連載:シオニスト『ガス室』謀略の周辺事態(その11)

『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』:ティル・バスティアン(著)、石田勇治、星乃治彦、芝野由和 編訳(日本版1995/11)

『アウシュヴィッツの嘘』:元ドイツ軍の中尉、ティエス・クリストファーセンが1973年に発表した短い回想録の題名。参照➡『アウシュヴィッツの嘘』の内容をなぜ正確に報道しないのか

『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

1999.3.12

 この間、インターネットで若干の「ガス室」関連情報が飛び交った。「同時進行版」の意味では、ここでも、最新のE-mail情報に接している読者向けに、いささかは最新の打ち返しをしないわけにはいかない。

 本連載10号既報のように、「山崎カヲル」こと、東京経済大学教授(異文化コミュニケーション専攻。本名は馨。本稿末尾に注1.)が、amlメーリングリストでの私の「ガス室」関連発言を封じようとして、決闘の場を京都は四条河原ならぬ aml-stoveに指定し、「論争」を挑んできた。当方には彼について、陰湿な口喧嘩マニアとの世評の持ち合わせがあったので、直ちに拒否した。山崎カヲルは、結局のところ、自らをaml-stoveという狭い井戸の中に閉じ籠めてしまい、まさに自縄自縛、壁に向かって罵倒を続けるという漫画そこ退けの状態に陥った。当方にも配達された一部mailによると、しきりに私の「ドイツ語能力」を嘲っているようだが、笑止千万である。そうまでして大学暮らしを鼻に掛け、自分の学を誇りたいのなら、後生大事のネタ本にしているドイツ語の本を、自分で訳してみるがいい。

 私の方は、自慢じゃないが、大学ではドイツ語を「第3外国語」で受講登録したものの、授業に出たこともなく、社会人になってからも、リートの物真似と『資本論』の珍妙な日本語訳を判読する目的以外には、ドイツ語は愚か、英語すらほとんど必要のない年月を、ああ、数えてみれば、なんと、27年半も過ごし、フリーのものかきに転じてから初めて、教授、様、様、その他、文化人商売のお方々の余りのお粗末さに呆れ果て、今では仕方なしに、シャンソンしか覚えていなかったフランス語の本を訳したりしている。太り過ぎの横綱じゃあるまいに、これ以上、他人に尻拭いをさせないでほしいものだ。

 もう一人の身元不詳(求めても明らかにしない)の口喧嘩マニア、高橋亨は、またまた新しいシオニスト・サイトを発見したものか、ビルケナウ収容所の火葬場の過大も過大の「処理能力」説を丸写しで入力して、何か論じたつもりになっている。この件は、すでに紹介済みのシュテークリッヒ著『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』(p.47-55)と、これも紹介済みのプレサック著『アウシュヴィッツの火葬場』を徹底批判したマットーニョ著『アウシュヴィッツ/伝説の終り』(p.6-15)で、すでに詳しく論じられている。

 これらの批判は後に紹介するが、本連載の現段階との関係で一言だけして置くと、上記の過大も過大の「処理能力」計算を「ガス室による大量殺人」の根拠とする説は、実に奇妙な矛盾に直面するのである。これもすでに紹介済みのニュルンベルグ裁判の証拠番号、NO-4473.の建設作業報告書では、火葬の焼き窯は順調に稼働しており、死体置場は型枠が外せず(つまり使用不可能)、代わりにVergasungkellerを使っているのである。プレサック説では、死体置場の1つが「ガス室」なのであり、ニュルンベルグ裁判では、Vergasungkellerの方が「ガス室」だったのだが、これが死体置場の代わりに使われているのであれば、「ガス室」としては使用不可能となり、当然のことながら、「ガス室殺人」は不可能となる。たとえ桁外れの「処理能力」があったとしても、肝心要の「ユダヤ人絶滅のための大量殺人工場」としての「ガス室」による何千という死体の山は、いったい全体、どこから運ばれてくるのであろうか。

