現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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戦争の現実を伝えることばについて           

『派兵チェック』第195号(2009年2月15日発行)掲載

太田昌国


 世界のどこかで、飢餓や戦争などの人為的な悲劇が起こっているときに、事実をありのままに報道し、よってきたる原因を分析し、その悲劇を食い止める行動を呼びかける、人の心に響くことばは、いつだって必要だ。私がすぐに思い起こす、遠くない時期の例を挙げてみる。

イランの映画監督モフセン・マフマルバフは、アフガニスタンでタリバーンがバーミヤンの仏像を偶像崇拝だとして爆破したとき(2001年)、「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」と書いた。

ソ連軍の侵攻(1979年)以来、アフガニスタン全土を覆い尽す内戦と飢餓の悲劇に関しては、まったき無関心と沈黙を続けてきた世界が、仏像破壊を知って「人類共通の遺産の破壊は許されない」といっせいに叫び声を挙げたことに対する、それは、密やかな問題提起であった。

現代世界にあっては、人間よりも仏像の価値のほうが尊ばれるのか、と。


 40年以上も前の例も挙げてみる。チェ・ゲバラは1967年、ボリビア南東部の山中から「二つ、三つ、数多くのベトナムをつくれ、それが合言葉だ」と題するメッセージを発した。

そのタイトル自体が印象的だが、文中には次のような文言があった。

「悲しむべき事実であるが、ベトナム――すべての見棄てられた世界の勝利への渇望と希望を表現しているこの国は、悲劇的にも孤立している。

ベトナム人民は北アメリカの技術の暴行に耐えている。南部においてはほとんど報復の可能性をもたず、北部においてはいくらかの防御をして。しかし常に孤立している。

ベトナム人民と連帯しようとする世界の進歩的陣営は、平民たちの拍手を受けて競技場に立っている剣闘士を眺めているような苦い疎外感を感じる。(……)ベトナム人の孤立について語る時われわれは人間として不条理なこの時代の苦悩に襲われる」。


 悲劇を伝えることばは、好んで聴きたい種類のものではない場合もある。上のふたつの例のように、ある事態を、深い地点で解釈し、分析することばに出会うとき、受け手も単なる情緒的反応とはちがう次元の場所へ導かれてゆくように思える。


 昨年末以来3週間有余にわたって行なわれたイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザに対する一方的な戦争(=殺戮行為)に関しては、主としてインターネットを通じて、私たちが必要としている種類の情報の伝達と分析が行なわれ続けている。

マスメディアの報道からは排除され、遮断されている情報と物の見方を得るには、私の場合、もっぱらインターネットと小さな紙メディアに頼るしかなかった。

新聞の解説記事の場合なら、まだしも事態の歴史的過程に触れることもあるが、現代人の脳髄を司るテレビ・ニュースは、パレスチナ人がナクバ(大災厄)と呼ぶ61年前のイスラエル建国(=民族浄化と読め)にも、42年間にも及ぶイスラエルによる違法な軍事占領にも、この3年間完全封鎖され、食糧・水・医薬品・電気・ガスなど生命体としての人間の生活に必要な基本物資の流通すら阻害されてきたガザ回廊の現実にも、いずれにもいっさい触れることもないままに、「イスラエルとイスラム原理主義組織ハマースの暴力の応酬」とか「報復合戦の激化」と伝える。


 情報が錯綜している停戦問題についても、ミニメディア「人民新聞」09年1月25日号は、ハマースの政治ビューロー責任者、ハリド・ミシャールの次のような発言を紹介している。

「(停戦協定で)イスラエルは、ガザへの検問所を解放し、停戦協定を西岸地区にまで拡大する約束だった。

しかし彼らは、殺人的なガザ包囲を強化し、何度も繰り返して送電や送水を止めた。

集団懲罰は停止されず加速された。暗殺や殺害も。停戦期間において、イスラエルの火器で30人のガザの人びとが殺され、封鎖の直接的な影響で数百人の病人が死亡した。

イスラエルは静かなひとときを楽しんだ。われわれの民たちはそうではなかった」。


 このような視点からガザの事態を報道し、分析してくれた内外のさまざまな個人とメディアの努力が、私たちが事の本質を見きわめる上で大きな役割を果たしたことの重要性を少しも否定することなく、ここでは別な観点から問題を出しておきたい。

それは、地道な日常実践によって民衆の支持が高いと伝えられるハマースの「軍事方針」が、奈辺にあるのか、という問題である。(本来ならば、それは、全歴史過程を通して、ファタハ、PFLPを含めたパレスチナ解放勢力全体に及ぶべき問いではあろう)。

イスラエルの圧倒的な軍事力を前に、ロケット弾発射などの軍事作戦をどう位置づけているのか、という問題である。

インティファーダのような、民衆の自然発生的な抵抗形態の場合とはちがって、武装部隊をもつ解放組織指導部がもし軍事方針を採用するのであれば、それには明快な方向性が不可欠だろう。

それは、背後にいる民衆に対する政治責任の問題と関わってくるからである。

「イスラエルが行使する圧倒的な軍事力に比較すれば、ハマースによると伝えられるロケット弾の発射など取るに足らない」というレベルの「弁解」としてではなく、その政治的・軍事的意図を説明することばを知りたいと私は思った。


 私はかつて、ベトナムが抗米戦争を戦っていた1967年に発表された筒井康隆の「ベトナム観光公社」という作品に大きな衝撃を受けたことがある。

地球上におもしろいことを見失った人間たちが、装甲遊覧車に乗って目の前で実際に行なわれている戦争を見物する――と要約してしまっては、作品の味を損なおうが、紙幅の制約から止むを得ない。

そこでは、テレビ時代にあってはニュース報道は戦争をもスペクタクル化してしまうこと、非当事者は究極のところ傍観者でしかあり得ないことなどが寓意的に描かれていた。

先に触れたゲバラ・メッセージと同じ年に発表された筒井の作品を読んで以来、私は、どんなに共感を持つ抵抗のたたかいや解放闘争をも、どこか冷めた地点で捉えることも重要だと知った。

たたかいには本質的に「指導部と民衆の関係」の問題が孕まれているからだが、だからといって、必然的なたたかいへの共感が殺がれてしまうわけではない。

 
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