の否定までの判断は避けました。しかし、ツンデルは、『600万人は本当に死んだか?』というパンフレットの頒布を理由に告発されたのですが、カナダの最高裁は、その告発の根拠となった刑法の条項、「虚偽報道の罪」そのものが言論の自由を保証する憲法の条文に違反するという判決を下したのですから、この判決は、ドイツなどでの刑事罰強化の動きと考え合わせるならば、大変な勝利なのです。だからこそ、シオニスト・ロビーは、必死になって、『ロイヒター報告』の揚げ足取りを始めたのです。
しかし、この種の揚げ足取りデマゴギーの手法に頼ること自体、先にも述べたように、本命の「争点」、この場合は「ガス室」と称されてきた場所の「シアン化合物」の残留テストそのものについて、最早争いの余地がなくなったことの承認でもあるのです。
この「学歴」デマゴギーを、「学歴詐称」が明白になった本多勝一(わがホームページ所収)が、自分が編集長時代の『週刊金曜日』(97.2.14)に載せていたのは、いかにも醜悪極まるのですが、私の訴状(同上)p.21-22では、『週刊金曜日』(97.2.14)p.66-69の記述、「自称『エンジニア』の人文科学修士ロイヒターが、実際には自然科学系の大学を卒業などしておらず、『エンジニア』の称号を不法に使用していたことが91年に発覚」を取り上げて、次のように記しています。
……被告・金子マーティンが、『ロイヒター報告』の信憑性を傷つけるために「発覚」などと威嚇するロイヒターの「学歴」問題は、トロント裁判の反対尋問で出されたものだが、「エンジニア」を名乗って営業することは「不法」でもなんでもない。
「エンジニア」は「称号」ではなくて一般名称にすぎない。いささかもアメリカの法律を犯してはいない。人文科修士が「エンジニア」を名乗るのが「不法」だというのなら、高卒や中卒、さらには昔は沢山いた学歴の無い叩き上げの技術者たちは、何と名乗れば良いのだろうか。
原告の下には、歴史見直し研究会の会員で技術系専門学校卒の「エンジニア」経験者から、「文系卒業の『エンジニア』が、日本の産業界に多数ゐる事を私は知ってゐます」とし、被告・金子マーティンの乱暴な誹謗中傷の仕方を、「名も無き彼らへの侮辱と私は捉えます」とする長文の手紙が届いている。……
拙訳『偽イスラエル政治神話』p. 199-200.では、……もしも、誠実に公開の場での議論をする気があるのなら、現在すでに、「ガス室」に関する論争に終止符を打つ「研究報告」という位置付けで、以下のように『ロイヒター報告』(88.4.5)とロイヒターその人を紹介しています。文中[ ]内は訳注です。
……チクロンBは、シアン化水素[気化した状態を日本では青酸ガスと呼ぶ]を主成分としており、無数の収容者たちのガス殺人に使われた製品だと主張されてきた。普通には、第1次世界大戦以前から、衣類や、病原菌、特にチフス[ママ。正確には発疹チフスの病原体リケッチャが寄生するシラミ]が繁殖する危険のある設備の消毒に使用されていた。しかし、シアン化水素は、1920年、最初にアリゾナで死刑囚の処刑に使われた。アメリカの他の州も、これを死刑囚の処刑に使った。特に知られているのは、カリフォルニア、コロラド、メリランド、ミシシッピ、ミズーリ、ネヴァダ、ニューメキシコ、ノースカロライナである(『ロイヒター報告』)。
技師のロイヒターは、ミズーリ、カリフォルニア、ノースカロライナの各州で、コンサルタントを勤めていた。現在では、これらの各州の多くは、この処刑方法を廃止しているが、その理由は、費用が掛り過ぎるからである。青酸ガスの値段だけではなくて、それを使用する際の安全性が要求されるために、設備の建造と維持に要する費用が、この方法による処刑では非常にかさむのである。……
もう一つ、『ロイヒター報告』の評価を低めるための「争点逸らし」デマゴギーの一つに、「ビルケナウの火葬用の穴」問題があるので、これにも簡単にふれておきます。
ロイヒター自身は、次のように結論を出しています。
《ビルケナウは沼沢地に建設されており、すべての敷地で水位線が地面の約60センチメートル下になっている。ビルケナウには火葬用の穴はなかったというのが、私の意見である》(拙訳『偽イスラエル政治神話』p.203)
これに対して、たとえば『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』では、「敷地内の地下水は、囚人の強制労働によって張り巡らされた排水網を通じてヴィスワ河に放水されていたということを、ロイヒターは明らかに見逃している」(p. 98)としています。高橋亨さんも、これを嬉しそうに書いて私の揚げ足を取ったつもりのようでした。