 さて、閑話休題。前回までに、上記の報告書の一字一句を検討し、そこに出て来るvergasungkellerと言う単語が意味する場所を、広く考え直してみた。

 前回の後段では、技術用語にこだわって火葬炉の「気化穴」説を立てていたアメリカの工学博士、バッツが、私と似たようなことを言い出したらしいという「最新の耳情報」を紹介した。バッツの新しい解釈は、設計図にはLeichenkellerが2つ記されているだけで、「Vergasungkellerと記された場所はない」という点に着目したもののようである。

 そして前回の最後に、私自身の考え方の最新の到達点を、つぎのように記した。


 私は、戦争中ではなくとも死者の衣服の再利用は珍しくないことだから、火葬場のすぐ側に、その衣服の虱退治のための小部屋があったのかもしれないと考える。前々回の(Vergasung編)で述べたように、Vergasungの意味で唯一明確に説明できる書証があるのは、殺虫剤チクロンBの使用説明書だけである。そのVergasungの意味は、チクロンBが発生する青酸ガスで「害虫を殺す」ことである。そこからのVergasungkellerの一番自然な解釈は、殺虫室、または、消毒室である。


 では、その殺虫室、または、消毒室は、どこにあったのかというと、私の手元には、そういう場合には非常に便利な『ボール報告』(The Ball Report)がある。副題は、とても長い。

「明るみに出たアウシュヴィッツ! 第二次世界大戦中の航空写真から描いた集中収容所」(Auschwitz exposed! Concentration camps drawn from W W II air photos)である。

 私が持っているのは、32頁の無料パンフレットで、116頁の本『航空写真の証言』(Air Photo Evidence)の宣伝として届いたものであるが、これにも、戦後30年以上も過ぎた1979年になってからCIAが公開した航空写真に、詳しい解説付きの手書き図面が添えられている。この場合も、探すとすぐに、上記NO-4473.報告書の「第2棟」と収容所の入り口の中間の位置に、殺虫室、または、消毒室(日本式の表記を考えると「青酸ガス燻蒸室」なので、以下ではそう記す)を含む大きな建物があるのが分かった。

 ところが、これだけの詳しい材料が揃っていることからも想像できるように、私の最新の着眼は、まるで「新発見」でも何でもなかったのである。改めて調べ直してみたら、実は、すでに4年以上も前に、そのことを示唆する文章まで読んでいたのだった。頭の中の記憶こそなかったが、頁の欄外に鉛筆のメモが残っているから、間違いはない。

 1994年秋、思えば『マルコポーロ』廃刊事件が翌年春に起ころうなどとは夢にも思わず、料金が一番安い大韓航空のそのまた1番安い期限付き団体往復券1枚を、これまた手数料の1番安い旧知のNGO支援ヴォランティア個人営業旅行代理人に頼んで入手し、その飛行機の狭い座席で時差ぼけの予感に怯えながら読んだ本に、その文章が載っていたのだった。私が、そのメモまでした箇所の記述を忘れていたのは、おそらく、当時の私の関心が、その同じ年の年末に予定していたアウシュヴィッツなどの「実存」と称されている「大量殺人用ガス室」の構造に集中していたからであろう。その時期には、言葉だけで実物がないものへの関心は低かったのである。しかも、その本の文脈を、「青酸ガス燻蒸室」よりも、「大量殺人用ガス室」に直結しているように読んでしまったらしいのである。

 本の名は、すでに紹介済み、拙訳題では『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』、著者は元ドイツ空軍アウシュヴィッツ防衛部隊勤務の経験がある元司法官、ヴィルヘルム・シュテークリッヒである。シュテークリッヒは、この本と同主旨の発言を理由として司法官の資格を剥奪されている。ドイツ語の初版には1973年という記録もあるが、1979年に発売直後に禁止となり没収されたともある。私が持っているのは、1990年版の英語訳で、かなりの改訂増補部分があるようだ。重要な部分にはドイツ語の原文が併記されている。

