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第147回国会報告(2000年通常国会)憲法調査会で今何が起きているか大脇 雅子 憲法調査会は、 「憲法について包括的かつ総合的に調査すること」を目的とし、調査会は議案提案権を持たず、衆参各議院の議長に「報告書」を提出すると規定されています。議院運営委員会の申し合わせによると、5年をかけて審議することになっています。参議院では、調査会会長は、村上正邦自民党参議院議員会長。委員は総勢45名。社民党からは2名。私は現在、幹事と幹事会のもとで各党1名で構成する運営検討小委員会の委員を担当しています。 調査会のフリートーキングは、これまで三回行われましたが、「5年は長すぎる。1年半でまとめるべきだ」「(先回内閣に設置された憲法調査会と違い)国会に設置された調査会が提案権がないのはおかしい」という意見が自民、保守、自由党から出されていて、私は、拙速反対!と抵抗しています。 改憲の動き、あまりに拙速147回通常国会における森新総理の施政方針演説では、教育改革を柱とし、これを「国民運動につなげていく」と戦前の大政翼賛会を思い出させるような主張がされました。そして「教育勅語」発言、「天皇中心の神の国」発言と続くと、改憲への動きは、彼らにとってもはや必然的現象といわざるを得ません。 憲法調査会の参議院での基本原則は、(1)国民とともに憲法を語る、(2)文明、歴史論等を踏まえ、20世紀と21世紀を俯瞰する議論をするために「碩学の人」(有識者)の意見を聴くこととし、加えて調査会の委員間の自由討論を適宜行うことになっています。 これまで(1)の領域については 1. 学生とともに語る(4月5日) 2. 憲法制定当時のGHQの生証人の証言を聴くこと(5月2日)が行われました。GHQの証人を参考人とすることについては、当初、自民、自由党より、GHQの参考人を呼んで傍聴人を300人位集め、院外(憲政記念館)でシンポジウムを開く提案が浮上し、驚いた野党は、院内における議員の発言や表決についての、院外での免責の保障(憲法51条)はどうなるか(これまで前例がない)、傍聴人との議論は国民の声の公正さをどう担保できるのか、調査会がシンポジウムをするとなると国民から公選で選ばれた委員の議論を基礎とする各委員会や調査会の活動として果たして妥当なのか、等々反論し、"国民運動化"への傾斜をおしとどめることができました。また、マスコミ6社(TVと新聞)から意見を聴くという提案もあり、これは読売新聞のみが1994年に憲法改正試案を発表していますが、"報道の中立性"との関係でどうなるのか、新聞、TVの社主か編集長かと異議を申し立て、先送りとなりました。 次は、地方自治体の長から聴こうといわれていますが、例えば岐阜県の梶原知事は、岐阜県に憲法調査会を設置して、地方自治についての憲法改正案を示唆していることに、目配りをしなければなりません。草の根保守主義の組織化がはかられようとしています。私が、広島、長崎の被爆者や空襲被災者の声を聴くべきではないかと言いましたら、自民党の委員からは、「それならば遺族会の声を聞くように」と反論が出され、現在検討事項になっています。 根拠を失った「押し付け」論学生とともに語る会は、800字の論文を公募し、160名(締め切り日までの応募総数。締め切り後を含めると177名。なぜか締め切り後はすべて改憲論、天皇賛美が多い)の中より20名が意見陳述しました。 GHQの証人は、ベアテ・シロタ・ゴードン女史(男女平等等人権規定担当)とリチャード・A・プール氏(天皇の規定担当)から貴重な意見を聴きました。印象的なのは、GHQの草案には戦後日本の憲法研究会や社会党(当時)の草案等が参照され、その後多くの日本側の修正で土着化がはかられたことが明らかになり、「押し付け」論が根拠を失ったことでした。 改憲派の標的は9条2項碩学の人は、これまで西尾幹二(自民党推薦)、正村公宏(民主党推薦)、暉峻淑子(共産党推薦)、石毛直道氏(公明党推薦)の四氏の意見陳述を聴きました。社民党推薦の人の意見陳述の日程は決まっていません。どうしても日本の知性を代表する方々の意見陳述を実現させたいと思っています。西尾幹二氏は次のように発言し、会場を唖然とさせました。 「現行憲法も明治憲法も、日本の伝統文化の体質にあっておらず、憲法を不磨の大典だと考えることをやめてほしい。とりわけ集団自衛権に関わる部分の解釈の多義性を招くあいまいな文言がそのままになっていることはおかしい。そこだけでも半年、一年の間に取り替えてほしい。ただし、それ以外の部分については急がなくてよい。フェミニズムが跋扈し、人権の声が盛んで、教育者あるいは政界の大半にまでその汚染が及んでいる現実を考えると、とんでもない別の権利義務だけが非常に要求されるような改正が行われるのではないかと憂慮するので、必要なことだけを改正し、余計なことは時間をかけるべきだ」 平和憲法は、世界へ発信されるべき委員のフリートークでは、驚くことに(別に驚くに当たらないのかも知れませんが、余りにも露骨に)憲法前文や9条の改憲論が多く出されていることです。論憲として議論しても、その結果、9条2項を改悪し、国際貢献の名のもとに集団自衛権を認め、自衛隊を海外派兵し、米軍との共同行動を可能にするための改憲への道が、いま確実に整備されつつあります。私は、次のような意見(要旨)を陳述しました。 「調査会の基本姿勢は、 1. 改憲を前提とせず 2. ("現実との乖離"の主張については)国民の権利擁護と生活の視点から現実を検証し、違憲訴訟の判例、国際条約も踏まえて議論せよ 3. 議事録、調査会傍聴等、公開の原則 4. 拙速は避け充分に議論を尽くす 5. 調査対象は、現憲法制定過程にとどまらず明治憲法制定時に、当時の自由民権思想を反映した民衆の憲法試案を発掘・研究する。近代日本の出発点において、もう一つの日本をつくろうとした民衆の伝統と歴史の経験を引き継ぐ必要がある。」 「現憲法が存在することにより、日本は、軍事的価値を重視しない文化、国民の気風を育ててきた。施行50年を経て、平和的生存権という人権の理論を紡ぎ出してきた。平和的生存権は、戦争や軍事力によって自己の生命や生活を奪われない権利であり、徴兵を拒否する権利、国の交戦権を否認し統治権を制限する権利としての意味を持つ。19世紀は自由権的基本権、20世紀は社会的生存権、21世紀の人権はまさに平和的生存権である。憲法は、国際条約の平和への権利を先取りしており、平和的共生のための基本的指針として国際的に現実性を持つようになった。国連でも、人間の安全保障を中心に据えた紛争予防と平和の構築が提案され、ハーグ世界市民平和会議においても、『日本の憲法9条に倣い政府が戦争をすることを禁止する決議』を行うことを、各国議会に求めた決議を採択している。冷戦の中を生き抜いてきた平和憲法は、護憲を超えて世界へ発信されるべきであり、これを布憲論と呼ぶ学説もある」 (発言全文は憲法調査会の議事録へ) |