しかし第1に、この「火葬用の穴」なるものは、ノーヴェル文学賞ではなくて平和賞を受けた作家、エリー・ヴィーゼルのアウシュヴィッツ体験を記した初期短編『夜』(日本語訳あり)に出てくるのですが、それ以外の証拠は何もありません。逆に、この『夜』には、「ガス室」に関する記述がまったくないのです。だから、ホロコースト見直し論者は、「ホロコースト生き残り」を称して「ガス室」の目撃者であるかのように登場するエリー・ヴィーゼルを、「偽者の目撃者」と名付けているのです。
第2に、「排水網を通じてヴィスワ河に放水」する工事の写真も手元にありますが、たとえ排水しても、表土を乾かすことや、少し水位を下げることはできても、沼沢地帯周辺全体の水位を変えるのは不可能です。少し掘れば湿っていて水が溢れてくるのです。
しかも、この「火葬用の穴」説の決定的な欠陥は、すでに私自身が何度か記したことですが、飯盒炊爨や、キャンプ・ファイアの経験者なら、すぐに分かるはずです。
表意文字の「爨」にも示されているように、「火」は下から上に燃えるのです。平地でも、下や横から空気が入るように、しょっちゅう手を加え続けなければ、米の飯さえ炊けません。煙に巻かれて涙が止まらなくなります。
ましてや、水分の方が多い人体を、わざわざ穴の中で焼くなどという芸当を、どうしても信じたい方は、実際にやってみてからいかがでしょうか。もちろん、人体を焼けば違法行為になりますから、水分の比率が同じ肉類でも買って、できるだけ傍迷惑にならない場所に出掛けて、穴を掘って、試してみることですね。ヴィデオにでも撮影しておいて下さい。肉類の値段はどうでもいいですが、薪の使用量は正確に報告して下さい。
同様に、この「野焼き」の証拠として使われる写真があります。アウシヴィッツ博物館にも展示してあります。『週刊金曜日』にも2度(96.8.9,97.2.28)載りました。これも奇妙な写真で、平地に、まだ焦げてもいない死体が転がっていて、白い煙が上っているのですが、肝心の「薪」が、まったく見当たりません。私は、この写真の唯一の合理的な説明として、アメリカ軍かイギリス軍が収容所の死体処理をした時のDDT散布を考えています。私自身、北京から引き揚げてきた時に、佐世保の埠頭でアメリカ兵に寸胴切りの袋を頭から被せられ、DDTを浴びせられましたし、その後も DDT散布の現場に何度もいた記憶がありますが、当時は DDTに毒性があるという話を、まったく耳にしませんでした。
また最近、ガンジーの野焼きの記録映画を見ました。ポル・ポトの野焼き写真(日経98.4.19)もありました。いずれも山ほど薪を積み上げています。
以上、やむを得ず、「争点逸らし」へも対抗しましたが、本命の「核心的争点」(拙著『アウシュヴィッツの争点』p.187-249)は、あくまでも「ガス室」なのです。「ユダヤ人の民族的絶滅」=「絶滅収容所」=「大量殺人」=「ガス室」こそが本命の「世紀の大嘘」なのです。その典型は、3日間の瀕死の拷問を受けた元アウシュヴィッツ収容所長ホェス(ヘス)の矛盾だらけの「告白」の「ガス室」に関する次の一番詳しい部分です。文中の「特殊部隊の抑留者」は囚人の中のナチ協力者のことです。
……特殊部隊の抑留者は、処置が速やかに、平静に、スムースに行われることに、最大の関心を持った。脱衣後、ユダヤ人たちは、ガス室に導かれる。が、そこは、換気孔や水道栓が配され、完全に浴室らしく見せかけてあった。まず、子供をつれた女たちが、次に男が入った。……(『アウシュヴィッツ収容所/所長ルドルフ・ヘスの告白遺録』p.199)
ところが、チクロンBからシアン化水素のガス化が行われる温度(沸点が摂氏26度)などの疑問が提出され、『ロイヒター報告』が出た後、たとえば『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』には、次のような「物語」が載るようになったのです。
……アウシュヴィッツでは、ナチは囚人の体温でこの室温を確保できるよう、大勢の人間をガス室に詰め込んだのである。[中略]暑さのために短時間で気化した青酸ガスの大部分が犠牲者の体内に吸い込まれたのである。[中略]おそらく、これらの人々の死後、壁面から採取され得るほどの毒ガスはほとんど残留していなかったにちがいない。……
想像力の豊かさは認めますが、タイムマシーンでニュルンベルグ裁判以前に戻ってホェスの拷問をやり直してからにして頂かないと、折角の創作が台無しになります。
以上で(その6)終わり。(その7)に続く。
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