 シュテークリッヒは、上記のバッツの「気化穴」説を紹介した後に、つぎのように記していた。

「もう一つの、もっともらしい説明は、この部屋が、すべての集中収容所で通常業務となっていた衣類その他の身の回りの持ち物の燻蒸を目的としていたというものである。この目的で使用された青酸ガス燻蒸の特許薬品チクロンBは、『ユダヤ人の絶滅』のためにも同様に使用されたと推測されていた」(p.47)

(Another plausible explanation is that this room was intended for the fumigation of clothig and other personal effects, a common practice in all concentration camps. The proprietary hydrocyanic Zyklon B used for this purpose is supposed to have been used for the“extermination of the Jews”as well.)

 この部分を最初に読んだ時の私は、本連載で記したチクロンBの説明書の英語訳では「虱退治」(delousing)となっていた用語が、ドイツ語の原文では「ガス燻蒸」(以後、これをVergasungの訳語とする)だったことを知らなかった。シュテークリッヒも、ここでは、このキーワードにドイツ語の説明書の用語を対照していなかった。

 シュテークリッヒは、さらに、私が先にドイツ語原文を示して、hierfurの「その代わり」の意味を指摘して、LeichenkellerとVergasungkellerとは別の部屋だと主張した点についても、ドイツ人だから当然と言えば当然のことながら、同じ頁で、いとも簡単に「2つの別の物」(two different things)としている。

 こんなってくると、もう一度、日本語版『アウシュヴィッツとアウシヴィッツの嘘』の訳文の「曲訳」を強調しないわけにはいかない。以下、簡略化して繰り返す。

 NO-4473.の該当部分の「訳文」を一行だけ繰り返すと、以下のようである。

「ガス室(Vergasungkeller)の使用は可能であり、それはさほど問題ではない」

 原文を示すと、つぎのようである。[Umlaut省略]

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung noch nicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.

 ニュルンベルグ裁判の書証として提出された英語訳をも示すと、つぎのようである。

 The planks from the concrete ceiling of the cellar used as a mortuary could not yet be removed on account of the frost. This is , however, not very important, as the gas chamber can be used for that purpose.

 以上の文中の、「その目的のために(またはより意訳的に「その代用として」)Vergasungkellerが使えるからである(da der Vergasungkeller hierfur benutzt werden kann.)」という部分からの、死体置場の「目的のために」、または「代わりに」「代用として使える」という意味の欠落は、この際、誤訳では済まされない。曲訳である。

 しかも、すでに記した通り、この日本語版の「訳者代表」、石田勇治は、奥付によると、「東京大学教養学部助教授(ドイツ現代史)」の肩書きなのであり、「主要著書」にはドイツ語の論文を掲げており、しかも私に対しては電話で、これも前述のごとく、「こんなドイツ語も知らずに云々」と罵ったことさえあるのである。

 ああ、ローマ字でhierfurとあって、そのuの上に丸い小さな点が2つ並んでいるのですが、東京大学教養学部助教授、様、様、におかれましては、この単語の意味を、ご存じでないはずはないと思うのですが、なぜ、お訳しにならなかったのござりましょうか?


注1.「山崎カヲル」に関しては、この間、下記のmailの応酬をした。現在、1999.3.11.であるが、わが下記1999.3.9.mail以後、先方は沈黙している。以上、途中経過報告。


[aml 11378] ホロコースト否定派の語学能力
From: ykaoru@tku.ac.jp (KaoruYamasaki)
Date: Mon, 8 Mar 1999 10:31:36

 Aml-stoveで簡単に触れたことですが、二、三のかたからamlでも出してほしいという要望が寄せられたので、議論のためでなく(議論の余地などまったくない問題です)、事実確認のためにポストします。

 日本のホロコースト否定派が、どれほどいいかげんな知識ででたらめを振りまいているかを、ご確認いただけると思います。

  Aml-stoveへの投稿ではなく、私のWebサイトに貼ったほう(http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/German.html)を使います。

******************

 ホロコーストの存在を否定するという、きわめて重い作業をするためには、一応基本的な資料にあたれるだけのドイツ語の能力が要求されます。否定派のフォリソンやウィーバーも、ドイツ語が読めますが、それがあたりまえです。

 私は木村愛二さんのドイツ語の力を知りませんでした。そうすらすらとは読めないだろうが、まるでだめというわけでもないだろう、と思っていました。

 甘かった!

 この人はドイツ語の初級文法のはじめのほうさえ知らないのです!

 木村さんは自分のページ(http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/glo-99-2.html)で

 Die Eisenbetondecke des Leichenkellers konnte infolge Frosteinwirkung nochnicht ausgeschalt werden. Die ist jedoch unbedeutend, da der Vergasungkellerhierfur benutzt werden kann.

 というドイツ語の文章を引用しています(ホームページのリンクの貼り方が無茶苦茶なので、通常の方法で探ると、なかなかここに到達できません)。

 そしてこういいます。

「もう一つの、キーワードというよりもキー文字は、たったの1つの小文字の「s」だった。上記の「代用」論とともに決定的な重要性を秘めていそうなのは、日本人が見逃しがちな「複数」と「単数」の違いである。上記のように、英語訳の方では、the cellar used as a mortuaryと、明白に単数の扱いになっている部分が、ドイツ語の原文では、Leichenkellersと、複数になっているのである。」

 複数!

 さらにこうもいわれます。

「つまり、私には、Leichenkeller と設計図に記された部屋が2つあるという予備知識があった。プレサックの原著には、設計図の写真も入っていた。だから、上記のドイツ語原文と、英語の訳文を、ワープロで入力する際の作業で、いやでも気付いた「s」1文字の刺激が、それらの予備知識と衝突して発火したのである。

 プレサックは、2つある「死体置場(Leichenkellers)[複数]」の内の1つが「殺人用ガス室」だと主張している。しかし、上記の報告書の時点では、その複数について、同じように、「鉄筋コンクリート」が「凍結のために型枠がまだ取り外されてない」と記しているのである。そうすると、Vergasungkeller[単数]は、何だと言うのであろうか。」

 お判りのように、まったく複数であると思い込んでいます。

 いまさら注意することさえばかげていますが、Leichenkellersについているsは、複数のしるしではありません。

 ドイツ語の名詞は強変化(若干の例外があります)や混合変化において、単数2格(属格とか所有格ともいって「~の」の意味です)で名詞の末尾にsをつけます。例えば、おじさん(der Onkel)の単数2格は「おじさんの」(des Onkels)となります。このsを見て、「おじさん」は複数だといったら、「ドイツ語初級」の単位はもらえません。

 第一、des Leichenkellersとあります。Leichenkellerは男性名詞なので、単数2格の定冠詞は当然そのようにdesになります(複数だったらderですが、この場合名詞にsはつきません)。

 文中のDie Eisenbetondecke des Leichenkellersは、「Leichenkeller[単数]の鉄筋コンクリート製の天井」と訳すのです。

 要するに、ドイツ語を学ぶ学生なら、初級の1学期目でならうことを、木村さんは判っていません。こんな知識でドイツ語原文を引用して、論争相手を脅かそうというのですから、冗談ではありません。

 とにかく、木村さんのドイツ語能力はよく判りました。

 ありもしない「予備知識」をこれ以上「発火」させて大恥をかかないよう、ドイツ語の引用など、これからは絶対に止めましょう。

 そして、ご自身がドイツ語の資料に直接にあたって議論を立てる能力がまったくないことを、明言してください。


[aml 11387] 「ガス室」ドイツ語個人教授に御礼
Sent: 1999.3.9 11:07 AM
From: 木村愛二

 木村愛二です。

 これは、またまた、山崎カヲル教授、様、様、におかれましては、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』のご愛読を頂くばかりでなく、aml-stoveよりamlへと、仇敵、中宮さんの非難をも、ご覚悟の上での、ご無理な、ご出張、個人ご教授を頂き、珍謝に堪えません。

 私奴のような、学生時代にはドイツ語の落第生どころか、かすかな記憶では最初だけ授業に出席して麻雀仲間と出会ってしまい、「デル、デス、デム、デン」だから「出ん」などと、単位は放棄した程度の不真面目極まる愚才に、かくも深き、ご愛情を、お注ぎ頂くのは、果たして、なにゆえであろうかと、何も御礼の用意もないままに、ただただ、ひたすら、ご貴重な、お時間の、お無駄を、お案じ申し上げております。

 さて、ドイツ語の複数にかんするご知識のほどを伺い、こりゃ少し失敗したかな、とは思いますが、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』の下記連載記事(その9-10)を御覧頂けば明瞭なように、語尾のsが複数か単数かには深い意味はなく、むしろ、どうでもいいのであって、それをも1つの脳髄への刺激として、「ガス室」妄想患者のネタ本、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』の重要な曲訳に気付いたことの方に重点があるのです。このデタラメ本の訳者代表も、それこそ「ドイツ現代史」を専門とする東京大学教養学部助教授、様、様、なのです。

 なお、山崎教授、様、様、によるご罵倒、および、わがドイツ語能力への誠に以て有り難き叱咤激励に関しては、下記のごとく、999.3.12.発行予定の冒頭に、「同時進行版」型の記述を準備していたところでした。お陰様で早期予告の口実を得ましたので、その点にも重ねて、珍謝申し上げます。

 『シオニスト『ガス室』謀略周辺事態』(その11)
 『ガス室』妄想ネタ本コテンパン(Gas総合編)

 (以下、本稿(このページ)冒頭部分と重複)

 この間、インターネットで若干の「ガス室」関連情報が飛び交った。「同時進行版」の意味では、ここでも、最新のE-mail情報に接している読者向けに、いささかは最新の打ち返しをしないわけにはいかない。

 本連載10号既報のように、「山崎カヲル」こと、東京経済大学教授(異文化コミュニケーション専攻。本名は馨)が、 amlメーリングリストでの私の「ガス室」関連発言を封じようとして、決闘の場を京都は四条河原ならぬ aml-stoveに指定し、「論争」を挑んできた。当方には彼について、陰湿な口喧嘩マニアとの世評の持ち合わせがあったので、直ちに拒否した。

 山崎カヲルは、結局のところ、自らをaml-stoveという狭い井戸の中に閉じ籠めてしまい、まさに自縄自縛、壁に向かって罵倒を続けるという漫画そこ退けの状態に陥った。当方にも配達された一部mailによると、しきりに私の「ドイツ語能力」を嘲っているようだが、笑止千万である。そうまでして大学暮らしを鼻に掛け、自分の学を誇りたいのなら、後生大事のネタ本にしているドイツ語の本を、自分で訳してみるがいい。

 私の方は、自慢じゃないが、大学ではドイツ語を「第3外国語」で受講登録したものの、授業に出たこともなく、社会人になってからも、リートの物真似と『資本論』の珍妙な日本語訳を判読する目的以外には、ドイツ語は愚か、英語すらほとんど必要のない年月を、ああ、数えてみれば、なんと、27年半も過ごし、フリーのものかきに転じてから初めて、教授、様、様、その他、文化人商売のお方々の余りのお粗末さに呆れ果て、今では仕方なしに、シャンソンしか覚えていなかったフランス語の本を訳したりしている。太り過ぎの横綱じゃあるまいに、これ以上、他人に尻拭いをさせないでほしいものだ。


 以上。

以上で(その11)終わり。(その12)に続く。